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パンデミックによって世界中の誰しもが息苦しさを感じ続けた昨年、「一歩ずつ」というメッセージとともに壮大なチャレンジが話題となったヤマケン。困難な状況下にあっても、楽しむ心を忘れない、その生き方の“強さ”をライター・中島英摩さんがインタビュー。

これまで、海外の100マイルレースを中心に活躍を続けてきた“ヤマケン”こと山本健一選手。2019年には教師からプロへと転向し、さぁこれからがますます楽しみだ! というタイミングで、まさかの世界規模での危機に直面した。

レースも遠征も中止となった。イベントもできない。海外に行けるわけもない。気を落とし、モチベーションを見失うランナーが続出するなか、SNSで発信を続け、秋には地元山梨、甲府盆地の周りの山を1周ぐるりと繋ぐ、甲斐国ロングトレイル“PASaPASA”(パザパザ:「一歩ずつ超えていく」今回のチャレンジを表す造語)という独自のプロジェクトにも挑戦した。彼は何を考え、どう乗り越えてきたのか。動き続けたその原動力とは?

怪我とともに始まった2020年

中島(以下 N):2020年は怪我から始まったと耳にしたのですが、どんなスタートだったのでしょうか?

山本(以下 Y):当時はあまり公にしていなかったのですが、実は2019年のレユニオン( Grand Raid Réunion*)再挑戦から帰国した11月に靭帯の断裂と骨挫傷という大怪我をしました。

*フランスの海外県、レユニオン島で行われるトレイルランニングレース。島を南北に縦断する165kmカテゴリーのDiagonale des Fous(ディアゴナル・デ・フゥ:愚か者の対角線の意)をメインに4つのレースが行われる。

ボルダリングでマットを踏み外し、足首を捻ったことが原因で、怪我から1ヶ月間は松葉杖。翌月からリハビリと筋トレ、2020年の1月にやっと散歩できるようになりました。そんな1年の始まりでした。

N:まさか、ボルダリングでの怪我だったのですね。コロナ禍に入る前にそんな課題を抱えていたとは驚きです。でも、フランスのコルシカ島、GR20*のタイムアタックは決まっていましたよね。怪我による焦りはありましたか?

*Grande Randonnéeの略でロングトレイルの意味。フランス・コルシカ島を南北に縦断する全長180km、累積標高12,000m、2,000mを超える山が120座以上あるトレイルで、ヨーロッパ最難関として知られる。FKT保持者はフランソワ・デンヌで31時間6分。ヤマケンは北から南のルートに少しアレンジを加えた全長184km、累積標高14,500mのコースでのFKT挑戦を計画中。

Y:コルシカへの渡航は9月の予定でした。でも焦っても仕方ないし、じっくりやっていくしかないなと思っていました。その頃はいち早く怪我を回復させて準備することが最優先で、走れない間は市営のジムに通っていました。

そこで良い出逢いがあったんです。その市営ジムのウェイトルームに週6で通っている“主(ぬし)”、加藤さんです。79歳で僕よりも筋肉もあって、ベンチプレスも上げるイカツイ地元のオッチャンなんですが、実は柔道の講道館杯の無差別級で3連覇したこともある強者で、初めて行った時にギブスをしていたら、いきなり『怪我は自分のせいだから自分が悪い』と言われて(笑)。

でも、柔道の経験から足の怪我や身体に詳しくて、加藤さんの言うことは当時見てもらっていた医者の言うこととほとんど同じだったんです。それ以来、毎日のようにジムに通っては一緒にトレーニングをする仲になりました。怪我の状態を見てくれて、マッサージもしてくれました。怪我が治った今でもずっと付き合いがあります。2020年は加藤さんと一緒にじっくり怪我を治し、トレーニングを積んだ1年と言えますね。フィジカルだけでなくメンタルも鍛えてくれるんですよ。

僕は怪我をするとなぜかいい出会いがある。2006年に怪我の手術をした時もそうで、今も海外レースへ帯同してくれるトレーナーの越中(隆雄)さんとの出会いがありました。そういった出会いが山やトレーニングへの向き合い方だったり、僕の競技人生を変えてくれるきっかけとなっています。

靭帯断裂でギプス生活を送っていた時期の貴重な1枚

手探りの生活の中での変化

N:運命の出会い! コーチは地元のレジェンドなのですね(笑)。怪我もポジティブな流れに変えていくところがさすがです。日本では3月からコロナウイルスの感染拡大が本格化し始めましたが、トレーニングや普段の生活で大きな変化はありましたか?

