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イノーのあのニックネーム誕生秘話

小俣 イノーさんも含め登壇者のみんなが着ているこのマイヨ・ジョーヌ、右の胸のところにポデヴァンさんのイラストが入っているんですが、これはイノーさんのあだ名にちなむ動物なんです。おそらくみなさんの多くがご存知かと思いますが、一応言っておきましょう……『アナグマ』ですよね。

Bernard Hinault

イノー 日本語ではなんて言うんだ? みんな、言ってくれ。

小俣 みなさん、ではイノーさんのあだ名を日本語で呼んであげてください。

会場 あ・な・ぐ・ま〜 (会場笑)

イノー あなぐま……あなぐま……(繰り返す)

Bernard Hinault

小俣 なんでアナグマと呼ばれるようになったんでしょう? 

綾野 “le blaireau”(ル・ブレロー)ですよね。

イノー 実はブレロー、アナグマという表現は、プロトンの中で「ようお前さん」のような、誰でも選手間で呼び合うような言い方だったんだ。私自身も他の選手をこう呼ぶこともあった。あるときチームメイトの2人、ル・ギユーとタルブルデが、ジャーナリストの前で私をブレローと呼んだ。それでこの呼び名が定着してしまったと言うわけさ。後々、あだ名がついてからアナグマは攻撃的で獲物を仕留めるイメージと重なって広まったんだね。

綾野 うっかりついてしまったんですね(笑)

イノー そう、偶然だ。

Bernard Hinault

小俣 日本語では『その激しい気性からアナグマというあだ名がついた』というような紹介のされ方もしてきましたけどね……

イノー 偶然、でも結果的には合ったね(会場笑)

レモンとの関係は? 際どい質問も飛ぶ質疑応答

小俣 まだまだ色々お話を伺いたいことはありますが、そしてあえてしていない質問などもありますが、ここで会場のみなさんからの質疑応答という形にしたいと思います。いかがでしょう、イノーさんに聞いてみたいことなど。ご質問ある方! はい、最初に手を挙げられた方、どうぞ。

質問 これ非常に聞きにくい質問なんですが……お年を召された今だから、あえて、教えていただきたいのですが。今現在、グレッグ・レモンと交流ってあったりすんでしょうか? (会場笑)

Bernard Hinault

小俣 結構みんな聞きたかったことですよね。

イノー 今は特に機会はないね。ツール・ド・フランスの会合などでは、ほとんど毎晩会っていたような時期もあるけどね。私はほとんど全ての選手といい関係を築いているよ。ただ一人を除いてね。アームストロングだ(会場笑)

小俣 早速際どいところに入ってきましたが、他にはいかがでしょうか? はい、どうぞ。

質問 イノーさんがパリでマイヨジョーヌを着た最後のフランス人ですけれど、次にマイヨジョーヌを着るフランス人は誰なんでしょうか?

イノー たぶんその選手はまだ生まれてないね(会場笑) いま存在しているフランス人選手でツールを総合優勝できる選手はいない。だが、そのフランス人選手以外の全員が落車すれば勝つかもしれないね(笑) 今のフランス人に足りないのは、自分の全ての結果を捨ててまで、リスクを負ってまでアタックする気概だ。私はやっていた。

Bernard Hinault

小俣 イノーさんはご自身でも『フラン・パルレー』、なんでも話すことを身上としていらっしゃいますので、どんな質問でもOKです。はい、親子でいらっしゃったんですね、ご質問どうぞ。

質問(少年) 勝つコツは何ですか? 

Bernard Hinault

イノー まずは肉体的な強さが根本的に必要だ。そしてたくさんトレーニングしないといけない。そしたら、勝つだけだ。とはいえ、いいトレーナーをもつことが大事だね。あとはヨーロッパに来ないといけない。世界の有力選手と渡り合わねば強くはなれない。

質問(母) ちなみに今フランス語の勉強をしています。

イノー 彼にとって、一番大事なのは楽しむことだね。スポーツを楽しんでほしい。

小俣 キッズからのご質問でした。ありがとうございます。お次の質問、どうぞ。

質問 トレーニングという言葉が出ましたので、続けて……現役の時は月間どれくらいの距離を走られていたのでしょうか。夏場と冬場で違うのかもしれませんが。

イノー 日によって違うけど30-40kmの時もあれば230kmの時もある。年間でレースも含め4万から4万2000kmくらいを走っていた。年間で200日働いたとすると、1日200kmを走る仕事をしていたことになるね。最近の選手は2万や2万5000kmくらいでいっぱい走ったと言っているけど、これは世代間の違いだね。

Bernard Hinault

質問 トレーニングの内容ですが、心拍トレーニングも無いような中でどのようなことをされていたんですか?

イノー 指を使っていたんだよ。指を首にあてて心拍数を計ったんだ。心拍数を基準にしたトレーニングをすでにしていたんだよ。強度が高いトレーニングは時間を短く、翌日は少し強度を下げて距離を増やす、翌日はさらに強度を下げ距離を増やす……これを続けるんだ。言うのは簡単だが、実際にやるのは結構大変だったね。感覚的なもので。今の選手は機械(パワーメーターやデータ)が全てやってくれるから、自分で自分の体がどうなっているかはわからないんじゃないか? 機械はジュニアやカデの選手、すなわち18歳未満の選手にとっては有効だと考えている。だがプロになったら、自分の体のことは自分で知るべきで、機械に頼りきりになるべきではない。

小俣 では、次の質問をどうぞ。

質問 イノーさんがツールの表彰台でジャージのジッパーをスマートに上げていらっしゃる姿を格好いいなと思っていたのですが、これまでたくさんの選手を表彰して着た中で、印象に残っている選手はいますでしょうか?

Bernard Hinault

イノー それはもちろん私だね(会場笑) それは冗談として、表彰台では、選手たちがどうしたら格好良く見えるか、ということを考えてジャージを着せるようにしていたよ。表彰台で一番美しい選手という意味では、キャップやサングラスを身につけない選手だね。いい表情をしている選手たちなんだから、あんまり隠すものはない方がいいよね。

小俣 イノーさんは1986年に引退されて、1987年から2016年まで、ツールの表彰式のプレゼンターを務められました。

イノー 1987年からツールの主催組織に入っている。30年間続けたことになるね。

(次ページ)今、ベルナール・イノーがツールを走ったら勝てる?

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