令和元年は、グラベル元年
今回の〈野辺山グラベルチャレンジ〉を走ってみて感じたのは、「グラベル」というトレンドがただ砂利道走行を指すのではなく、より広いバイクライドの楽しみを包含しているということだ。
・バイクに決まりはない
・レースをしても、しなくてもいい
・速くより、楽しく走ったもん勝ち
グラベルカルチャー発祥の地、アメリカでは2014年ごろから本格的にグラベルがマーケットに登場し、スタイルとして認知されたと言われる。それ以前にシクロクロスが盛んになっていたアメリカには、グラベル文化確立の素地があった。もとより北米はMTBによるオフロードライドが一定の市民権を得ている。
一方で白州バイクロア、グラインデューロそしてこの野辺山と立て続けにグラベルイベントが開催された2019年が日本にとってのグラベル元年となるだろう。MTBがトレイル問題などで市場・競技人口ともに拡大できない中で、日本でいまこうしたオフロードライドに注目が集まるのは、シクロクロスの延長線上にグラベルを見ているからに他ならない。
サイクリストの競技離れも関係?
2010年の〈野辺山シクロクロス〉以来、日本国内のシクロクロスはレース数も参加カテゴリーも増加し、それに伴い競技ルールも厳格化してきた。現在、上位カテゴリーの選手には自転車競技連盟への登録必須、レギュレーションにのっとったバイクのセットアップが義務付けられる。
シクロクロスは基本的にレースであって、競技スポーツだ。一度始まれば、フィニッシュするまで勝負の時間。それは上位カテゴリーも下位カテゴリーも変わらない。鍛錬を重ね、好成績を出す喜びはどんなスポーツにも共通のものだ。そして自転車は、ある程度までは実直な練習が強さに結びつくスポーツでもある。その意味ではマラソンに似ている。
だが、その「ある程度」まで至ると、競技者としての成長は鈍化し、いわゆる頭打ち状態に陥ることになる(その意味でもマラソンに似ている)。〈野辺山シクロクロス〉の初開催から10年、この時勢にシクロクロスを始めた人たちが、己の伸び代に直面する時期でもある。少なくとも、10年という年月はどんな世代のアスリートにとっても肉体的・精神的な変化をもたらす時間だ。
レースではないシクロクロスはないのか。ロードバイクのような軽快さでオフロードを走れるバイクライドを求める潜在的な欲求に、アメリカからやってきたグラベルライドの思想はマッチする。そしてその文脈において、日本にシクロクロスの局所的ブームを引き起こした〈野辺山〉がグラベルイベントを開催したことの意義は小さくない。
今回、〈野辺山グラベルチャレンジ〉を走ってみて、久々に純度の高いライドの喜びに触れた。それは、短い距離でも走りごたえのある未装路を含むコースでもあり、レースでありながらのんびり走る余地のあるフォーマットであり、それがために他の参加者とのコミュニケーションを楽しむ時間であり、天候とロケーションがもたらす開放感であった。こうしたものの総体が、「グラベルライド」であることを野辺山は教えてくれる。
自由さ、とも置き換えられるグラベルの楽しさ。バイクひとつとってみても、そのバリエーションは豊富だ。アメリカの本家グラインデューロではMTBの参加者も多いと聞くし、シクロクロスバイクに太めのタイヤを履かせてもいい。「グラベルロード」なるバイクはその自由さゆえにオールロードともシクロクロスバイクとも融合しうる、定義の難しいバイクカテゴリーだ。だからこそ、「グラベル」はバイク種別ではなく、楽しみ方として規定されるジャンルになっていくだろう。
10年目に新たな楽しみを提示した野辺山
〈野辺山グラベルチャレンジ〉を走ったこの日、第1回目の〈野辺山シクロクロス〉が思わずフラッシュバックした。同じような霧雨、ハロウィン時期のお祭りの雰囲気、仮装レースに飛び交う歓声、未知のコースを走りきった喜び……。〈野辺山〉は10年目に、再びバイクライドのあり方を刷新したのだった。
そして不思議なことに、今回のライドを通じて、またシクロクロスレースを走りたい気持ちも湧いてきた。制約やルール、足りない実力や肉体的苦痛をまるっと受け入れて、またあのスタートラインに立ちたい。思えば10年前の〈野辺山シクロクロス〉で目の当たりにしたエリート選手に憧れて、レースに打ち込んできたのだった。野辺山の魔法はいつだって有効だ。
来年の〈野辺山グラベルチャレンジ〉はシクロクロスとは違う時期での開催を検討しているという。また、使用したグラベルコースの一部は、将来的には常設のルートとして村をあげてサイクリストを受け入れていく考えもあるとのこと。野辺山がシクロクロスの聖地になったように、グラベルでもサイクリストの目的地になるか。そして、ここからどんな日本のグラベルシーンが誕生、派生していくか注目していきたい。