Y:まず子どもたちの学校が休校になり、一緒にいる時間が増えました。地元の山ではトレーニングを続けることができていたので、その点は特に問題はなかったですね。怪我が回復してやっと走れるようになってきた頃でした。でも長く続けていた「にらさきサンライズトレーニング」は県外からの参加者も多かったので、中止にしました。それ以来今まで開催できていません。フルマークス大阪店のオープンも3月にあったのですが、オープニングイベントができなくなって、いよいよ「生活が変わってしまうな」と感じ始めましたね。

N:4月には緊急事態宣言が出て、すっかり世の中が変わってしまいました。ヤマケンさんも、4月から“前に進もう”と題して、SNSの発信やインスタライブを頻繁に更新されていましたよね。

Y:3月下旬から地元の山が閉鎖になりました。駐車場が閉まって入山できない状況となり、ランニングでのトレーニングはほとんどアスファルトでしたが、唯一入れるトレイルだった穂坂自然公園にだけは自転車で通い続けました。1年間で5km 350mD+のコースを96周、合計300マイル、走りましたね。他では韮崎市にある甘利山の林道にも通いましたが、毎日20kmもロードの峠走ばかりしていたら、やりすぎて足を痛めたので、やらなくなりました(笑)

動画はFULLMARKS(フルマークス)から提案されたことがきっかけで始めました。午前中に子どもの面倒を見ながら動画の撮影と編集、午後からはトレーニングというサイクルで、おかげで4月、5月は結構忙しく過ごすことができましたね。トレーニング動画を作るために、自宅でも出来る筋トレを考えたり、じっくりストレッチをしたりするようになったのは、コロナ禍での良い変化だと思います。

2020年4月の緊急事態宣言を受けてすぐ、“前に進もう”と題し、SNSでトレーニングやボディケア、食事、ギアレビューなどの紹介をスタート。以来これまでに115回継続(2020年1月14日現在)

地元、山梨の魅力を再確認した“PASaPASA”へのチャレンジ

N:夏前には国内外のレースがほとんど中止になり、海外渡航も難しくなりましたが、GR20へのタイムアタックを断念したのはいつ頃でしたか?

Y:6月です。海外レースもほとんどが中止になっていて、会社の出張もすべて取りやめになっていたので、遠征は難しいだろうと。GR20のコースがなくなるわけではないので、いずれチャレンジすれば良いですから。チャレンジ延期を決めた後すぐに、国内でできることを考えはじめました。

N:それが、2020年のビッグプロジェクトとなった甲斐国ロングトレイル“PASaPASA”ですね。11月にチャレンジされましたが、構想から実施までが短いように思います。急いで準備したのでしょうか?

*PASaPASA=甲府盆地を一周グルリと踏破するオリジナルのチャレンジ。韮崎市をスタートし、金峰山から時計回りに甲武信ヶ岳、大菩薩嶺、御坂山塊、天子山塊を周り、南アルプス鳳凰三山・地蔵岳を最後に韮崎市へと戻る350km、累積標高25,000m。フランス語で「一歩ずつ」を意味する「PAS à PAS」と、英語で通過を意味する「PASS」を組み合わせた造語で、今回のチャレンジを表現している。

Y:この挑戦は地元の練習仲間 “山梨元気軍団”の仲間と一緒にやろうと考えたプロジェクトです。6月からすでにPASaPASAに向けて準備を始めていましたが、当初、実施時期は決めていませんでした。実は、2019年に前半部分は走っていたんです。後半を試走しようと6月に早川町エリアに行ってみると、まさかのヒルだらけ! 地元の人曰く、ヒルがいなくなるのは10月下旬頃とのこと。とにかく物凄い数で、これは夏は無理だから秋頃にしようという話になりました。

ギリギリまで日程が確定しないまま、試走を重ねました。特に早川町には何度も試走に通って、地元の方々とすっかり仲良くなりました。銭湯で美味しいおにぎりまでもらうようになりましたから(笑)。教師と生徒って卒業するとなかなか会う機会が少ないのですが、教員時代の山岳スキー部の教え子にも何年かぶりに再会できたり、今回のプロジェクトにも協力してくれて。そんな交流ができたことは嬉しかったですね。

例年なら鳳凰三山エリアを中心とした南アルプスをメインにトレーニングしているのですが、今年は試走のために色んな場所へ仲間と足を運びました。僕は1人で練習するのが苦手なので必ず誰かを誘うのですが、今年は地元の教え子達とトレーニングできたことも良かったことのひとつです。

N:PASaPASAは、過去最長距離、最長時間だったのですよね。少し時間が経った今、336km、119時間28分という壮大なチャレンジを振り返ってみていかがですか?

