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コロナ禍の2021年。ひとりの男がアメリカで行われる“世界で最も古く最も権威のある100マイルトレイルレース”=Western States Endurance Runの舞台に立った。その男の名は佐々木拓史さん。そこに至るまでの道程とレース本番の興奮を前後編に分けてお届けします。

「いったい出るのに何年かかったんだ?」

レースの受付をしていると後ろに並んでいる男性が話しかけてきた。いかにも陽気なアメリカ人だった。

「俺は10年もかかったんだよ!」と彼。

返答するのが申し訳なかった。

「最初の抽選で当たってしまったんだ。僕は凄くラッキーで……」

とはいっても、コロナのせいで結果的には1年半待つことになったんだけどね。

当たった、当てた、というより当たってしまったという表現が正しい。この偉大なるレースにみんなほど愛着もなかったのに興味本位で申し込んでみたら当選確率1%の倍率をくぐり抜け、当たってしまったのだ。

アメリカに来てからというもの、このレースがいかにすごいレースなのか。本場の熱量とともに実感して震え上がった。

Western States Endurance Run、通称:ウエスタンステイツ

Wikipediaには「世界で最も古く最も権威のある100マイルトレイルレースといわれる」と書かれている。すごいパワーワードだ。最も権威があるかはさておき、最も古いのは当然で、すべての100マイルレースはここから始まったのだ。

今年48回となるこの大会は1977年に始まった。もともとはTevis Cupという馬で走る100マイルレースがあり(今も開催)、1974年に走ろうとしない馬にやきもきしたゴーディさんが馬から降りて自ら走ってしまったことがこのレースが始まることになったきっかけだ。もうそれだけで伝説的……。今では多くのウルトラランナーが目指す100マイル(160km)という距離が標準化されたのがこの大会なのだ。

生きる伝説=7連覇のスコット・ジュレクを筆頭にアン・トレイソン、キリアン・ジョルネ、ハル・コナー、ロブ・カール、ティモシー・オールセン、そして現在のレコードホルダーのジム・ウォームズリー。その時代のトレイルランニングシーンを牽引する英雄たちによって常にトレイルシーンに話題を提供してきた。

数々のドキュメンタリーフィルムも作られ、アメリカで最も華やかなレースとなっているのもあってか、「人生で一度はウエスタンステイツに」というのが全米のランナーの夢になっている、というのをアメリカの地元に来てから聞かされた。申込み条件となっている厳しいトレイルレースの完走を経ても、このレースに当選するのは毎年300人にも満たないというハードルの高さも、いつかはと誰もが思う理由の一つかもしれない。出るのに10年かかったら、諦めてしまう人も多そうだ。諦めなかった人が冒頭の後ろに並んでいたランナーなのだが、まぐれで当選しまった自分は恐縮してしまう。

そんなすごいレースに当たってしまったのは2019年の12月。当時日常的にそこまで走っていなかった私は、このレースへの当選をきっかけにランナーになってみる決意をした。というのも友人の石川弘樹が「シルバーバックルを目指そうぜ!」と言ってきたからだった。アメリカの100マイルレースでは完走者にベルトに付けるバックルが付与されるのが当たり前の風習となっているのだが、このウエスタンステイツでは24時間以内で完走したランナーにのみ、純銀製のシルバーのバックルが与えられるというのだ。

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ひょんなことから出ることになった2019年のRio Del Lago が人生はじめての100マイルレースで、ウエスタンステイツの認定レースだった。ペーサーは友人の石川弘樹。

制限時間の30時間での完走ならば比較的簡単だろう。でも24時間を目指すとなるとランナーになって真剣に取り組まざるを得ない。幸いにも周囲にはランナーの友人が多かったので半年後に控えたレースに備え、彼らに付き合ってもらって、とにかくハードな走り込みを開始した。

会社のお昼休みには400mのインターバル走、時に20kmの帰宅ラン、平日は東京のランニングクラブ、Run boys! Run girls! Trail Running Club(以下、ランボーズ)の湘南・葉山サテライトの練習会で坂道ダッシュ。週末は箱根を50km走ったり、ヤビツ峠を登ったり、とにかく練習を重ねた。あまりにも突然ランナーになってみたためか、当然のごとく身体が音を上げしこつ筋から股関節へと故障が続き歩くのさえ困難になってしまったのが3月。それからは皆さんの記憶通り。コロナが世界を席巻し、すべての大会は中止となり、海外旅行など夢のまた夢へとなってしまった。

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逗子のエイド・キッチンに水曜日の19:30に集合して、高負荷の練習をする「ランボーズ湘南・葉山サテライト」。

そして2021年。故障という経験を経た私はランナーとして少しは賢くなり、セルフケアを覚え、年間を通じてそれなりの練習を経て、そこそこのランナーとなっていた。状況的には大会が行われる見通しは当然クリアとなっていなかったし、1月には首都圏に緊急事態宣言が発令された。それでも半年後には世の中が正常化することや大会が開催されることを信じて、練習を続けることにした。

参考にしたのはウルトラランナーのクリッシー・モールが書いた本『はじめてのウルトラ&トレイルランニング』のトレーニングメニューとランボーズコーチの礒村真介さんによる半年間のトレーニングメソッド。礒村さんによるとターゲットのレースへの準備は半年前からでよく、6ヶ月が大きく3つのブロックに分けられている。最初の2ヶ月はVO2 Max期、続いてLT期、最後にEndurance期という走り込みが控えている。

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いずれも週毎にブロック分けされた練習メニューを月曜日から日曜日まで細かく書いてあるので、自分の都合にアレンジしてこなした。

