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ランナーであれば、誰もが一度は出てみたいと思うマラソン大会『ニューヨークシティマラソン』。完走者は5万人を誇り、沿道での応援者の数は延べ200~250万人とも言われています。1000万人と言われる、NYCの人口を考えると、その数は4人に1人。NY中が盛り上がる、世界最大規模のマラソン祭り『ニューヨークシティマラソン』を編集部員荒川千絵がレポートします。

(写真 坂本琢哉 / 文 荒川千絵 / 協力 ニューバランス

なぜこんなにも人気な大会なのか?

世界各国からランナーが集うこの大会の最大の魅力はコース設定。スタテン島から橋を渡り、ブルックリン、クイーンズ、マンハッタン、ブロンクスとニューヨークを構成する5つの地区を貫き、ゴールであるマンハッタンのセントラルパークに向かいます。NYの多様性を感じられる沿道の人々との触れ合いは、まるで世界を旅したような気分に包まれます。また、国際陸上競技連盟(IAAF)ゴールドラベルに認定されているこの大会は、ワールドマラソンメジャーズの一つであるため、エリートランナーの参加も多いのが特徴です。このワールドマラソンメージャーズの優勝賞金は50万米ドル(約5900万)。NYCマラソンの優勝賞金は10万米(約1200万)ドル。ちなみに、オリンピックの金メダルの報奨金は300万円と言われていますので、規模の大きさが伺えます。しかも、この規模を持つにもかかわらず、この大会、制限時間がないのです。リタイアさえしなければ、誰もが完走できるというNYの懐のデカさ! まさにファンランナーのためのマラソン大会である、というところも人気の所以なのでしょう。

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スタテン島から、いざ、ブルックリンへ! 「ヴェラザノ・ナローズ・ブリッジ」運命の分かれ道

ニューヨークマラソンを主宰するNYRR。彼らはほぼ通年、毎週のようにレースを運営しているだけあって、整備やランナーの動線、配置などなど、その運営は卓越しています。例えば、走っていても、ランナーの交通渋滞というのをほとんど感じさせません。4つのブロックに区切り、約2時間かけてウエーブスタートをさせていきますが、スタート早々、スタテン島とブルックリンを結ぶ上下2層の自動車道専用の吊橋「ヴェラザノ・ナローズ・ブリッジ」を渡ります。ここは普段は人が通れず、しかし遠くの摩天楼を眺められる最高の景色とあって、絶好の撮影ポイントですが、2層ということで、コースは上層と下層、二手に分かれてしまいます。これは、ゼッケンを配布する際に、ランダムで切り分けられてしまうので、どうしようもできないのですが、まさにスタートからモチベーションが左右されるサバイブ抽選。私は幸いにも上層を走ることができ、天候には恵まれなかったものの、スタート早々、最高の開放感。

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みんなが橋の真ん中のレーンで写真を撮っているので、私も真似してそこに登り、何枚か風景の写真を撮影していると、下から声をかけてくれるおじさん(ランナー)が。何事かと思って耳を傾けると、”写真撮ってあげるよ”というお声がけではないですか。わざわざ足を止めて声をかけ、記念撮影係を買って出てくれるという親切さに、すでに感極まり、涙が出そうなほど心に響いてしまった次第。おじさんも一緒にレールの上に登って、満面の笑みの私にハイチーズ。

「イヤホンはいらないよ、だって、本当うるさいから(笑)」

そう教えてくれたのは、昨年このレースに出たフォトグラファーの山口陽さん。今まで、いくつもレースに出てましたが、音楽なしで走ったことのない私は、そう助言されても、疑心暗鬼。しかしBluetoothの接続の調子が悪くて、なくなくイヤホンを外すと、たちまち聞こえてきた曲は、『ワンモアタイム』。かなりの爆音で、沿道の声援もかなり大きい。人が密集していて、1km感覚で生ライブが聴けました。ブルックリンは5つの区の中で最も人口が多く、東京23区の40%程度の大きに約250万人の人々が居住しています。ニューヨーク市の5つの区を独立した市として考えるならば、ブルックリンの人口はロサンゼルス市、シカゴ市に続き全米でなんと3番目。長年移民と密接な関係にある地域ということから、複数の地区で構成されており、NYならではの民族的多様性をこの区間だけでも、十分に垣間見ることができます。コースの中には、もちろん、ブルックリンのメジャースポットとなったウィリアムズバーグの地区も通るのですが、ここでは沿道との距離の近さと人の数に圧倒されます。

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助言をしてくれたフォトグラファー山田さん。お揃いで購入したニットキャップをかぶった山田さんを先に私が見つけます。しかし、山田さんは私に気付かず、後ろを向いて去ってしまうではありませんか。そこでなんとかして呼び止めようと、沿道の人たちに、カタコトとジェスチャーで”あのニットキャプの男の人、ちょっと誰か呼んできて!”と頼むと、みんなで呼び戻しに行ってくれ、さらには記念撮影までしてくれるじゃないですか。見知らぬ人の心の優しさにまたもや気持ちがホットに。

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ウィリアムズバーグでは、コーディネーターの山口優さんが、応援に駆けつけてくれました。オールファーのそのファンキーすぎる装いは、遠目100mくらい手前から見つけられました。日の丸フラッグに私の名前を持って。あぁ! 何て、何て温かい人たちなんでしょう! しかも、自撮りで撮ろうとしてあたふたしながら何度もシャッターを逃す私たちを微笑ましく見ていた沿道の人がその模様をビデオで撮影していてくれていたそうで、レース後、山口さんから送られてきたその動画をみたら、さらに感が極まり。本当にヒューマンな場所、NY!

