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なぜスカイランニングなのか?

上田にこんなことを聞いたことがある。「スピードがあるのになぜアメリカのレースのような走れるレースを選ばずに、スカイランニングで勝負する道を選んだのか?」 その質問に彼は嬉しそうにこう答えてくれた。

「僕は長野の大町市で育ちました。小さい頃から北アルプスをずっと見て育った。トレイルランニングももちろん楽しいんですけど、自分のアイデンティティには『高い山に登りたい』とか『あそこからの景色はどんなだろう』という冒険心が強くあります。僕としてはそれは走れること以上の魅力。それがスカイランニングの世界で見る景色と重なっているのかもしれません。楽しいんです。だから現地に入ってからもついつい試走し過ぎてしまう(笑)。

スカイランニングを始めるきっかけは2015年の〈スカイライントレイル菅平〉。2016年の世界選手権の代表を決める選考レースになっていたこのレースで優勝して、日本代表に選ばれたからです。

今ではトレイルランニングの世界選手権もありますが、当時はあるのかどうかすら認識もなく、単純にこの競技の世界一ってなんだろうと思っていた時に、スカイランニングには世界選手権があることを知り、僕の指標になりました。世界一へ挑戦したくなったんです。初めて出た世界選手権はバーティカル10位、スカイレース12位と、あまり納得のいくものではなかったですけど、翌週に行われたのU-23カテゴリーでは優勝して、世界一を獲ることができました。U-23ではあるけど、世界一を獲れた。表彰台に登った経験は最高に気持ちのいいものでした。いい結果でスタートできたことが、スカイランニングに入れ込めたというのはあると思います。

スカイランニングの魅力は登山かどうかというところに尽きると思います。獲得標高にフォーカスしていて、そこで難易度を見極める。難易度の高いコースをいかに速く登って降りてこれるか。トレイルランニングと大きく違うところとしては下りも険しく、テクニカル。トレイルランニングは走力でなんとかなるようなコースが基本ですが、スカイランニングはテクニックが必要です。陸上競技的な楽しさ+技術的な要素。速くなるだけではなく、上手くなる必要がある。それが楽しみでもあり、魅力です。その点は、感覚としては球技に似ていますね」。

山での撮影は欠かせない楽しみのひとつ。snsの投稿を見れば上田が走ることと同時に山を楽しんでいることがよく分かる。

“登りで突き放し、下りを逃げ切る”
リビーニョでの勝利、バフエピックでの確信

〈粟ケ岳スカイレース〉に続き出走したレースは〈トランスバルカニアウルトラマラソン〉。〈SuperSky Race〉としてポイントが倍になるレースであり、シリーズ戦で最も長い74km、ウルトラレースだ。

「現地入りしてから嘔吐と下痢を繰り返し、一睡もできなくて、全然ダメでした」。

原因は疲れからくる自律神経の不調。怪我ではなかったと胸を撫で下ろしたが、日本から何度もヨーロッパを往復し、その度にコンディションを整え、メンタルを戦うモードにするのは、我々が考えている以上にハードなことなのだろう。このハンディキャップを持ちながら、ヨーロッパで勝つことの重みを改めて教えられた。

次のSWSレースは第6戦のリビーニョスカイマラソン。一度日本へ戻り、高地合宿を張り、リビーニョに備えた。結果はご存知の人も多いだろう。ヨーロッパのレースで初の優勝。しかもスカイランニング発祥の国、イタリアでアジアの選手として初めて優勝する快挙をやってのけた。この優勝によりSWSの年間ランキングでもTOPへ躍り出る。まだ先は長いが、本場での優勝に周囲も「世界一、いくんじゃないか?」「世界一獲るかもしれない」とざわつき始めた。

「昨年までの課題は最後の下りの部分。2回、3回と登って降りてを繰り返した後で、足が売り切れていて、最後はつまずきながらよろよろと降っていました。リビーニョに関していうとまだ同じような感じではあって、ガス欠で、なんとか逃げ切った感じです。体調がすこぶる良かったわけではなかったので、アレっていう感じではありました。結果として優勝はできたし、自信にもなったレースではあるんですけど、まだまだ納得できるような勝ち方ではなかった。下りはまだまだ改善しなくてはいけない部分です。ただ、今回は出走メンバーに去年の優勝者もいましたし、オリオルやルイス・アルベルトもいました。決してメンバーが揃っていなかったから勝てたわけではなかった。この勝利は大きな自信になりました。ただまだまだ納得できる勝ち方ではなかった。そういう意味では、このままでいては最終戦も危ないなあと感じていました」。

“登りで突き放し、下りを逃げ切る”。これが上田が今年確立したレーススタイルだ。第8戦のバフエピックも「補給の失敗」により、優勝こそならなかったが、登りでTOPに立ち、優位にレースを進める時間を作っている。昨年までは、本人が語っている通り、最後の下りに入る頃には、“足が売り切れている”ことが多かった。登りでの貯金を下りで吐き出し、順位を少しずつ下げてレースを終える。それが今年は登りで大きく貯金を作り、下りもライバルとイーブン、ツメられるにしても、登りでの貯金で十分賄える範囲でゴールする。「下りは課題」と話すが、登り同様下りでも十分世界で張り合えるスピードがついている。

バフエピックのレース後、彼は今回年間優勝を争い続けたライバルであるオリオル・カルドナのSWS初勝利を自分の勝利のことのように喜び、祝っている。レース後の充実の表情が物語っているが、負けはしたが“自分のレースをすればどのレースも勝てる”と確信を持ったのがバフエピックだろう。リビーニョ以降最終戦のスカイマスターズまで優勝はないが、この1年はレースを重ねるごとに彼の中で勝利の方程式が確立されていった年だった。リビーニョでの勝利が、世界で勝利する“勝者のメンタリティ”を与え、バフエピックがそこに確信をもたらした。

(上)バフエピックトレイルのレース中盤。登りでリードを奪いトップを快走する。(下)最終的に4位ではあったものの、大きな手応えをつかんだことが表情から伺える。

「登りでは誰もついてこれないのが分かって、この戦略は世界で通用すると確信しました。リビーニョで優勝、(ボーナスレースである)バフエピックもポイントが取れて、翌週(ロイヤルウルトラスカイマラソン)も3位に入って、その時点で規定である4戦のポイントを揃えることができました。オリオルにバフエピックで負けた分、年間総合ランキングは2位に落ちましたけど、このあたりから欲が出てきました。『今年、年間総合優勝を獲るんだ』と」。

後編はこちらから。

RUY UEDA

1993年、長野県大町市生まれ。佐久長聖高校出身。度重なる怪我により3年間満足に走れずに卒業。早稲田大学に進学するも競争部には入部せず、「楽しんで走りたい」との想いから陸上競技同好会に所属。「10代最後の思い出づくり」として出場した『柴又100K』でコロンビアスポーツウェアにスカウトされ、トレイルランニングを始める。 2014年の日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)で大会新記録で優勝。その記録は未だ破られていない。 2016年からスカイランニングの世界へ。U-23世界選手権で優勝、アジア選手権も制覇。今年悲願にしていたSWSでの総合優勝を勝ち取る。瑠偉の名はサッカー“ドーハの悲劇”があった1993年、10番を背負っていたラモス瑠偉から取ったもの。正式にはは“RUI”だが、ラモスの英語表記がRUYだったことから、レースネームでは“RUY”と表記する。

【上田瑠偉 ブログ】 Don't think, feel

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