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MGC男子のレースは最後まで目の離せない展開になったが、激戦を制したのは中村匠吾(富士通)だった。前評判では4強に次ぐ存在として取り上げられることが多く、決してダークホースだったわけではない。駒澤大学時代の中村を知る者からすれば、“中村ならやってくれる”という期待度は高かったのではないだろうか。写真家の水上氏も中村の強さを見てきた一人。中村が駒澤大学に在学していた2012年から、駒大陸上部を写真に収めてきた水上氏が、レンズを通し、見てきた中村の素顔とはどんなものだったのか。『HEROES』未発表写真と水上氏の言葉とともに、駒大時代の中村を振り返る。

クールな目つきの男が気になった

水上さんが自身の作品の被写体として大学駅伝の強豪・駒澤大学を追い始めたのは2012年のことだった。頭の中には2つのドキュメンタリー作品のイメージがあったという。ひとつは、1998年に行われたサッカーのワールドカップ・フランス大会でフランス代表が優勝するまでの軌跡を描いたドキュメンタリー番組『トリコロールたちとの日々』。もうひとつは、オランダ出身の写真家・アリ・マルコポロスが撮ったビースティ・ボーイズのドキュメンタリー写真だ。

「サッカーや音楽だと、それらに近づけちゃうと思ったので、自分が全く知らないものを撮ろうと思いました。そこで、日本中が熱狂するものって何だろうと考えてみたんです」

 それが大学駅伝。水上さんは縁あって駒澤大学を追いかけることになる。普段の練習から夏合宿、全国各地で開催される試合にまで足を運び、駅伝選手の姿を写真に収めた。水上さんは2015年12月に写真集『HEROES』を発表しているが、写真集に掲載されているのは10万カット以上の中から厳選された100カット弱に過ぎない。そのなかには当然、MGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ)で優勝し、東京オリンピックの切符をつかんだ中村匠吾(富士通)の姿も数多くあった。水上さんが駒大陸上部を撮り始めた2012年は、中村が2年生の時。まさに頭角を現し始める時期だった。

「駅伝のことも駒澤のことも何も知らずに撮らせていただくことになったんですが、当時3年生の窪田(忍)君(現:トヨタ自動車)がエースだということと、村山(謙太)君(現:旭化成)が窪田君と同じくらい力を付けてきているということは、前知識としてありました。その2人のレースを撮りに行くことになった時に、気になったのが中村君だったんです。“あの子は誰なんだろう”と。まずエース格の2人と同じレースに出ていることが気になったし、窪田君も村山君も華がある選手でしたが、中村君も独特の雰囲気がありました。目つきがクールで。それまでは全然知らなかったんですが、それからは中村匠吾という選手を撮ってしまうようになりました」

3年時のゴールデンゲームズinのべおか。エース格だった窪田、村山とともに出場

 『HEROES』は“チーム”と“個”の二本柱で構成されていて、水上さんのなかで“個”を代表するのは実は窪田だったという。だが、必然的に窪田と同じレースに出場し、さらに窪田を上回る成績を収めるようになった中村も、被写体になることが増えていった。陸上に精通していたわけではない水上さんが、当時、中村を知らなかったのは仕方のないことだっただろう。

実は、上野工業高(三重、現・伊賀白鳳高)時代の中村は、村山とともに世代トップクラスの実力をもつ選手として名を知られていた。しかし、最後の都大路(全国高校駅伝)を前にケガをしてしまい、なんとかその舞台には立ったものの、1区を走り区間44位に終わっていた。力を発揮できなかったばかりか、強行出場の代償はあまりにも大きく、彼は駒大1年目の前半戦を棒に振った。いっぽう、同級生の村山は1年目から日本インカレの5000mで優勝し、箱根駅伝ではエース区間の2区を任されるなど、早くもチームの主力選手となる。中村も秋にようやく復帰を果たし全日本大学駅伝には出場したが、村山ほど取り沙汰されることはなかった。だが、一度は故障で埋もれかけながらも、2年生になり、再びその才能が目覚め始める。

出雲駅伝、全日本大学駅伝は不出場だったが、箱根駅伝では3区を走り、設楽悠太(東洋大、現:Honda)、大迫傑(早大、現:Nike)に次いで区間3位で走った。このレースで一度は大迫に先行を許したが、強風が吹き荒れる悪コンディションのなか、終盤に抜き返し、中継所には大迫に先着した。この箱根駅伝をステップに、3月の日本学生ハーフマラソン選手権で優勝するなど、中村は一気に学生トップクラスの選手に駆け上がっていくことになる。

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