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マイヨ・ジョーヌを着てシャンゼリゼ逃げ切り勝利! 今明かされる、その裏話

綾野 少し補足させていただくと、イノーさんは1978年にツール・ド・フランスを初出場で総合優勝しています。そんなことなかなかできないです。ステージ3勝しての総合優勝でした。

イノー そうだね。

小俣 このエピソードだけでも型にはまらない選手ですが、しかもマイヨ・ジョーヌを着てシャンゼリゼで勝ったこともあるという。しかも2回! いかにしてこんなことが可能なのか……。

Bernard Hinault

綾野 ものすごい強かったのは1979年。ステージ7勝でマイヨ・ヴェールもとっています。総合2位のズートメルクでシャンゼリゼで2人で逃げて、勝っています。手のつけられない強さを見せています。

イノー 1979年のシャンゼリゼは、トゥロー(ディトリヒ・チューラウ/ドイツ)とクネットマン(ヘリー・クネットマン/オランダ)の3・4位争いだけしか残されてなかったね。ズートメルク(この時点で総合2位)はパリの丘を登る度に毎周アタックを繰り返していたが、ロム・モール(直訳:死人)という丘で今度は自分がアタックして、50m先行した。その後で無線が『集団からズートメルクがアタック、単独』と告げるのを聞いたんだ。

Bernard Hinault

あともうひとつ、パヴェ・デ・モルドという丘が残っていて、その頂上で奴を待ったんだ(笑) そのままシャンゼリゼに2人で着いたんで、レースを開始したって訳さ。ヨープ・ズートメルクは、「俺、勝ちたいんだが」と言ってきた。だからこう返してやったんだ。『絶対無いね』と。で、私が勝った。(会場爆笑)

綾野 普通はですね、マイヨ・ジョーヌとそうでない選手が2人でゴールまで逃げ切る時は、マイヨ・ジョーヌの選手がステージ優勝の華をもたせるために勝利を譲るものです。それが無かったんですね(笑)

イノー シャンゼリゼでは絶対にしない。(会場笑)他のステージではそういう機会もあったかもしれないが、シャンゼリゼではできないね。

Bernard Hinault

小俣 そんなイノーさん、今日黄色いジャージを着ていますが、マイヨ・ジョーヌ姿の方がお馴染みといいますか。イノーさんは生涯マイヨジョーヌ着用日数78日という、エディ・メルクスに次ぐ記録を持っていますが、マイヨ・ジョーヌの話を聞いてみましょう。(会場に展示してある実物のマイヨジョーヌを指差して)獲得した78枚のうちの一枚がこれだと思いますが、その他のマイヨ・ジョーヌはどうされているんでしょうか?保管しているのか、人にあげたのか?

イノー 売ってはいないよ(笑) 多くはチームメイトに贈ったね。ツールを走った選手も、走っていない選手にも。またチームスタッフ、メカニックやドライバーにも。ツールに勝てたのは彼らのおかげだからね。その他には、チャリティとして出品したりしている。そして数枚は私の家にまだあるよ。

綾野 マイヨ・ジョーヌは個人総合優勝、一番栄誉のあるものですが、やっぱりチームで戦い、目指すものというのが基本ですよね。

Bernard Hinault

イノー チームとして勝ち取ったものだね。

綾野 それで、何枚を今はお持ちなんでしょう?

イノー わからないな。押し入れに入ってると思うけど(笑)

(次ページ)イノーが憧れたヒーローは2人だけ

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