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勝負の10月

「9月のはじめにキリアンがTwitterで練習メニューを公開したんです。平地でのトレーニングメニューも公開したんですけど、そのタイムがめちゃくちゃ速かった。感化されて、7年ぶりにスパイクまで買いました(笑)。9月はトラック練習ばかりやっていましたね。遠征に入るまでに山に行ったのは2回のみ。しかも1時間ずつだけです。スカイピレネーで現地入りして、試走した後は案の定久しぶりの山のおかげで筋肉痛になって、ちょっとまずいなとは思いましたけど、ピレネーからスカイマスターズまでは2週間、向こうに残って現地生活していたので、その期間を使って山にアジャストしていけました」。


<SWS 2019 最終戦〈スカイマスターズ〉前のランキング>

1:オリオル・カルドナ(スペイン) 500pt
2:上田瑠偉(日本) 490pt
3:ザイード・アイト・マレク(スペイン) 460pt
4:ジョナサン・アルボン(イギリス) 450pt
5:ダニエル・アントニオーリ(イタリア 430pt
6:ベナ マルミッソーユ(フランス) 324pt
7:アンデル・イニャーラ(スペイン) 296pt
8:ペーレ・アウレリ(スペイン) 272pt
9:キリル・ニコロフ(スペイン) 258pt
10:ティボー・ガリビエ(フランス) 248pt

第15戦のスカイピレネーは膝の影響を考慮して大事をとったこともあり久しぶりのレース。最終戦に向けてレース感覚を取り戻すためのいわば調整レースだった。無理をして怪我をしてしまうようなリスクを犯さないことが大前提。優勝争いをするライバルたちもすでに4レースを揃えていたし、ポイントが倍になる〈SuperSky Race〉もすべて終了。実際年間ランクトップを争うオリオルと上田は、スカイピレネーでそれぞれ3位と4位となったが、2人ともそれまでに揃えた4レースの方がポイントが高く、ランキングへの影響はない。最終戦〈スカイマスターズ〉はポイントが2.5倍のため(優勝すれば250ポイントが加算)、可能性としては9位につけるキリルまでチャンスがある混戦。すべては最終戦の結果次第となっていた。

上田はこの時のブログを『ブレブレ』とし、その難しい心情をこう綴っている。


“今回の一番の目的は、2ヶ月レースから離れていたので最終戦に向けてレース感を取り戻すこと。
でしたが、今回のレースで年間ランキングが大きく変わることはないこともあり、走っている間、

サロモンの選手に勝ちたい。

けど今日は無理することない。

ダニエルに勝たせなければそれで十分。

いつからお前は打算的になったんだ。

いつだって挑戦者だろ。

攻めるのか?

一番の目的はなんだ?

本当に勝たなきゃ行けないのは次だろ。

でも負けたくない。

などと、レース中のメンタルはブレッブレでした。

20kmあたりではまだ見える範囲にジャンとスティアンがいたのでしっかり気を保てていましたが、ちょこっとコースを間違えた隙に二人が見えなくなり、オリオルに抜かれると、ポキッとメンタルが折れ、あとは流せばいいやなどと甘い考えに。

久しぶりのレースだったし、最近は山に行ってない割にはよく走れた方ではあったけど、下りに入って離されてたら追いつけないな、という精神的弱点がはっきりしてしまった。もちろん、下りはこっちの選手に比べて上手くないという自覚はあったし、それを踏まえてこれまでは登りで攻めて貯金を作るスタイルでやってきたけど、今回スタート時の戦略でこれまでの勝てるパターンを捨てたことで走りの収穫以上にメンタルのダメージの方が大きかった。(下りで勝負したいと思っての今回の戦略だったけど、下りに入る前にロストして離されるという残念な展開でした。)

ごちゃごちゃしてきた。
要は、

ハングリー精神が足りなかった。
負けん気が足りなかった。
勝てなくてもいいなんてプロとして失格だろ。”

