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「私たちの身体は20万年前から変わらず、『バージョン1.0』のままであり、私たちは野生的に暮らすように設計されている」——。

進化のルールに照らせば、現代の私たちのライフスタイルはヒトとしての健康や幸福にはつながらないことを、科学的なエビデンスで証明し、ライフスタイルの再野生化を提唱した『GO WILD 野生の体を取り戻せ!』(NHK出版)。とりわけ、低炭水化物食、マインドフルネス、トレイルランニング、自然の暮らしを通じて、人類が進化のプロセスで磨き上げてきた自己修復能力を働かせれば、文明に飼いならされた生き方をとりもどせると提唱している。

2015年秋に発売された『mark』05号でもフォーカスしたこのトピックスの中心人物が、先述の『GO WILD』『脳を鍛えるには運動しかない!』(NHK出版)の著者であり、神経精神医学の世界的な専門家であるジョンJ・レイティ博士だ。そんな彼が、6月某日に来日。「運動の機会を取り戻すにはどうすればいいのか?」「デジタル環境がとりまくこの時代に、どのようにすれば、今この瞬間(Be Here Now)に集中できるのか」など、”走る哲学者”と称されるオリンピアン、為末大さんがファシリテーターとなりレイティ博士に聞いた。

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農耕民族への変化が“行動の内在化”を生み出した

為末大(以下、為末)
これまで、レイティ博士が書かれた本の「身体をどのようにコントロールするか」というテーマにある「脳は身体の一部」という主張に衝撃を受けました。そもそもどういった経緯で、この研究アイデアを考え付くようになったのですか?

ジョンJ・レイティ博士(以下、レイティ)
元々運動の重要さは認識していましたが、ボストンで精神医学の研究をしていた際、ある患者に出会いました。彼はMITの著名な教授であり、マラソンランナーでもありましたが、膝を痛めてランニングを中断。彼は走ることができないことに落胆してしまい、さらにこれまで通り仕事に取り組むことが出来なくなったため、私のところに訪ねてきました。注意欠陥障害のように思われたので、薬を処方したところ症状は回復。けれど最も良かったのは、痛めていた膝が治ったことで、また走り始めることができたことだったんです。そこで私は、運動が脳に対して大きな影響を及ぼすということに気が付きました。

為末
人類は進化の過程で、運動が必要な環境下で生きてきた動物だと思います。過去と、現代ではどれくらいの違いが生まれているのでしょうか?

レイティ
デジタル化によって私たちの生活が大きく変化しているのは事実です。PC、タブレット、携帯電話などさまざまなデバイスを使い依存症になってしまっている。まさに劇的な変化です。1万8000年前の人類は狩猟採集民族であり、1日につき10〜14マイルは走っていた。走って、ジャンプして、泳ぎ、重いものをもつ。生活の中で常に動くことで、脳は発達し進化してきたのです。

しかし、約1万年前に農耕を行うようになり、言語を操り始め社会集団が形成され、規模が大きくなっていきました。つまり、計画性や理解力、予測力などより広範囲の脳細胞を活用するようになっていったということ。脳で考えて行動することで“行動の内在化”が起きていったと考えています。

為末
デジタル社会が進行し、さまざまなテクノロジーが開発されるなかで、馬鹿になっているのか、はたまた賢くなっているのかが分からなくなっているときがあります。まるで、テクノロジーに使われているような感覚というか。デジタルワールドでは、今後どのように生きていけばいいのでしょうか。

レイティ
為末さんは、まるで哲学者のようですね(笑)。たしかに我々はテクノロジー依存症になっています。今後どう接して扱っていくかは管理しなければなりません。子供は特に。Amazonやgoogleは我々に常に「リコメンド」をしてくれますが、いいなりにならず自分自身をしっかり保ち、何が幸せにしてくれるかを考えるべきだと思います。

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人類が炭水化物を欲する理由とは?

為末
運動することは有益なことはわかるのですが、人間はどのようなことがきっかけで運動するのでしょうか。特に運動を継続していくに対して、多くの人はハードルが高く感じると思うのですが…。

レイティ
最初のステップは、運動が良いことである動機付けです。鬱や不安障害などの予防となり、特に脳に対して影響力があると理解すれば人々は真剣に取り組むはずです。学校教育の現場でも同様。現在は校庭での遊び場がなくなり、デジタル機器やテストのみにしかフォーカスしない。例えば、イリノイ州における学校教育では、約1万9000人の生徒が毎日体育の授業を受けた結果、太りすぎの生徒は僅か3%、2つの大きな高校では肥満体型の生徒は現れませんでした。さらにTIMSS(国際数学・理科教育調査)テストにおいては理科で1位、数学で6位という成績を収めたのです。もっとも点数が高かった。これは驚くべき結果であり、私が本を執筆する要因にもなったのです。

為末
今回の対談のテーマとして“現代における野生”があります。例えば、選手達が好きな食事を選ぶと、バランスがよくなっているということがあります。一方で、好きなものを食べると身体に害があるという意見もあります。自分自身が欲しているものを、どのように察知および認知して行動に移しているのでしょうか?

レイティ
人類は狩猟採集民族として進化してきました。特に注目すべきなのは「倹約型遺伝子」を創り出したことです。この遺伝子の特徴は二つあります。一つは、可能なだけカロリーの高いものを食べて、エネルギーを貯蓄すること。私たちは、ピザやアイスのような炭水化物を食べたいと思いますよね?理由はただ「美味しいから」です。そして美味しいものは、カロリーが高いのです。狩猟採集民族は時期によっては4日間以上食べられない時もあります。だから高カロリーな食事を摂取するようになるのです。

そしてもう一つは摂取したカロリーを貯蓄すること。せっかく確保したエネルギーなのに、そんな簡単に手放したくはありませんよね?だから人類は本能的に動くことはない。特に不要なときはランニングもしないし、トライアスロンももしない。狩猟採集民族の遺伝子が今でも存続しているからです。

「この瞬間」を意識すれば、ストレスから解放される

為末
日本を含め都市で生きていく、つまり組織として動いていくには時間的な制約があります。現代で野生化していくには、食事や行動などをどのようにアプローチすればよいのでしょうか?

