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距離を稼ぐなら意味を持って、質を稼ぐなら意志を持って

コーチに相談もせずに走った100マイル。長距離の走り方を完全に忘れてしまっていることがショックだった。ロングレースには欠かせない省エネな走り方ができなくなっていて、最初からスピードを出しすぎて(抑えられず)30~40kmで一度脚が終わってしまった。最近では痛くなることのなかった膝や腸脛、足裏の疲労といった初心者的な違和感もあった。潰れてからの復活の手順も間違って、エネルギー補給が後手後手となり、度々ハンガーノックになった。レース感覚が完全に鈍ってしまった。

「トレーニングの期分け」は、同時に複数の能力を伸ばすのは難しく非効率であるという考え方だ。だからこそスピード期は目的が異なるLSDなどの練習を控えて徹底的にスピード練習に集中する。もし日々のランニングを自由気ままなものではなく、目標に対するトレーニングと位置付けるならば、それぞれの練習に意味を持ったほうがいい。ただ速く走るだけではなかなか成長に繋がらない。欲張ってあれもこれも伸ばそうとしても、どれも伸びない。それは理解している。でも、自分の持ち味が衰えてしまうことは一時的だとしても受け入れがたかった。できることなら、持久力は維持しながら、スピードを付けたい。失ったように思える持久力や距離耐性を、もう一度取り戻したい。そんな感情のぜんぶをコーチにぶつけた。ちょっと勢いまかせに言ってしまったかもしれない。

「なるほど、そうだね。わかった、ベースとなる体力を伸ばそう」

100マイルの翌週からわたしのトレーニングは180度方向転換した。スピード練は週1回になり、スケジュールにはLSDの文字が並ぶことになった。“100マイルの次は仮想100マイルね”とコーチは言った。100マイルの後、ほんの数日のレストのみで間髪入れずに1週間の累計で100マイルを走った。5月は1週目101km、2週目148km、3週目74.8km、4週目107km、最終週は137kmと距離を積みに積みまくり、たったの1度も山に行かずして月間500km、55時間を超えた。

やはり期分け理論は正しかった

スピード期を持久力向上期に変更したことで、今度はみるみるスピードが衰えた。距離耐性が付くのと反比例して、毎週のヒルスプリントとインターバルの調子は伸び悩む一方でもどかしかった。やっぱり両立はできないんだ。先人達が何百何千人と経験した上で支持されている手法はやっぱりちゃんとした理由がある、ビギナーがちょっと練習したくらいでとやかく言うのは早すぎる! と突きつけられているようだった。数字で管理しているだけに、数字で一喜一憂する。でも弱さを受け入れて、克服していかないといつまでも変われない。「自分の望む姿」は足し算だけでは成立しなかった。コーチの目的通り、5月の1ヶ月間で基礎体力はしっかり付いたが、うまく走れない葛藤とスピードの伸び悩みはやっぱり憂鬱だった。

思い通りにいかない時、いかに自分のゴキゲンを取れるか

思い通りに行かないのは、練習だけじゃなかった。「やっぱり中止かぁ」「返金されないなんて!」「あのレースならやるかな?」「6月は大丈夫じゃない?」そんな会話が遠い昔のような気がする。いまや、レースやイベントの中止が発表されても、みんな静かに受け入れて騒がれることもなくなった。それどころか旅行も、ショッピングも、飲み会も、ちょっとしたお出かけさえもできなくなるなんて、誰が想像できただろう。これまでも自然災害で生活が一変することはあった。でも、どこかに逃げ場があったように思う。それが、こんなにも全世界で一斉に生活が制限されることがこの世に起きるなんて。

自分要因ならまだしも、環境要因によって立ち行かない時「なすすべなし!」と身体も心も止まってしまう。めちゃくちゃ頑張って打ち込んでいた人ほど、プツリと糸が切れて修復不可能な状況に陥りがちなんだと思う。1月、2月と良い結果が出ただけに、周りの反響は大きかった。その度に「どこかに必ず落とし穴がある、はまらないように、石橋を叩くことを忘れないようにしないと」と恐れていた。世の中、うまい話なんてそうそうない。うまくいきすぎていることに不安を抱えていたけれど、まさかこんな形で行く先を阻まれるとは思わなかった。

練習に燃えていた火種である「レース」を失って、わたしもテンションはガタ落ちだった。逆に、こういう時にこそ好きを貫き通せる人が強いんだ、という想いもあった。身体は正直だから、心が健康でないとうまくいかない。そんな時、器用さと立ち回りは大事だ。

わたしはテンションを上げるために、むさぼるようにスポ根映画やアニメを観た。きっかけは、『栄光のマイヨジョーヌ』というサイクルロードレースのドキュメンタリーだった。ロードレースの知識は皆無だったけれど、感激して何度も観た。メンバーそれぞれが色んな壁にぶち当たりながらも、グッと耐えて耐えて耐え忍んで、地道な努力で求めるものを手にしていく様は、今の世の中で生き抜く強さを反映しているようにも思えた。スポ根系の多くは、ダメな人が努力の末に結果を出すストーリーになっていて、凡人タイプのわたしにとって自己投影しやすい。突き抜ける姿も気持ちが良く、単純だけど「がんばろう」って思える。最近の作品は現実離れしたような成功の仕方は少なく、すべてがハッピーエンドではない。でも主人公はあきらめない。案外リアリティがあるのだ。

そういうものが好きだからかもしれないけれど、自分で自分の理想を描くのも好きだ。走っている時に何を考えているのかとよく聞かれる。こっぱずかしいからあんまり言いたくないんだけど、「かっこいい自分」を思い浮かべて酔いしれていたりする。馬鹿だって思うかもしれないけれど、そうやって自分のゴキゲンを取るのだ。

ほとんど人に会うこともなく過ごした緊急事態宣言前から全面解除までの約2ヶ月、色んな葛藤はありつつも、脚を止めることはなかった。LSD月間が良かったのかもしれない。とことん好きなことをやるに限る。ただ、「長く走る」のは満たされすぎて、ちょっとお腹いっぱいだ。そろそろまたしょっぱいものが食べたい。

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中島英摩

中島英摩

京都府生まれ、東京都在住。登山やトレイルランニングの取材・執筆をメインとするアウトドアライター。テント泊縦走から雪山登山まで1年を通じて山に通うほどこよなく山を愛する。トレイルランニングではUTMBやUTMF、トルデジアンなどのメジャーレースでの完走経験を持つ。昨年11月、つくばマラソンを3時間27分40秒で完走、今年1月の勝田全国マラソンで3時間10分27秒に大幅更新。翌週奄美大島で行われた100kmレース「奄美ハナハナウルトララン」で優勝するなど、目下絶好調。