※原文ママ

そして10月19日の最終戦。彼は本当にやってのけた。ゴールシーンの写真は日本の、世界のスカイランニング史に残るモーメントだったと思う。使い古された表現だが、感情を爆発させるとはこのことだ。上田瑠偉があんな表情を見せるとは。

「勝つ自信もなければ負ける理由も見当たらなかった。うまく言えませんが、それが本心です。ウルトラに身を置いている人の精神かと思うんですけど、自分の実力を100%出すことだけにフォーカスしていまいた。最終戦まで年間ランキングの5位以内は特に混戦状態で、誰が最終戦で勝っても優勝する状態。そうはいってもひとつのレースに勝利して参加している有力選手もいたので、そういった選手に最終戦を勝たれてしまう可能性もありましたし、僕自身最終戦を優勝しなくても、他のランナー次第で総合優勝する可能性もありました。でもそれでは納得がいかない。僕がそうだし、周りもそうだと思う。この混戦の中で最終戦を勝ちきって年間王者を勝ち取る方がかっこいいし、気持ちもスッキリする。どんな展開であろうが、シンプルに、勝つこと。それだけでした。

最終戦はこれまでで最高の走りができました。最後からひとつ手前の下りでオリオルが追いついてきているのが分かった時は『マジかよ』と思いましたけど、登りで攻めて下りでしっかり逃げ切る、今年磨いた自分のレーススタイルを最初から最後まで貫く事ができたので、このレースをして負けるならしょうがないかと思えました。実際その下りで一度は抜かれて、最後の登り返しで僕がもう一度アタックを仕掛けて、引き離し、逃げ切りました。差はたった12秒です。オリオルとは今年ほとんど出たレースが重なって、勝っては負けてを繰り返してきました。彼が後ろから追ってくるというプレッシャーの中で走ることで成長できた部分があると思っていますし、僕のレーススタイルも作られたと思っています。感謝ありません」。

(上)onyourmarkでも速報でお届けした藤巻翔さん撮影の1枚。この1瞬しかない最高の瞬間を切り取った。(下)総合優勝から一夜明け、トロフィーを持っての記念撮影。充実感とともにあどけなさも残る笑顔。逞しくなったとはいえまだ26歳、これからがさらに楽しみだ。

改心のレースができたことに続けて、彼は興味深い話をしてくれた。

「今はもうハセツネで2014年に出したタイムは超えられません。コースに階段が増えたり、走りづらくなったりとかそういうことが理由ではなく、あのタイムはゾーンに入っていたから出せたんだと思います。2014年より、明らかに山力もついて、強くなっているのは間違いないですけど、的を得ているかは分かりませんが、力がついたからこそ、ゾーンに入れなくなっているのかなと思います。でもだからこそゾーンに頼るようなことはしたくない。言い方を変えればゾーンに入った時と、実力の最大値の状態を限りなく近づけたい。準備をして、再現性が取れるように。ゾーンに入ると多分実力以上のものが出ます。でもそれは体の負担も大きいし、それをシーズンに何本もできないと思う。ゾーンに入らずともそれに近いハイパフォーマンスができるようにする走りができるようにすること。それは来シーズンのひとつのモチベーションです」。

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RUY UEDA

1993年、長野県大町市生まれ。佐久長聖高校出身。度重なる怪我により3年間満足に走れずに卒業。早稲田大学に進学するも競争部には入部せず、「楽しんで走りたい」との想いから陸上競技同好会に所属。「10代最後の思い出づくり」として出場した『柴又100K』でコロンビアスポーツウェアにスカウトされ、トレイルランニングを始める。 2014年の日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)で大会新記録で優勝。その記録は未だ破られていない。 2016年からスカイランニングの世界へ。U-23世界選手権で優勝、アジア選手権も制覇。今年悲願にしていたSWSでの総合優勝を勝ち取る。瑠偉の名はサッカー“ドーハの悲劇”があった1993年、10番を背負っていたラモス瑠偉から取ったもの。正式にはは“RUI”だが、ラモスの英語表記がRUYだったことから、レースネームでは“RUY”と表記する。

【上田瑠偉 ブログ】 Don't think, feel