レイティ
いろいろな意見がありますが、まず食生活では精製された炭水化物を少なくすることです。糖分はもちろん、米やパンといった精製されたもの。一方で、狩猟採集民族時代の人類が摂取していた、ベリー類やナッツ類などの炭水化物でありながら食物繊維が豊富なものは大丈夫です。

森林浴をするだけでも構いません。都市生活や企業で活動していくなかでは、時間を捻出するのは難しいかもしれませんが、努力すべきではあります。なるべく屋外で過ごし、自然を愛することが大事なのです。例えばトレイルランニングをして、今この瞬間を意識することができれば、ストレスからも解放される。いわゆるマインドフルネス状態です。米国のハイテク産業でも実践されており、MITやハーバード大学では学生も教授も実践している。さまざまな情報が、さまざまなデジタル機器から人に浴びせられる今だからこそ、注目されているのだと思います。

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為末
狩猟採集民族は平地で走ることはほとんどなかったわけですよね。ただ現代の都市空間ではほとんどが整地されている。これは、人間にとっては特殊な空間といえます。マインドフルな状態とは、平地ではない凸凹な場所を走り、今いる瞬間に集中して、余計な考えを捨て去るということでしょうか?

レイティ
そうですね。例えば、レースなどの競技中には明日の練習や、次の試合を考えることはないですよね。ただ現代に生きる我々は、過去や未来のことに意識を向けがち。今、脳科学の研究では「どうすれば(集中できる)ゾーンに入れるか」に注目が集まっています。散漫な状況から解放されるためには、今を意識すればいいのです。その為にも、“運動”と“瞑想”は重要なのです。

為末
AIなどテクノロジーの世界では、どちらかというと未来を見据えたり、過去を顧みるといったことが多い気がします。なのにその人工知能を開発するテクノロジスト達が、むしろマインドフルに惹かれているのが興味深いのですが、これは何故なのでしょうか?

レイティ
彼らはむしろ自身の仕事を効率化する、という点でマインドフルネスに注目しているのではないでしょうか。マインドフル状態になるためのAIを開発している研究者もいるので、いろいろなアプローチでマインドフルには興味が注がれているような気がします。また、Amazonもgoogleも「より良い人間とは」「クリエイティブな人間とは」を教えてくれるAIを開発しています。あらゆるリアクションを受けて、我々に的確で適切な情報を与えてくれる。まるでスーパーコーチのようなものですね(笑)。

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テクノロジー社会でどのようにボディハックを図るか

為末
テクノロジーと身体の関係性は今度どうなるのでしょうか。進み続けていくことを遮断することはできないですが、一方弊害もあると考えています。子供向けのランニング教室を開いているのですが、最近は子供達の頭が前傾しているような気がしました。スマートフォンを常に見ていることと少し関係があるのかな、と。テクノロジーは便利だけど、少なからず身体に影響はある。では、バランスよく付き合うにはどのように向き合えばいいのでしょうか?

レイティ
現実は受け入れないといけません。デバイス機器があるのは仕方がありませんが、その上でオンライン以外でも楽しいことがあると教えることも重要です。外で人に会ったり、公園にいったり。集団の中で過ごせば仲間意識が芽生え、共に過ごすことに積極的になれると思います。もちろん、体を動かすことに、テクノロジーを加えていくこともできます。「Wii Fit」や「Dance Dance Revolution」「Pokemon GO」は革命的です。例えば「Fitbit」を着用した子供がいて、父親が1万歩きなさいと言われていました。しかし「Pokemon GO」が出た途端、4万歩も歩いたそうです。テクノロジーが人を外へ動かす、身体を動かす、と言った点には期待しています。

為末
機具が発達していくことで、パフォーマンスがさらに向上しています。それでも例えば、レースでは最新のシューズをはいるけど、練習ではベアフットでトレーニングする人もいる。テクノロジーが発達していくなかで、我々はどのように本来の能力を鍛えたり、開発していくことがよいのでしょうか。

レイティ
忍耐性、強靭性をつけていくことだと思います。自分が困難に直面したときに、「頑張ればここまでできる」と自信を持つこと。さまざまな場面に直面し、対応していくことで肉体的にも精神的にも強靭さを身につけることができる。身体的なトレーニングも、少しチャレンジングなことというか、安全圏を離れてみる。そうすればメリットが得られるはずです。ただ、やみくもにやるのではなく、段階的に進めていくことが重要です。

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為末大(ためすえ だい)/右
1978年広島県生まれ。2001年エドモントン世界選手権、2005年ヘルシンキ世界選手権で男子400メートルハードルで銅メダルを勝ち取る。2012年で行われた日本陸上競技選手権大会を最後に現役生活から引退。現在は、スポーツに関する事業を企画運営する株式会社侍を経営している。著書に『諦める力』『逃げる自由』(プレジデント社)

ジョンJ・レイティ博士/左

ハーバード大学医学大学院臨床精神医学准教授。神経精神医学における世界的な専門家。ベストセラーであり、彼の名が多くの人々に知れ渡ることになった『脳を鍛えるには運動しかない! 』(NHK出版)では、脳と運動の繋がりに着目し、『GO WILD 野生の体を取り戻せ!』(NHK出版)においては、人間が狩猟採集民族時代だった時の“野生”をいかに現代生活で活かし、ライフスタイルを再野生化するかを指南した