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スカイランニングワールドシリーズを年間通して戦いきり、世界一へと登りつめた上田瑠偉。後編は世界王者を獲る10月までの時間とプロアスリートとしての考え、上田瑠偉の強さと魅力、積み重ねてきたバックグラウンドを。そして2020年の先、未来の話を。

膝の怪我と高校時代


第1戦 粟ケ岳スカイレース(日本) 優勝
第3戦 トランスバルカニアウルトラマラソン(スペイン)★ DNF
第6戦 リビーニョスカイマラソン(イタリア)★ 優勝
第8戦 バフエピックトレイル(スペイン)★ 4位
第9戦 ロイヤルウルトラスカイマラソン(イタリア) 3位
第12戦 マッターホルン ウルトラックス(スイス)★ DNS
第15戦 スカイピレネー(スペイン)4位
最終戦 ザスカイマスターズ(イタリア)優勝

〈マッターホルン ウルトラックス〉で上田は今年唯一、DNS。コース試走の際に右膝が腫れ、現地の病院で診察を受けたところ「靭帯が緩んでいる」とのことだった。痛めた箇所は昨年負傷した箇所と同じ前十字靭帯であり、マッターホルンのほか〈OCC〉(〈UTMB〉の56kmカテゴリーのレース)など4レースの出走を全てキャンセルし、帰国する。

昨年夏、上田はこの前十字靭帯を痛め、SWSを途中離脱、後半戦を棒に振る。

「「あの時は調べていくうちにナーバスになりましたし、周りからも『前十字やったか』みたいに言われましたけど、不幸中の幸いなことに僕は断裂はしなかった。断裂したら手術一択ですが、僕の場合は損傷で済んだんです。靱帯は血管が通っていないので切れたら自然治癒はないんですけど、僕はちぎれたところが残っていたので血流が通ったんですよね。そのおかげでちぎれたところが少しずつ癒着して、元の太さまではいかないまでも、十分な強度を持つまでに回復してくれました。受傷して1,2ヶ月はまだ手術の可能性があったので、そうなると来年の夏まで棒に振っちゃうなあとか、落ち込むこともありましたけど、最後の手段として、手術すれば治るとわかっていたので気は楽でした」 。

幸いなことに帰国後の検査では特に問題なしとの報告。もしそのまま出走していたらどうなっていたかはわからないが。これは神様からの“休め”のサインだったのかもしれない。

「リハビリでは可動域テストがあるんですけど、そこであまりにも左足とのギャップがあったら、緩すぎて膝がガクッとバランスを崩すこともあると。医師からはそうなった場合は手術をしようと言われていたんですけど、大したギャップもなく、自己修復で回復を図ることにしました。

膝の腫れはおそらくオーバーユースから。7月は国内、海外合わせて4連戦でしたし、復帰シーズンにも関わらず、レースに出過ぎてしまっていたように思います。ただ、終わったあとだから言えることですけど、ここで一呼吸置けたのは本当に良かった。すでに4レース、ポイントを揃えていましたし、シリーズ最終戦へまでの間、しっかり準備する時間を作ることができました」。

大怪我の可能性もあったにも関わらず、驚くほどポジティブなことに関心するが、それには理由がある。取材中、この時だけは苦い顔を見せたのが印象的だった。

「走れば必ずどっかしらが痛くなるし、すぐ疲労骨折するし、もう何が何だか。高校時代は本当に苦しかったですから。原因が全くわからないまま、3年。競技力はもちろん上がらないし、光が見えない闇の中をずっと走っていた感じでした。あの頃の経験があるから昨年怪我をした時も全然ポジティブに捉えられました。再発率もまあまあ高い怪我ですが、治る道筋が見えているわけですから、怖さはありませんでしたし、ある意味開き直れていました。高校3年間に勝る辛さはありません。そこまで精神的に追い詰められるようなことにはならなかった。怪我に対するメンタルはあの頃に十分に鍛えられました」。

走れない時期がSWS総合優勝の基礎を作った


<2018 海外スカイランニングレース 成績>
トランスバルカニアハーフマラソン 2位
ゼガマ・アイスコリ 9位(SWS)
リビーニョスカイマラソン 8位(SWS)

昨年負った前十字靭帯損傷との脛骨の亀裂骨折。その際上田はinstagramで「これを乗り越えられることができれば精神的にもっと強くなれるでしょうし、じっくり肉体改造できる期間だと思って頑張ります」と投稿している。

怪我の前から取り入れていることだが、上田は長友佑都がオーナーを務める〈Cuore〉のパーソナルトレーニングをはじめ、バイクトレーニング、冬にはクロスカントリースキートレーニングと様々な競技、トレーニングに着手。走れない時間をマイナスとは考えず、プラスにするアクションを続けた。

「去年、ひとつ手応えを得たのがトランスバルカニアのバーティカルとハーフマラソンでした。2016年の世界選手権でバーティカル、スカイともに勝利しているスティアン(・アンゲルムンド ビク)にバーティカルでは10秒差くらい、彼が2位で僕が3位でした。ハーフマラソンも登りはずっと一緒に走り、下りで離され、8秒差くらいで2位。負けましたが、僕の記録も大会新記録。ゼガマも風邪気味だった中で9位。この世界で戦える自信はこの頃からつき始めていました。月間走行距離が多い方ではないですし、低酸素で登りのトレーニングを取り入れたというのはありますけど、それ以外特に練習メニューは以前と変えていません。何を変えたかと言われればパーソナルトレーニングですし、実際パーソナルトレーニングを始めてから宮原さんにも勝てるようになりました。体幹はロードよりも必要な要素というのは前々から思っていたことで、怪我をしたことでよりその点を強化できたと思っています。2年前とでは、トレーニングでできることが明らかに変わりました。進化している実感があります。体幹トレーニングの点でレベルアップしていることを感じられたのことは、走れない時期の精神的な支えになりました」。

2018年ですでに世界で戦える自信があったこと。また、後一歩で世界一が届くと理解していながら叶わず、逆に怪我をしたこと。もしメンタルが弱ければ、ここでズルズルと過去の栄光を引きずり、落ちていくストーリーもあったかもしれない。見方を変えれば高校時代の挫折の経験が彼を救ったといえる。世界の頂を手前にして怪我をしたことで、足りないものと向きあうことができたともいえる。すべては仮定の話だが、諦めずに上を向き続け築いてきた土台が、2019年を世界一を獲る1年としたことは間違いない。

昨年1月から取れいれた〈FLOWIN〉。パーソナルトレーニングを受けると同時に自宅にもギアを用意。

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RUY UEDA

1993年、長野県大町市生まれ。佐久長聖高校出身。度重なる怪我により3年間満足に走れずに卒業。早稲田大学に進学するも競争部には入部せず、「楽しんで走りたい」との想いから陸上競技同好会に所属。「10代最後の思い出づくり」として出場した『柴又100K』でコロンビアスポーツウェアにスカウトされ、トレイルランニングを始める。 2014年の日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)で大会新記録で優勝。その記録は未だ破られていない。 2016年からスカイランニングの世界へ。U-23世界選手権で優勝、アジア選手権も制覇。今年悲願にしていたSWSでの総合優勝を勝ち取る。瑠偉の名はサッカー“ドーハの悲劇”があった1993年、10番を背負っていたラモス瑠偉から取ったもの。正式にはは“RUI”だが、ラモスの英語表記がRUYだったことから、レースネームでは“RUY”と表記する。

【上田瑠偉 ブログ】 Don't think, feel

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