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ライター、礒村真介さんの経験談による連載『山に行くつもりじゃなかった 僕らが山に行く理由』。最終回は磯村さんの人生の転機、「100マイル」を経験するまでのストーリー。人生の宝物、「熱くなれる、一生続けられる遊び」と出合えるって最高!

ラスボスは100マイルレース

日本人は100という数字が好きだ。

いや、それは世界共通か。トレイルランニングの世界にはマジカルな「100」がある。

―――100マイル。

マイルとはアメリカで採用されている距離の単位で、メートル法に換算すると1.6kmほど。だから100マイル=160kmのことだ。そして世界には100マイルのロングレースが数多くある。

100マイルレースはトレイルランニングカルチャー勃興の地のひとつ、アメリカで生まれた。元々は馬を駆って走破するホースエンデュランス競技だったが、あるとき一人の青年の馬が故障して、このレースに参加できなくなってしまった。くだんの青年、何を思ったか馬に乗らず身ひとつでコースへと駆けだした。そして約24時間後、自分の足で100マイルの山道を走破してしまった。それが世界初の100マイルランだ。

仮に東京の渋谷駅から西へ100マイルほどドライブすると、静岡にたどり着く。それと同じ距離の山道を、休むことなく一気に、交互に踏み出す自分の足だけで……。途方もないけど、なんだかやべぇ、というワクワクが詰まっている。冒険心が掻き立てられる。モンブラン山塊をぐるり一周する世界最大のレース『UTMB』も、総距離170kmのいわゆる100マイルカテゴリーだ。

聞けば100キロと100マイルはまるで別のレースだと言う。100キロまでは走力で押し通せる人もいるけれど、そのあとの数十キロは「精神と時の部屋」が待っていると言う。装備の充実や補給の工夫、マネジメント力、何より精神的なタフさが試される。フルマラソンに30キロの壁がそびえているように、睡眠をとらずに夜通し走り続けるラスト数十キロはまったくの別世界なのだ。

トレイルランナー1年生で“全国総合体育大会”的存在のハセツネCUPに挑み、トレイルランの奥深さにハマってしまった僕は、さしあたってのラスボスをこの100マイルに定めた。エントリーしたのはハワイのジャングルで開かれる100マイルレース。当時はまだ国内に100マイルレースがなく、一部のプロランナーとごく限られた市民ランナーだけが100マイルの経験者だった。でも、それがむしろ好奇心をかきたてた。

トレイルランの面白さって何だろう。それは童心に還れてしまうことだ。仕事でも遊びでも、歳を重ねるにつれて経験が貯まり、はじめてのこと、予想外の事態に出合う機会が減っていく。言いかえればすべてに慣れる。でも、100マイルも動き続けるとなると「想定外のトラブル」は枚挙にいとまがない。だって、人間は何十時間も運動し続けるようにできていないから。今でも、100マイルレースの前に予想がつくのは「予想外のことが起きる」ということのみ。甘いエナジージェルの匂いが急にムカつくようになったり、茂みに分け入って用を足したら、進むべき方向が前だったか後ろだったか、前後不覚に陥ったり。

どんなトレーニングをするべきかもよくわからない。だって先人の知見がない。マラソンの練習法のようなセオリーも確立されていない。もしかしたら個人の特性によって、効果的なメニューも違うかもしれない。裏を返せば、正解はきっとひとつじゃない。

トレイルランニングという遊びでは、頂上へと続く道が確かにいくつか開通しているけれど、手つかずの荒野もまだまだ広がっていると思う。踏み跡のひとつをなぞってもいいし、途中で興味を惹かれる景色に出合ったら、道を外れて自分のわだちをつけていってもいい。

試走に行ったら、まさかの車イスで帰国

ラスボス戦に向けてやれることは全部やっておきたい。

最優先すべきはスタミナをつけることだろう。週末ごとにせっせとトレイルへと通った。そして50キロ以上運動した日ののべ日数をカウントしていった。やがて両手の指を使わないと数えられない回数になった。レース中に集中が切れそうな局面を迎えたら、その50キロランをひとつひとつ思い出し、どんな山だったか、何がタフだったかを反芻した。そして左手の指に達するころには、動物のように見える岩とか星空の輝きだとか、違う何かに思考が移ってキツさを忘れられた。数十分後にまた気持ちが切れそうになったら、右手の親指から思い出しなおしだ。