6月末のレースに向けて本格的な練習の開始は6ヶ月前である1月。

1-2月はマラソンの参考書籍である『限界突破 マラソン練習帳』を購入して、サブ3:15のメニューを日々こなした。3月になると距離を伸ばしながら、地元の葉山で行われた仙元山100というローカルチャレンジで100kmを完走。レストを経て4月のEndurance期に入ってからは週末はほぼ必ず40-50kmの長いトレイルラン、その翌日はBack to Backのロングランのコンボという具合だ。ただ平地を走るだけでなく標高差も意識して、日常的に湘南国際村の坂を上がり大楠山へ登るコースを走った。レース前の2ヶ月の月間走行距離は400kmで累積獲得標高も15,000mを超えるようになった。

怪我続きとなってしまった昨年の反省を活かして、ハードなトレーニングのあとは整体でのマッサージ、日々Protecのフォームローラーやマッサージボールでのケア、そして身体の声を聞きながら無理をせずにレストを入れることを心がけると、比較的順調に仕上がっていったように思う。身体の準備はできているが、果たしてレースが開催されるのか、そして渡米できるのか、というのが最後まで確信が持てないところだった。

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旅が好きなので、トレーニングのついでにと霧島に走りにいってみたり、とにかくいろんな山に行った。

我々のような海外選手は渡航が不確かだろうから希望者は来年に持ち越してよしとの連絡がレースディレクターから来たのが3月。これにより60人ほどいた海外選手はその殆どが来年への移行を決めた。日本人で残っているのは自分だけとなった。日本の感染状況はマンボーと緊急事態の繰り返しで全く好転しなかったけれど、6月になればアメリカは行けるようになるんじゃないかな、と楽観的に考えていた。

4月には大会を開催するとの連絡が入る。アメリカはワクチン接種が順調で1500人いる大会ボランティアには100%のワクチン接種が義務付けられたとのこと。選手にも何がしかの陰性証明が必要とメールには書かれていた。

海外からの選手はお断り、歓迎されない、となればもちろん行くのはやめようと思っていた。ただ、そうでないのなら不安は残るが行きたいと依然考えていた。というのも、自分の一番の趣味は旅で、特に秘境とよばれるところへ行くのを生きがいにしている。となれば、今回のような状況はうってつけだとさえ思ったのだ。誰も行かない今年だからこそ行く意味もあるし、楽しいのではないだろうか、と。

大会一ヶ月前に大会事務局にメールで問い合わせた。「ワクチンは日本では打てそうにないのですが、大会1週間前に渡米して、事前にPCRテストを受けます。入国してすぐにワクチンを打つことも予定しています。このような対策を取ろうと思っていますが、出走可能でしょうか?」。するとすぐにレースディレクターから直接返信が来た。「それは完璧なプランだね!」とすごくシンプルに。

かくして行く覚悟を決め、エアチケットを購入。

6月17日、無人のような羽田空港からガラ空きの飛行機でアメリカのサンフランシスコへ渡る。空港ではワクチンの確認も、PCR書類のチェックもなければ、隔離の強制もなく、えらく空いている以外は至って通常通りの入国だった。CDC(アメリカ疾病予防管理センター)が入国後7日間の自宅隔離を推奨していたため、早めに入国してみたものの、拍子抜けである。それでも、鎖国時に母国を出たような達成感がじわりとあって、心のなかでガッツポーズをした。

日本からペーサーとして来てくれた石塚二朗くんと現地で落ち合い、翌日には薬局のウォルグリーンズでファイザーのワクチンを摂取した。アメリカ国民以外にも無料で打ってくれて、待ち時間もなくあっさりと終わった。日本でPCR検査も受けたので、これにて事前にレースディレクターに伝えた条件はクリアとなりゼロ間門通過となった。二人で事前祝として和牛バーガーを食べて、クラフトビールで乾杯した。

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2018年のウエスタンステイツの完走者でもある二朗くん。ペーサーとしてこのご時世に渡米してきてくれて頼もしい限り。

レースまでは時間があったので、サクラメントに住む山形クニさんのお家にお世話になった。クニさんは今年68歳になる現役ウルトラランナーで、幾多のハードなレースを完走をしている。そこにはウエスタンステイツの2回完走も含まれるどころか、今年も出走予定と聞くだけでどれだけすごいかわかると思う。

また、クニさんの住んでいる場所がゴール地点であるAuburnから車で30分ということもあり、地元のランニングコミュニティの中の人であり、日常的に大会コースのトレイルメンテナンスも行っていることから、とにかく生き字引のように詳しい。

時差ボケを解消し、暑さに慣れ、レースコースの様々なことを学び、レースディレクターや運営に関わるみなさんとのグループランに連れて行ってもらい、(ときに少しは仕事をし)、早すぎた前入りは全く無駄じゃなく有意義すぎる時間となった。

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オーバーンでレース数日前に行われたグループラン。ここで出会った人たちがレース中に応援してくれるという貴重な機会に恵まれた。

レースのお膝元在住で、エイジグループで入賞までしているクニさんから、ウエスタンステイツが権威あるレースで、どれほどすごいのかを日々聞くたびに、大変なとこに準備もしないできちゃったなとゾクゾクしたけれど、ここで緊張しても仕方ないので、あまり気にしないことにした。後日このときの態度が無礼すぎて、こいつは完走もできないであろう、とクニさんに思われていたらしいので、そのエピソードはぜひPodcast “ Off Trail Talk”でご確認を。

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クニさんの奥さんのデイジーさんが作る絶品アメリカ料理 + 和食で日々癒やされる。

準備に1年半、渡米してから1週間。ようやく、本番を迎える。

後編に続く。

「貯金は何分になった?」 Western States Endurance Run 2021出走記(後編)

Western States Endurance Run
www.wser.org