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プロのアスリートとして

スカイランニング世界選手権 U-23カテゴリーの優勝、〈CCC〉の2位、アメリカの〈Gorge Waterfalls 100K 〉では大会新での優勝と、上田は社会人1年目の2016年を好成績を残した。今現在もまだ26歳だが、この頃から業界のトップを走る者として、責任感ある言動が多くなったように思う。今ではコロンビアスポーツウェアジャパンのバックアップを受け、多くの企業のサポートを受ける。彼が考えるこの競技のプロアスリートとは。

「〈CCC〉で2位に入ったあたりから、もっとこの世界でプロとしてやっていく未来を考えなければいけないなと考えるようになりました。競技力を伸ばすためにスポンサーについてもらい、その収入で稼いで、競技に集中、専念できる環境、形を、自分で作る。僕がプロトレイルランナーとして目指すべき姿です。若い世代がこの世界で食っていける道を示すことで、若い選手の裾野も広がると思うし、夢のある競技になっていくと思っています。その道を示すのが僕の役割。

今も大迫さんとは連絡を取り合いますし、海外での生活のこととか参考にさせてもらうことは多いです。実際高校時代1年間一緒に寮生活を共にさせてもらって、その頃は僕の競技レベルが低かったし、怪我ばかりでしたし、どうやっても勝てない差がありましたけど、ただ見れて本当によかったと思っています。生き方というか何にでも挑戦していくところだったり、信念を曲げないところだったり。あの頃から一番に対する執念が強くて、その姿を見て、どんな風にすればTOPに立てるのか、教えてもらったように思います。真似できるかどうかは別として、あとは同じようにやるだけなので。僕は僕のフィールドで同じような存在になりたいですね。大迫さんは僕にとって最高のお手本。一緒に過ごせた時間は貴重な時間です。

キリアンもそうでしたし、ヨーロッパは若いうちはスカイランニング、30歳を超えてから長い距離に挑戦するのが主流です。ロードも10000mが早くないとマラソンで勝てない時代になってきていますし、それと同じ現象が山でも起きている。僕が活躍して動画に出るようになって、見るようになった人が増えたみたいなんです。スカイランニングって面白そうって。僕は僕で活躍することを仕事として、見るスポーツとしてのスカイランニングの裾野を広げられると思っています。

それから、学生時代に結果が残せなかった人でも、純粋に走ることが好きで楽しんでいる人、そういった人たちへスカイランニングという新しい道筋があることを示したい。楽しんで続けていれば必ず道は開けると思っています。楽しんで走る人の未来としてスカイランニングを」。

(上)(下)地元である長野・大町市で開催している鷹狩山トレイルランニングレースでは「子どもたちに走る楽しみを知ってもらいたい」と運営に携わる。第二の上田瑠偉はこの町から生まれるかもしれない。

上田瑠偉 2020-


・2020年 スカイランニング世界選手権 3位以内
・2021年 トレイルランニング世界選手権 優勝
・2022年 スカイランニング世界選手権 優勝
・2023年 ウルトラトレイル再挑戦
・2024年 UTMB TOP10
・2026年 UTMB 優勝

SWS優勝という夢を前倒し、上田の未来予想図は書き換えられた。来年春にはシャモニーへ移住することも公表した。彼は決して大げさなことは言わないが、周りが「それは難しいんじゃないか?」と思うことを目標に掲げる。そして負けようが、怪我をしようがトライし続け、夢を成し遂げる。本物のプロフェッショナルだ。旅立つ前の国内最後のレースは今年のSWS初戦と同じ〈粟ケ岳スカイレース〉。スケジュールは4月18日(バーティカル)と19日(スカイ)だ。上田の走りはスカイランニングの魅力、見る楽しみを与えてくれる。世界の頂を獲った男の、世界一の先を目指す男の勇姿をぜひ見に行ってほしい。

「2021年にトレイルランニングとマウンテンランニングの世界選手権が行われることが発表になったので、チャンスがあれば獲りにいきたいと考えています。それからまだ先ですが〈UTMB〉を獲りたい。効率の良い下り方だとか、スカイランニングで培った技術は間違いなく100mileの世界でも生きると思っています。今はまだスカイランニングを中心に自分を磨きますけど、2026年をひとつの目標に。いずれにせよ来年は環境がガラッと変わるので、環境に慣れる事が第一。SWSで優勝したからといってモチベーションが下がるようなことはありません。まだ始まったばかり。ここからが本当の勝負だと思っています」。

RUY UEDA

1993年、長野県大町市生まれ。佐久長聖高校出身。度重なる怪我により3年間満足に走れずに卒業。早稲田大学に進学するも競争部には入部せず、「楽しんで走りたい」との想いから陸上競技同好会に所属。「10代最後の思い出づくり」として出場した『柴又100K』でコロンビアスポーツウェアにスカウトされ、トレイルランニングを始める。 2014年の日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)で大会新記録で優勝。その記録は未だ破られていない。 2016年からスカイランニングの世界へ。U-23世界選手権で優勝、アジア選手権も制覇。今年悲願にしていたSWSでの総合優勝を勝ち取る。瑠偉の名はサッカー“ドーハの悲劇”があった1993年、10番を背負っていたラモス瑠偉から取ったもの。正式にはは“RUI”だが、ラモスの英語表記がRUYだったことから、レースネームでは“RUY”と表記する。

【上田瑠偉 ブログ】 Don't think, feel