コースを知っているかどうかも攻略のカギになる。だからハワイまで試走に行った。英語で記された「立ち入り禁止」を読み飛ばしたせいでオフトレイルに迷い込み、足元の茂みに隠れていた鉄網につま先を取られた。つまりはコケた。しこたま脚を打った。あまりの痛みで呼吸が出来ない。ふくらはぎがじくじくと痛み、とてもじゃないけど自力では下山できない。通話料が怖くてネットもできない。そもそも今ここ、電波の圏外。でもそれ以上に、待ち合わせに遅れた場合の、相方の機嫌がコワい。

幸運にも数百メートル先に舗装路と交差するポイントがあった。本来なら人気のない道だけど、たまたま通りかかった山菜取りのおじいちゃんおばあちゃんの車に乗せてもらい、なんとかホノルルまで辿り着いた。その晩と翌日はかろうじて歩けたけど(観光しないと相方がコワい)、帰国便の空港では痛みが増して、驚くべきことに一歩も歩けない。見かねたCAさんから車イスに乗るよう促された。なんだこれ、むしろオイシイな。

帰国後に病院へと直行すると、腓腹筋(ひふくきん)の断裂と診断された。生まれて初めての松葉杖、片足歩行だ。これが相当にキツい。隣のスーパーに買い物に行くだけで心肺が鍛えられるぜ。

松葉杖を卒業しても、縮こまった腓腹筋がちゃんと伸展できるようになるまでに時間がかかる。地味なリハビリの痛みに耐える。我慢強くはなったかもしれない。走れないんだけど、走り込まないと完走が見えてこない。走れないなら自転車を漕ごう。なまった体での長距離ライドは死ぬほどキツくて、あの日の大ダワ峠越えはいまだに自分史上最キツトレーニングの座に居座り続けている。

そもそも、100マイルで夜通し走るってどういうこと? 仲間が多摩川沿いのジョギングコースを24時間走り続ける「応援ラン」を企画してるという。なんたる! その一部行程に乗る。

装備もイチから見直しだ。クローゼットの奥からまたトレイルラン用のストックを引っ張り出す。当時はまだ使う人がほとんどおらず、一般的な製品も世に出ておらず、某ランニングショップがオリジナルで作ったいわくの品だ。このストックはハワイのジャングルの後半パートで文字通り支えになった。フィニッシュ後、感謝の手紙をしたためたかったくらいだ。

人生の宝物を手に入れろ

年が明けてハワイへと発つ前、ラン仲間が新年会を開いてくれて、そこで小さな巾着袋をもらった。お守りだ。レース中ツラくなったら開けてくれ。それまでは見ちゃダメだ、と。

なんだこれ。100マイルっていいな。スタートラインに立つまでも「初めて」の連続だ。

トレイルランに出合って、ハセツネCUPで切磋琢磨して、いろんな山の面白さを知って。気がついたら最初の山から3年目。部活動だったら最後の大会だ。

たとえば100メートルを10秒で走れるのは一握りの人だけだけど、100マイルを走りきるのは、適切に努力しさえすればたぶん誰でも、不可能なことじゃない。でも、努力抜きにはどんなエリートでもきっとゴールまで辿り着けない。

ウルトラトレイルはスタートラインに立つまでが勝負だと言う。準備が全てということだ。だからレースの話はまた別の機会にしよう。この話はここまで。

巾着袋の中身は何だったかって? そのお守りは160kmレースの110km地点、ここから先は未知の領域だぜ、というタイミングで開封した。ヘッドライトの明かりが照らし出したのは、5人の友人たちからのメッセージカードだった。おいおいマジかよ。10km進むごとにカードをめくることにした。

初めての100マイルは想像通り、想像以上にキツかった。でも心の底から熱血できた。このときのことを思い返せば、いつでも笑って酒が飲める。ちょっと大げさかもしれないけれど、まるで人生の宝物を拾ったかのようだ。

だから「100マイラー」にはなれたけど、3年生で引退するなんてもったいなさすぎる。この先も、まだまだ山に行き続けてみよう。

こんな面白いこと、そんなにないよ、人生に。

礒村真介

礒村真介

モノ&ファッション情報誌の編集部に在籍中、ギア選びから傾倒したトレイルランや山の魅力にどハマりし、フリーのライター兼エディターに。アウトドア関連各誌での執筆のほか、東京のトレイル&ランニングショップ、Run boys! Run girls!のトレランチームでコーチを務める。トレイルランナーとしては、初めて開催された2012年のUTMFで9位に入賞。そのほか、100マイルを中心に国内外のレースで多数入賞を経験している実力者。

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