Y:まずは、「地元は楽しい!」ということですね。地元の山々で、地元の仲間と、自分達で考えて繋いだルートにチャレンジする。甲斐の国ロングトレイル“PASaPASA”のルートは、天気が良ければずっと富士山が見えて眺望が良く、そんなに荒れているわけでもなく、ルートが分かれば誰でもチャレンジできて、車でのサポート、アシストもしやすい。地元、山梨の魅力を実感できるすごく良いコースです。小規模でコンパクトなエリアでのチャレンジでしたけど、ものすごく視野が、世界が、広がりましたね。地元で、こんなにも楽しめるのかと。いつか、地元の山に海外レースで知り合った外国の選手を呼んで一緒に走ってみたいですね。


PASaPASAチャレンジ中は快晴が続き、移り変わる富士山の表情を見ながら走ることができた

「PASaPASAはFKTではなく仲間と踏破する新しい楽しみ」

N:2020年は海外でもトップアスリートから一般ランナーまで、それぞれの地元でのF.K.Tがずいぶん流行りましたね。

Y:大会じゃない楽しみ方は増えましたよね。今回のPASaPASAは、過酷さとかやり切った感覚のような、レースでしか味わえない感覚を別にして、「楽しさ」で言えば、今まで走ったどのレースよりも一番楽しかった。思い通りに行かないこと、計画が甘かった部分、トレーニング不足、道迷いなど色んなことがありましたが、ぜんぶ含めて、なんとも言えない楽しい時間でした。

PASaPASAはF.K.Tというわけじゃないんです。今回のルートは、おそらく僕たちが初めて踏破したはずなので、F.K.Tの記録と言ってしまえばそういう風にも言えるかもしれませんが、タイムアタックではなく仲間と共にいかにして踏破するかというチャレンジでした。

睡眠を取ることもあったり、色んな仲間が駆けつけてくれて喋りながら走ったり。新しいカテゴリーであり、新しい楽しみ方。自分の中になかった全く別の遊びを見つけたと思っています。新しいことを始められる環境と捉えれば、世の中の大きな変化も面白いもの。毎年となるとさすがに困りますが、コロナ禍であっても、できることはまだまだたくさんあると気付くことができました。

N:新しい遊びを見つけた! ということですが、2020年はトレイルランニングを始めて以来、これまでにない経験をした1年になったと思います。ヤマケンさんにとって、どんな1年でしたか?

Y:あっという間でしたね。今までならトレーニングをしてレースに出て、トレーニングをして、レースに出てという流れに乗るしかなかった部分がありますが、その流れが一旦切れたことで、違うレールに乗り換えることができた。「変化」の年でした。

トレイルランニングは2004年の北丹沢12時間山岳耐久レースが初レース。その年にハセツネカップにも出場しました。それ以来、ずっとレースに出続けてきましたし、2009年からは毎年海外レースにも出ています。今年は監修をさせてもらっているアドベンチャーイン富士見のバーティカルでは走りましたが、それ一度きり。本格的なレースに出ないとなると、16年ぶりのことです。

でも決して暇ではなく、充実した1年でした。怪我からの回復、新しい出逢い、トレーニング、チャレンジ、子供と触れ合う時間も多かった。海外に行けないのはさみしいけれど、全く違う形で、例年と同等の価値ある時間を過ごすことができました。

上: “山梨元気軍団”の仲間で今回のチャレンジに一緒に参加した菊嶋啓さんと。上から2枚目:旧知の仲である望月将悟さんも応援に駆けつけた。上から3枚目:今回のチャレンジのクライマックス、鳳凰三山、地蔵岳からトレーニングをともに行う仲間と韮崎市街地の夜景を見る。下:地蔵岳から下山したところで応援に駆けつけた家族や地元の方々と。

「海外へのチャレンジも視野に、国内を探求する1年に」

N:新型コロナウイルスの影響で先行きは不透明ですが、2021年に予定しているチャレンジはありますか?

