fbpx

(写真 松本昇大 / 文 井上英樹)

大迫傑選手(ナイキ・オレゴン・プロジェクト)が第71回福岡国際マラソンを、日本歴代5位の記録(2時間7分19秒)で走り、ソンドレノールスタッド・モーエン(ノルウェー)、スティーブン・キプロティク(ウガンダ)に次いで3位に入った。この結果、大迫選手は2020年東京五輪代表選考会となる19年のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)出場権を獲得した。

福岡の歓声が掻き消したもの

大迫傑選手の名がじわじわと広がりつつあった。福岡国際マラソン開催日が近づくにつれ、新聞や雑誌、ウェブニュースに大迫選手の姿を見かけるようになった。メディアの論調はマラソン経験が一度しかない「未知の選手」が、福岡をどう走るのかを期待していた。

レース序盤、大迫選手は先頭集団に位置していたものの、集団に埋もれ、あまり目立った存在ではなかった。30km地点でレースが動いた。3:00/kmで走っていたペースメーカーがレースから外れるとモーエン、キプロティク、ビダン・カロキ選手(DeNA)らが抜け出した。ここで大迫選手は落ち着いて先頭集団に食い下がりつつも「自分のペース」を保った。惜しくも3位という結果だったが、結果を見れば日本歴代5位の記録。熱くなることなく、自身を客観視しながらも、力を100%出し切った大迫選手の冷静なレース運びが光った。レースを終えた数日後、東京で大迫選手にレースを振り返ってもらった。

sample alt

「よく走れたなと思っています。30kmを過ぎ、レースが動いたときに、(結果的に)付いてはいけなかったんですけれど、自分のペースでしっかりと最後まで走りきることができたので良かったなと思います」と大迫選手は静かに語り出した。

「ペーサーが非常にいい仕事をしてくれました。アップダウンがあったので(ペースの)細かい上げ下げはあったんですけれど、リズムよく走れました。(このレースは)落ち着いて走ろうと思っていましたし、ペーサーが抜けた30km過ぎのところで、誰かが“行く”ことは考えていたので、想定内ではありました。だから、焦りはありませんでしたね。レースの反省点は考えてないんですけれど。どこがというわけではなくて、今後も地道に自分のトータルの力を、走る能力を上げていけたらなと思っています」

sample alt

福岡国際マラソン前には多くのメディアが大迫選手に注目をしていた。そのプレッシャーはなかったかと聞くと、彼らしく「そういうのはないですね」と短い答えが返ってきた。大迫選手がインタビューでいつも言う「普段通りの力」が出せたということだろう。

2017年4月、ボストンでも快走を見せてくれた大迫選手。しかし、その時との大きな違いは沿道からの、彼の名を呼ぶ声援だ。そのことについて訊ねると、少し表情が柔らかくなった。

「最後のあたりは応援にキツさが掻き消されましたね。うまく走らせてもらったなという印象はありますね。ボストンマラソンも比較的落ち着いて走れました。今回もそれが実践できた実感がある。あとは、トレーニングの段階で、ボストン前に比べると、怪我もなく順調に回せていけたのではないかなと。(ボストンと福岡とは)コースが大きく違うので、ボストンの方が足がきついとかはありますけれど。特に自分のなかでは比べることはないですね」

今回、大迫選手が福岡で履いたシューズは『ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4%』。このシューズは、ナイキ ワッフル レーサーのアウトソール以来、革新的な素材を開発し続けてきたナイキによる、今のマラソンシューズへの”答え”だ。

「これまで履いていた『ナイキ エア ズーム ストリーク 6』に比べると、クッション性もありますし、かつ反発もあるので、非常にマラソンに向いていると思います。トラックからマラソンに移行する人にとって、合っている靴なのかなと思います。今もストリークを履くことももちろん多いんですけれど、レースの時にはやっぱり『ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4%』の方がしっくりくる感じですね。僕が想像する以上のことを実現してくれています」

タイムではない。勝負に関わり、走る

福岡のレース前のトレーニングは、非常に充実したものだったという。合宿にスポーツ鍼灸師が同行し、日々の疲れが蓄積しないようにケアをした。練習、メンタル、ボディケアと、盤石の体制で福岡でのレースを迎えた。

「ベストな状態で試合を迎えられました。(前回と比べてメンタルは)強くなったと思うんですけれど、ただマラソンの経験を重ねればいいという問題ではないと思う。逆に常に初心を忘れないというか。新しいことにチャレンジしている気持ちでやりたいと思っていますね」

大迫選手にとって、今回の福岡国際へのチャレンジはタイムではなく「勝負に関わっていくこと」だったという。レース後のインタビューでは「日本人はメディアも含めてタイムを意識し過ぎ。それ以上に意識すべきところがあるのかな、と思う」という発言(朝日新聞デジタルより引用)もあった。あの発言は、タイムばかり追い求めるメディアに一石を投じたんじゃないかと問うと、「そんなことはないでしょう」と大迫選手は苦笑した。

「タイムを目標にやっているのもいいと思うんですけれど、僕は重要な大会でしっかり勝てる選手になりたい。そこを意識しているだけです」

しっかりと勝つ。その言葉を体現しているのが、大迫選手と同じ『ナイキ・オレゴン・プロジェクト』に所属するゲーレン・ラップ選手だ。ラップ選手はロンドン五輪で1万メートル銀メダル、リオデジャネイロ五輪でマラソン銅メダルを取り、前回のボストンでも2位と常に大迫選手の先を行く選手だ。

「ライバルはいないのですが、ゲーレン・ラップ選手は尊敬しています。ああいう勝ち方のできる選手はなかなかいないですし。一緒に練習することはないんですが、どういう練習をすればああいったところに行けるのかは明確に共有されているので、すごくやりやすい。だから目標を持ちやすいですね」

福岡のレースの後にもラップ選手から祝辞のメールが来たという。

sample alt

100%でなければスタートラインに立たない

最後に改めて、大迫選手にとってフルマラソンはどんな存在かを聞いた。なんどもインタビューで訊ねられているだろう。この質問を大迫選手はじっと考え、ぽつりぽつりと言葉を選びながら話し始めた。

「(トラックと比べて)メンタル的なものが大きかったり、心が静かな状態で挑まないと、自分のなかでは走れないかなと思います。ボストンも福岡もなるべく平常心でいることを心がけました。心が静かな状態でスタートラインに立つ。もちろん興奮もします。ただ、それに任せないよう、平常心を保つんです。マラソンはスタートラインに立つこと自体に価値があると思う。すでにスタートラインに立った時に達成感がある。もちろん、ゴールした時もですが。100%ちゃんとできていないと、スタートラインには立たない。それは、ほかの選手も同じだと思いますけれど」

東京オリンピックまで1000日を切った。2018年は大迫選手にとってどんな年になるのだろう。彼が走る度に注目が集まり、期待も大きくなるはずだ。しかし、大迫選手は浮かれることなく、自身とストイックに向き合っていくのだろう。長距離ランナーの孤独はこれからも続く。

sample alt

大迫傑(おおさこ・すぐる)

1991年5月23日生まれ、東京都出身。早稲田大学スポーツ科学部 卒業。ナイキ・オレゴン・プロジェクト所属。2012年世界ユニバーシアード選手権大会10000mでは日本人として16年ぶり4人目の金メダルを獲得。

自己記録 3000m:7分40秒09(日本記録)
5000m:13分08秒40(日本新記録)
     10000m:27分38秒31
     ハーフマラソン:61分13秒
     フルマラソン:2時間7分19秒