マンハッタンへ! 噂の地響きのような声援を前に

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「とにかく、すごいんだから! クイーンズボロブリッジの静寂から遠くの方で聞こえる、まるで怒号のような、地響きが伝わる声援が!」そう語ってくれたのは、ランニング博士こと、フリージャーナリストの南井正弘さん。この話を聞いて以来、私のニューヨークシティマラソンへの気持ちはさらに膨らみました。実際、クイーンズボロブリッジに入ると、話に聞いていた通り、全く声援がないし、ヴェラザノ・ナローズ・ブリッジのような景色もないし、何もやることがない。今回、初めてイヤホンもせず、音楽も聞かなかったので、ただ走るだけに集中することになると、ここに至るまでのいろいろを回想し始めました。

春ころから右膝の調子が悪く、今回のエントリーをきっかけに、診療してもらうと、半月板損傷してたな〜。同じく右足の人差し指がずっと痛かったので、こちらも診療してもらうと、イボができてて、シューズ履くのも辛かったな〜。今日、この日のために用意したニューバランスのシューズ、1040。原宿店の3Dスキャンで足を測ってもらったら、自慢のアーチ(土踏まず)がほぼへん平足に変わってて、迷わずこのシューズにしたんだよな〜。日本を出国する前、痔が悪化して飛行機で座るたびに小さな悲鳴をあげてたな〜。振り返るほどに、よくぞここまでたどり着いたな! と自分を自分で褒め称え、最難関と聞くポイントも終わり、気がつけば、本当に向こうの方から大歓声が聞こえてきたのです。

ヒップホップの街、ブロンクスで沿道に盛り上げてもらう

ここはまた、ブルックリンやマンハッタンとはまた毛色が違って、歩く人も応援する人も、ちょっとソウルを感じさせてくれます。30kmも過ぎ、そろそろ集中力も欠けてくる場所。私は自分の右膝をレースまでにワンチャン(1回のチャンス)としてとっておいたつもりなので、8~10月はほぼ練習せず、とにかく膝を労わることに徹しました。だから、正直20km以降は、本当に足が保つのか、走る前は本当に不安だったんですが、フルマラソンは経験だって、モー・ファラー選手も言ってたし、リラックスすることが勝利への近道的なことを福士加代子選手も言ってたし、自分を信じて、ダメだったら、リタイアしよう、って思ってここまできました。しかし、英語も喋れず、NYの土地勘もない私にとって、長距離のサブウェイ移動は困難。となると、”リタイア+ホテル(マンハッタン)まで自力で帰る=フルマラソン”ではないか、ということに気づいてしまったので、とにかく無茶をせず、落ち着いて、楽しくをモットーに自分を盛り上げ、気持ちが下がるタイミングでは、自ら沿道にかけより、盛り上げまくってもらいました。

そして、マンハッタンへ戻る。ランナーの聖地、セントラルパークへ!

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マンハッタンのど真ん中。街に囲まれた森、セントラルパーク。ジョグングコースの外周は約10km。日々、ランニングを始め、サイクリングやインラインスケートなどで楽しむ人たちで賑わいます。実はマラソン前日、レース当日のアップも兼ねて久しぶりにちょっと走ってみようかな、くらいの気持ちで外周を走ってみたら、どこまで行っても周回は終わらず、途中でタクシーで帰りかけた私ですから、”公園に入ってからが意外と長い”という経験者からの助言は身をもって体験していたのであります。そもそも、どんなフルマラソンだって、38kmくらいからはとても長く感じるものじゃないですか。だけど、実のところ、今回はそこまでの苦しさは感じられませんでした。最後のラストスパートを終えても、セントラルパークでの記憶が正直あまりないというか。そんなに苦しくなかったからなのかもしれません。それは、応援が本当に励ましになったこと。ランナーも、沿道の皆さんもすごく親切だったこと。NYの人たちと、レースならではの特別な触れ合いに心が満たされ、ゴール後、今までにない充実感を得られました。フルマラソンは自分、孤独との戦い、などと言いますが、そうじゃない楽しみ方もあるんじゃないのか、と。レースは自分自身と、その他のランナーと、応援してくれる人たちとのコミュニケーションの場なのかな、と気づかされたニューヨークシティマラソンでした。タイムにとらわれない、帰国後もその気持ちは続いていて、特にこれからレースは控えてないのですが、ゆっくりとですが、毎朝ジョグを続けています。走る意味、意識付けは人それぞれ。私もファンランナーとして、これからも走り続けます。