Y:コルシカ島(GR20のタイムアタック)には、行けるなら行きたいですね。昨年同様9月を予定しているので、それに向けてトレーニングと準備はしていきます。

興味のあるレースはたくさんあります。例えば、Val d’Aran by UTMBOMAN by UTMBなどの新しいレース、最後に出てから10年も経っているUTMBにもまたいつかチャレンジしたいですし、レユニオンにはまた行きたい。激しいコースを辿るレースも、景色の良いレースも、お祭りのように賑やかなレースもどれも好き。海外の100マイルにはまだまだチャレンジし続けたいですね。

N:再び緊急事態宣言が発令されたり、渡航制限がされたりと、まだ収束が見えない世の中です。2021年もレースは開催されないかもしれません。

Y:渡航が難しいとなれば、またすぐに切り替えて、昨年のように国内でのチャレンジに注力しようと思っています。レースがなければないなりに、少人数でできることを。自分達で考えるチャレンジは、自由。何だってできる。PASaPASAにチャレンジしてそう思うようになりました。去年より難しいこと、新しいことをやりたいですね!

いままで、日々の思考はレースを探すことが中心でした。例えばジョギングをしているときも、レースのことを考えていたのが、今では、あの山とあの山を繋いで……、あっちの山はどうなってるんだろう、という風にルートのアイディアを思い浮かべるようになりました。普段から考えることが変わってきたと感じます。まだ具体的に決まったチャレンジがあるわけではないですが、とにかくやりたいことは無限にあります。

海外レース、特にヨーロッパのレースはこれまでにたくさん経験させてもらいました。でも、PASaPASAのような新しい遊びは、まだ始めたばかり。これからもっと楽しめるはずです。中田英寿さんも世界を旅した後で「日本のことをまったく知らなかった」と感じ、日本を再発見する旅に出ましたよね。僕の今の心境はそれと似ているかもしれないですね。僕はまだ山梨でしかチャレンジしていません。日本には楽しいところがたくさんあって、各地の仲間にも会える。そう思うと全然時間が足りないですね。

N:レースやイベントがなくなってできた時間で新しいことを始めたら、時間が足りないほどやりたいことを見つけたわけですね。ワクワクが伝わってきます! 2021年をどんな1年にしたいですか?

Y:レースが行われないのは仕方がないことです。レースの醍醐味が自分の成長なのであれば、普段のトレーニングで積み重ねられる楽しみを見つける。例えば、近所の坂という坂をダッシュしてタイムを計ってみる。誰かと一緒に走ったり競ったりしたければ、STRAVAのセグメントを利用して、自分から発信して遠く離れた誰かとオンラインで繋がるのも良い。山でなくても、レースでなくても、自分のアイディア次第、発想の転換で楽しみを見つけられると思います。思い切って自ら環境を変えてみれば、そこにもっとおもしろいことがあるかもしれない。

新型コロナウイルスの感染拡大をできるだけ防ぐことがなにより大事だと思いますが、その時々に合った遊びがしたい。そのためには自ら動いて面白いことを作り出していきたいですね!

あとがき
目も耳も塞ぎたくなるようなニュースばかりの毎日。先行きの見えない世の中。そこもかしこも暗いムードが漂うなか、今回のインタビューは、久しぶりにそんな気分をすっかり忘れられた時間だった。「いろんなことを諦めざるを得ない1年をどのように乗り越えたのか」なんて話は微塵もなく、2020年がどんなに魅力的だったかという振り返りに終始していた。とにかく楽しそうに話す彼の底抜けのポジティブさに、唯一無二の存在であるという再認識とともに、“強さの秘密”を見た気がした。変化を自分のモノにする力。そうして進化を続ける山本健一の2021年も、ますます見逃せない。

山本健一

1979年山梨県韮崎市生まれ。山岳部の強豪、韮崎高校でインターハイ優勝を経験。モーグル競技でオリンピック出場を目指すも信州大学2年生時に右膝の前十字靭帯を部分断裂し断念。大学卒業後、トレイルランニングを知り、2004年にハセツネCUP(日本山岳耐久レース)に出場。以来トレイルランニングに傾倒。高校の体育教師を務める傍ら、ハセツネCUP2008年大会では当時の日本記録で優勝を果たしたのを機に活躍の場を海外へ。2009年のUTMB 8位、2010年同10位入賞、2012年グランレイド・デ・ピレネーでは当時初めて日本人として海外レースで優勝を成し遂げる。2019年4月よりFULLMARKS(フルマークス)所属のプロマウンテンアスリートに。愛称はヤマケン。スマイルを絶やさないスタイルでシーンを盛り上げる。

撮影協力:chAho
山梨県韮崎市中央町10-22
TEL:0551-45-7556
chaho.jp

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