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プロテニスプレイヤーとして、世界を飛び回ってきた瀬間友里加さんが、11年間の現役生活にピリオドを打ったのは約1年半前のこと。現在は「エレッセ」のアンバサダーや、テニスイベントの講師などを通して、テニスの楽しさを広めるため多方面で活躍中。勝つためではなく、楽しんで伝える立場としてスポーツと向き合うようになった瀬間さんのこれまでとこれからを聞いてみました。

(写真 古谷勝 / 文 onyourmark)

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運動が大好きで活発な少女だったという瀬間さんが、テニスと出合ったのは7歳の頃。全国中学を優勝したことをきっかけにプロを目指すようになったそう。16歳で単身アメリカ・フロリダへ渡り、テニス漬けの日々をおくりますが、環境の変化、度重なる怪我、ホームシック…などが重なり1年ほどで帰国。「少しテニスが嫌いになった」という時期を日本で乗り越え、高校卒業と同時にプロに転向することに。その後11年間、さらにテニス漬けの日々に奮闘していました。

「1年の半分以上は海外遠征で、日本にいてもほぼ毎日練習。午前午後で2時間ずつコートでの練習、プラス1時間のトレーニングを週6でやっていました。現役時代の目標は、グランドスラム本線に出場すること。それは引退するまでぶれなかったですね。明確な目標と、たくさんボールを打って勝てる自信をつけるための練習、その継続を大事にしていました」

メンタルの強さも大きな鍵を握るのが、テニス。2008年の全日本選手権、初めての決勝の舞台で瀬間さんは、日本テニス界のレジェンドである伊達公子選手と対戦し敗退。その悔しさをバネに日々の練習を積み重ねたことで、2009年のUSオープン予選決勝で勝利をつかみました。

「初めての決勝の舞台で、しかも相手は伊達公子さん。とても緊張して自分の力を発揮できず終わってしまいました。その悔しさが大きい舞台でも平常心で戦うための日々の練習につながりました。USオープンの予選決勝で勝ったことの喜びは今でも鮮明に覚えています。長年の夢に近づいた瞬間であり、一番嬉しかった瞬間だったと思います」

しかし、その後怪我や、体力の衰えに悩まされながら、なかなかグランドスラムの本戦に進めず、心も落ち込んでいき、2015年の冬に現役を退くことを決意。引退してからしばらくはテニスコートから離れ、ピラティスやアスリートフードマイスターの資格を取得し、「違う視点で自分の身体と心を見つめられるようになった」という瀬間さん。現在はどのようにスポーツと向き合っているのでしょうか?

「引退したてはコートから離れたいって思ったりもしたんですけど、やっぱり自分=テニスというのは切り離せられなくて、去年の春から、選手としてずっとお世話になっていたエレッセでお仕事させてもらうことになりました。勝たなければいけないという立ち位置から、イベントなどを通していろんな人にテニスを教えたり、テニスの楽しさを伝えたりという立ち位置になり、自分自身楽しく活動できていることが嬉しいですね。ピラティスやアスリートフードマイスターの勉強をしたことによって、自分の身体に気づくということにさらに敏感になれました。今は、“これがやりたい”とか“楽しい”という自分の気持ちを大切に、自分の心と体が健康であることを第一にスポーツを楽しんでいきたいです」

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【名前】瀬間友里加 YURIKA SEMA
【生年月日】1986年12月25日
【職業or所属】元プロテニスプレイヤー、エレッセアンバサダー&PR
【やっているスポーツ】テニス、ファンクショナルローラーピラティス、ラン
【Instagram】@yurika.sema

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YONEXのラケット「EZONE」&elleseのサンバイザー
「小さい頃からつねに自分の身近にラケットとサンバイザー。使いやすさと安定感が気に入っているYONEXのラケットEZONEは引退後に使用しているモデルです。エレッセのサンバイザーはたくさん動いてもずれないフィット感が良くて。日差し対策、日焼け予防としては帽子もありますが、私はサンバイザーの方がファッション性があって好きです」