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1980年代からすでにシューズのイージーオーダーにも対応していたように、常に“人ありき”でものづくりを考えるアシックス。創業者、鬼塚喜八郎が亡き後もその心は受け継がれているか。アシックスシューズ史のターニングポイントともなる〈METARIDE〉の誕生と、それに続く“RIDE”シリーズの制作ストーリーに触れ、今一度ブランドのあるべき姿を知る。

新神戸駅から地下鉄、西神・山手線へ乗り継ぎ30分強、子育て世代向けに開発されたニュータウン、西神中央駅へ到着する。さらにTAXIに乗り換え、今回の目的地へ。ドライバーのおじいさんに行き先を告げると「お仕事ですか?」と問いかけらる。その反応のスピードにこちらも反射的に取材であることを告げると「できてからもう30年になります」と、施設ができてからのことを誇らしげに話してくれた。

目的地は〈アシックススポーツ工学研究所(Institute of Sport Science、以下:ISS)〉。1990年に「研究に集中できる場所」として現在の場所へ移管された、アシックスのイノベーションの中枢。魂ともいえる場所(正確には1977年に、当時は大阪にあった本社でアパレルの研究を行う研究部門として<シューズ開発部門は1980年に>発足し、その後本社のポートアイランド移転に伴い、シューズ開発部門と統合)だ。

〈ISS〉を訪ねたきっかけは昨年9月、ユタ州・ソルトレイクシティで行われた〈GLIDERIDE〉のローンチイベントで、研究所の所長である原野健一さんとの会話に遡る。

「METARIDEはアシックスの科学技術の結晶のようなものなのです」。

トップ選手と共にあったアシックスと〈METARIDE〉の位置づけ

現在日本陸上競技連盟強化委員会のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーである瀬古利彦さんを筆頭に、中山竹通、谷口浩美、森下広一、有森裕子、高橋尚子、野口みずき……。オニツカが初めて世界のトップ選手を能動的にアプローチしたラッセ・ビレンや創業者・鬼塚喜八郎とも親交のあったロサ・モタ、ジェリンド・ボルディン、ワレンティナ・エゴロワなど、オリンピックメダリストを中心に、アシックスのシューズを履いて活躍した選手は枚挙に遑がない。そしてほとんどのランナーの足元にあったのはソーティ(例外的に〈TARTHER〉と〈SORTIE〉をコンビにしたモデルもあったが)。

一方で〈GEL-KAYANO〉を筆頭にして〈GEL-NIMBUS〉〈GT-1000〉のようにアシックスは市民ランナー、エントリーユーザーをサポートするプロダクトも多数発表してきた。加えて、ここ数年は、豊洲にオープンした低酸素トレーニングジム「ASICS Sports Complex TOKYO BAY」や「ASICS RUN TOKYO MARUNOUCHI」に代表されるランステなど、施設運営(トレーニング環境の充実)を強化。歩くことをテーマにした書籍『究極の歩き方』の刊行なども行っている。最近のアシックスからは“人の健康”に重きを置いている印象を受けていた。そして2018年の〈METARIDE〉の発表。

〈GLIDERIDE〉ローンチイベントの際、原野さんは「〈GLIDERIDE〉はより多くの人に履いてもらうために〈METARIDE〉の技術をより一般的にわかりやすくしたもの」。と説明してくれた。それだけ“エナジーセービングファミリー”への思いが強いことは理解できたのだが、スピードを追求する姿勢が、一度脇に置かれた印象を受けたのも事実だった。

例えばサブ3ランナーやサブ4ランナー、もしくは日頃のエクササイズとして走るランナーへ向け、トップランナーが履くシューズに詰め込まれたテクノロジー、技術をトップダウンすることはあっても、ボトムアップする考えを強く示されたことは(他社含め)これまで記憶になかったからである。

なぜアシックスは〈METARIDE〉を作る事になったのか?当時はまだオフレコだった〈EVORIDE〉の開発準備の話も聞き、“エナジーセービングファミリー”が一つの完結を迎えるまでのストーリーを聞くことができれば、自ずと今のアシックスがどこへ向かっているのか、“未来図”が見えると考えた。〈ISS〉を訪ねたのは、ここに来ればその未来図をより理解することができると考えたためだ。

(上)施設内にはリアルなフィールドテストのため、タータンのトラックを完備。インドア、アウトドア両方の環境が用意されている。 (下)コンティニアス(継続的)とディスラプティブ(革新的/破壊的)、2つのイノベーションを標榜し、あらゆるスポーツの発展を図る施設、ISS。閑静な住宅街にひっそりとある。

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