fbpx

先生の言うことを聞かない子

フルマラソン3時間15分切りのターゲットは、秋のつくばマラソンにした。ウルトラマラソンは、サロマ湖100kmウルトラマラソンだ。でも一発勝負はさすがに難しいだろう。腕試しとして、1月の勝田マラソンと2月の奄美でのウルトラを走ることにした。勝田は、走るからには3時間20分を切りたかった。2ヶ月前につくばマラソンで出した記録は3時間27分だ。20分に特に根拠はない。25分より20分のほうが、キリがいい感じがするからだ。

コーチから指定されているスピード練のタイムが3時間25分~30分くらいの設定だと気付いていた。ダニエルズのランニング・フォーミュラという理論を採用しているため、目標タイムではなく、今の自分の走力を基準にしてタイムが組まれていることも理解していた。

でもわたしはどうしても20分が切りたかった。自分で3時間17分くらいのペースを計算して、それを目標に練習メニューをこなした。インターバルでは、後半で落ちたら意味がないと言われていたから、必死でビルドアップするように走った。全く余裕がない自分に毎回がっくりしながら練習を終えた。勝田マラソン前の5日前に行った 400mレぺテーションはものすごく辛かった。初日にやったメニューだ。

1週目 102-100-104-98-100-98(秒)
3週目 82-87-87-86-89-89

400mを89秒だとすると、ダニエルズさん曰く、理論上フルマラソンは3時間14分あたりの実力ということになる。これは後から計算して分かったことで、当時わたしにそんな余裕はなかった。この日は雨でとにかく寒くて、脚が冷たくて、身体が動かなくて、顔が濡れている理由が雨なのか汗なのか涙なのかわからないほどだった。
「調子がよくない」
そんな風にコーチにぼやいていた。そりゃそうだ、言うことを聞かなかったんだ。故障をしなかったのが幸いとしか言いようがない。

思わぬ記録は奇跡か実力か

コーチングが始まって3週目の日曜に、人生二度目の本気で走るフルマラソンを迎えた。目標は、3時間20分切りだ。昨年11月に悶えながら達成したサブ3.5の記録を7分40秒も縮められるだろうか。

スタート地点では、便所サンダルを履いた人や着ぐるみの人、高校のジャージみたいな上下の人がいた。なぜならわたしは最後尾のHブロックだった。混沌とする群衆のなかで、絶対あきらめない、最後まで絶対あきらめない。そう唱えていた。ちょっと気合いが入りすぎていたのかもしれない。5kmを越えたあたりじゃないかと思う。計測マットを踏んで時計に目をやった瞬間、目の前が真っ暗になった。

「キャー!」

周りが騒然とするほどド派手に転倒した。手で膝を押さえると傷口が滲みる。血が流れているかもしれない。腰も打ったと思う。でも、ぺっぺとツバをつけて走り出した。見たら終わりだ。転んだことでなぜか猛烈に火がついて、そこからは自分の身体がどうなってしまったのかよくわからないほど気持ちよかった。

ストライドが大きすぎてもいい、上下動が大きくたっていい、今はとにかく自分が一番気持ちいいと思う走り方でのびやかに走ることにした。気持ちよすぎて、ペースが遅いんじゃないかと時計を見るも、むしろ予定より速い。20kmを過ぎ、30kmを過ぎてもペースは落ちなかった。なんでだろう?おかしいな?勝田の風は向かい風だって聞いていたけど、今日は追い風か?

気付けばわたしは朝いた会場に佇んでいて、「脚、大丈夫ですか!」「すいません!この方を救護に!」とスタッフ囲まれていた。視線の片隅で黄色いデジタル時計の03:13:XXという数字が見えた。

2020.01.26 勝田全国マラソン
GROSS TIME 3時間13分17秒
NET TIME 3時間10分27秒

・・・今年の目標を3週間で達成してしまった。

次のページ 初めてのウルトラマラソンは、本気の腕試し

中島英摩

中島英摩

京都府生まれ、東京都在住。登山やトレイルランニングの取材・執筆をメインとするアウトドアライター。テント泊縦走から雪山登山まで1年を通じて山に通うほどこよなく山を愛する。トレイルランニングではUTMBやUTMF、トルデジアンなどのメジャーレースでの完走経験を持つ。昨年11月、つくばマラソンを3時間27分40秒で完走、今年1月の勝田全国マラソンで3時間10分27秒に大幅更新。翌週奄美大島で行われた100kmレース「奄美ハナハナウルトララン」で優勝するなど、目下絶好調。