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新型コロナウィルス感染症拡大予防のため、一般の部を中止し、エリート部門のみの開催となった2020年の東京マラソン。いち早く大会規模縮小を発表したものの、その後の社会状況の急変により、むしろ槍玉にあげられることも少なくなかった。編集部でも参加予定のメンバーは泣く泣く決定を受け入れたし、多くの人が出走や沿道での応援を諦め、エリートの戦いをTV中継中心に観戦することになったのはご記憶の通りだ。

それによって、より鮮明になったのは東京五輪へ向けた、選考レースとしての意味合いだ。最後の1枠を懸けたMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)ファイナルチャレンジの舞台として、男子には福岡国際マラソン、東京マラソン、びわ湖毎日マラソンが用意されていたが、巷では最も高速な東京マラソンが本命の舞台になるだろうと目されてきた。その予想通り、スタートラインには日本記録保持者大迫傑を筆頭に、前記録保持者の設楽悠太、実力を評価されながらMGCで自分の走りができず悔しい思いをした井上大仁が顔を揃えた。

選考基準はシンプルだ。設定記録2時間5分49秒(大迫の持つ日本記録)という高いハードルが設けられ、これを越える選手がいなかった場合はMGC3位の大迫が出場権を得ることになる。挑戦する選手たちは最低でも2時間5分49秒を目指さなければならない。東京マラソンのレースディレクターもそれに応じたペーサーを用意し、MGCの駆け引き重視のレースとは違い、タイムを狙う高速レースの舞台は整っていた。

世界との戦いに挑んだ井上大仁

レースがスタートして1kmの入りは2:55/kmとペーサーの設定通りのハイペース。大きな集団のまま進むが、4kmあたりの下り坂で先頭集団が形成されつつあった。この集団の前寄りに井上大仁がつけ、トップのハイペースについていく姿勢を見せると、大迫傑は集団の後方に陣取り、いつも通り様子を伺う展開となった。MGCで驚きの飛び出しをみせた設楽悠太は、このハイペースの集団についていくことはせずに次のペースメーカーに合わせ第2集団に。ここに村山謙太や佐藤悠基もついている。

事前の記者会見で目標タイムを2時間4分30秒と掲げた井上は、その理由を「世界と戦うために頭に入れておくタイム」と答えた。MGCの悔しさをバネに積み上げてきた練習に自信が持てていたのだろう、その言葉通り前回大会覇者で世界歴代3位のマラソン記録を持つビルハヌ・レゲゼや、2時間3分台の記録を持つシサイ・レマといった選手が構成するレベルの高い集団の中でしっかりとした走りを見せる。2:55/kmを維持しながらも表情に余裕が感じられる井上に2時間4分台も有り得ない話ではないと思わされた。

結果を左右した冷静な判断

門前仲町の折り返しまではレースは安定して推移した。特筆すべきはそのペースで、第二集団ですら日本記録を上回るスピードで展開する。レースが動いたのは24km地点に至るところだった。スピードがあがったのか、縦に長く伸びてきた先頭集団の中で大迫が遅れ始める。誰もがここで思い出したのが、昨年の東京マラソンでの失速だろう。冷たい雨の中の厳しいレースで、大迫はこのあたりから遅れ始め、30km過ぎたところで走るのをやめた。

大迫自身にも去年と同じ場所だ、という意識はあったというが、焦りはなかった。

「前半から速いなとは思っていたんですけど、いっぱいいっぱいで離れたというよりは、このままではゴールできなそうだから、いったん自分のリズムでリラックスしようと思って離れた感じなんです」とその時の状況を振り返る。

選考のライバルである井上を逃がすことに恐怖はなかったのかとたずねると「特に対井上選手というのは考えていなくて、自分と対話をしてしっかりゴールしようと。まだ15km、20kmという距離があったので、無理するとゴールできないなと考えました」と冷静な判断だったことを伺わせた。

結果的に、この場面での先頭のペースは2:52/kmまであがっていた。この振り落としに付き合わず、自分の体と対話しながらペースを保ったことが、あとから振り返ればレース結果を分ける判断となったといえるだろう。

ケニアで培ったひとりで耐える走り

この後の名場面に、言葉を尽くす必要はないだろう。敢えて集団から離れ、力を蓄えた大迫は先頭から離れ、ややペースを落としていた井上のいる集団にぐんぐん迫っていく。32kmを過ぎたところで大迫が追いつくと、井上は振り返りこそしなかったものの、気配を感じたのかその表情はみるみる厳しくなっていた。しばらく集団の様子をみた大迫はペースを緩めず、そのまま抜き去った。

「追いついた時に集団のペースが遅かった。集団が井上選手も含めてきつそうだったので、チャレンジしてみようかなと。いつもなら休むところですけど、ケニアでひとりで走り、ひとりで耐えることに慣れていたから残り10km(ひとりで)いけると考えました」と語るように家族と別れ、多くの犠牲を払って敢行したケニア合宿の成果がここで発揮された。

残り2、3kmで自身の日本記録越えを意識した大迫は、ペースを崩すことなく力強く42.195kmを駆け抜けてゴール。初マラソンのボストンのように、ガッツポーズで感情を露わにした。大迫の弟、隼也さんは後にtwitterで「兄貴とマラソン後会った時に「主人公は俺だ」って思い続けたら形になったって本人が言ってた。単純にだいじなことだなっておもった。」とツイートした。それはこのレースの間だけの話ではなかったのではないか。MGCで悔しい思いを味わった後、いや競技を始めた時から大迫にとってのマントラだったのかもしれない。

ファイナルチャレンジは日本人のボトムアップの起爆剤となった

大迫の華やかなゴールの後も中継を見続けていた方は、きっと驚いたに違いない。トップに絡んだ外国人選手から間髪を入れずに続々と日本人選手がゴールしてきたからだ。ヤクルトの高久龍が2時間6分45秒で大迫に続くと、大塚製薬の上門大祐も6分台でゴール、7分台には実に7人の日本人選手が入った。その中には先日、丸亀ハーフでハーフマラソン日本記録を残した小椋裕介や下田裕太という青山学院で活躍したふたりや、設楽悠太も含まれていた。

大迫の日本記録更新もまた、30kmまで高速で引っ張った井上の活躍があってのものといえる。MGCとファイナルチャレンジは、この世代の選手たちに活躍の場と強いモチベーションを与え、長く停滞してきたマラソン界を強く刺激した。地元開催の東京オリンピックの3つの枠はこれで決まったが、マラソンファンはこの次のオリンピックに向けても、さらにその先にも、熱狂が待っていることを予感させてくれたのだ。

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