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石川弘樹はいつだってパイオニアである。

日本におけるトレイルランニングはもちろんのこと、ファストパッキング、そしてFKT(Fastest Known Time)。つい先日、彼は東海自然歩道(約1,070㎞)の最速走破記録(FKT)にチャレンジし、17日と10時間18分というタイムでゴールした。

石川さんは今年『RUN&CAMP』というスタイルでトレイルランを楽しむ計画をしている。これはトレイルランをより楽しむための彼なりの方法論。

「僕は、自然の中で長い時間を過ごすこと、自然をとことん堪能することが、とにかく好きなんです。だからトレーニングではなくただ純粋にトレイルランを楽しむなら、日帰りではなくできるだけ長く山に入りたい。そしてさまざまなエリアに足を運んで、その土地ならではのトレイルや風土を楽しみたい。それを実現させるためのひとつの手段が、この『RUN&CAMP』なんです。サーフィンでサーフトリップという言葉がありますが、それのトレイルランバージョンですね」

そこで今回から3回にわたり、石川弘樹さんと行く『RUN&CAMP』の旅を紹介する。この連載で、レースでは味わえない、そして日帰りでは体感できないトレイルランの魅力をお届けできればと思う。

第一弾のフィールドは、阿蘇・九重。「以前から、本州にはないここならではの景色の中を思いっきり駆け抜けてみたかったんです」と石川さんは選んだ理由を語る。

阿蘇と言えば、4月中旬に発生した熊本大地震で甚大な被害を受けた場所。石川さんが訪れたのは地震の約1週間前。つまり今回の記事内容は地震前のものである。現在、阿蘇の山々(主に中央火口丘群)へ向かう登山道はほとんど封鎖され、立ち入ることはできない。そのため、この記事はコースガイドとしての機能は少ない。でも、阿蘇が持っている本来の魅力、走るフィールドとしての素晴らしさは、存分に盛り込まれている。それを読者の方々に伝えることで、微力ながら復興の一助となれば幸いである。

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【DAY1】阿蘇北外輪山

熊本空港に降り立った一行(石川弘樹さん、グレゴリーのプレス・佐々木拓史さん、ライターの根津貴央[筆者])は、すぐさまレンタカーに乗り込みトレイルへと向かう。1日目の今日の目的地は、阿蘇外輪山にある鞍岳(標高1,118m)とツームシ山(標高1,064m)である。

阿蘇山と言うと、阿蘇五岳(高岳、中岳、杵島岳、烏帽子岳、根子岳)を中心とした中央部が注目されがちだが、外輪山もれっきとした阿蘇山の一部。その大きさは南北25㎞、東西18㎞、周囲128㎞にも及び、世界最大級のカルデラ地形を形成している。石川さんは言う。

「カルデラ内に約5万人の人が住んでいるなんて驚きですよね。その縁から、火口群や町を眺めてみたかったんです」

第一駐車場に着いた僕たちは、登山口から鞍岳を目指す。距離約700m、標高差120m足らずゆえ、あっという間に登頂。しかも頂上からは360度の大パノラマ。ガスが立ち込めてはいたものの、阿蘇五岳や外輪山の山々を望むことができた。

つづいてツームシ山へと延びる稜線へ。そこは、まさに走ってくれと言わんばかりのシングルトラック。樹林帯の中を気持ち良く駆け抜ける。途中、アセビ(馬酔木)というツツジ科の植物が群生していて、そのすずらんのようなつぼ型の花は、僕らの目を楽しませてくれた。

ツームシ山は草原状であり、その山頂は山の頂きというよりは草原の中の小高い丘のようであった。軽く休憩して下山する予定だったが、走り足りない人がひとりだけいた。石川さんである。

「みんなが休んでいる間に、マゴ山を往復してくるよ!」

と言い、コースタイムで往復40分のところにあるマゴ山(標高1,030m)へ。そして10分後、満足げな表情で戻ってきた。

下山途中に、馬頭観音と書かれた道標を見つけた僕たちは、なぜか引き寄せられるように脇道へ。しばらく進むと目の前に現れたのは、レンガ造りの社(やしろ)。中に入ると馬頭観音像が祀られていた。社といえば木造というイメージがあっただけに、この洋風な佇まいの理由がとても気になった。知る由もなかったが、3人とも興味津々でしばらく見入っていた。

1日目のランは、足慣らしということもあって2時間程度でサクッと終了。もしこのトレイルランが観光ついでや出張ついでのものだったならば、下山後にホテルや旅館に戻るだろう。でも今回は『RUN&CAMP』、すなわちオールアウトドアなのだ。僕たちは、今回のベースキャンプ地となる阿蘇山の中腹にある防中野営場に向かった。

ここから長い夜が始まる。各々テントを設営し、宴会場(とは言っても、焚き火台とテーブル&チェアくらいだが)をセッティング。乾杯をして宴がスタート。メインディッシュは、熊本名産の馬刺しとたてがみ。キャンプ場までの道中で、偶然見つけた精肉店で購入した食材である。

「気心の知れた仲間たちと走るだけでも楽しいのに、それに加えてキャンプまでしてしまう。大自然の中、焚き火を囲みながらみんなで地のものを食す。星空の下で旅のことやら人生のことやら、さまざまな話に花を咲かせる。これこそが、『RUN&CAMP』の醍醐味だと思います」

そう魅力を語る石川さん。そして、焚き火の前でお酒を片手に語り合う男3人。「明日があるから早めに寝よう」なんて言葉は野暮というもの。みんな、いまこの瞬間を楽しんでいた。

※鞍岳およびツームシ山の登山道については、通行規制は出されていませんが、落石等の危険性があるので注意が必要です。

【DAY2】九重連山

朝4時。まだ日が昇る前に起床し、準備を始める。今日の目的地である九重連山のスタート地点まではクルマで1時間ほど。さらにランの行程が長いため、僕たちは夜明け前にキャンプ場を後にした。

キャンプ地から九重に向かう途中に位置する「城山展望所」にて。阿蘇の山々と雲海に見入る3人。

スタート地点の長者原(ちょうじゃばる)からはラムサール条約登録湿地であるタデ原の木道を歩く。雨ヶ池越を経て下っていくと坊ガツル。ここもラムサール条約の登録湿地。しかも九州唯一の高層湿原。山々に囲まれた広大な湿原は開放感満点で、3人とも「ここは気持ちいいねぇ〜」と言いながら軽快に走る。

次に大船山(だいせんざん・標高1,786m)を目指す。大戸越(うどんこし)を経由するルートは思ったよりも勾配がキツく、足場も石が中心でなかなかタフだった。北大船山(標高1,706m)の手前になると視界も開け、九重の山々が姿を現す。「おぉー、あそこで野焼きをやってるよ!」と北西の方角を指さす石川さん。このエリアは昔から野焼きが盛んで、それにより害虫を駆除し、草の新芽の発育を促している。春の野焼きは、草原や湿原環境の保全には欠かせないそうだ。

大船山をピストンして坊ガツルに戻り、法華院温泉山荘の西側のガレ場を越えると、そこには別世界が待ち構えていた。目の前に広がっていたのは、荒寥とした茶褐色の世界。ここは火星なのか?と思うほど(もちろん火星には行ったことはない)。西側にある硫黄山からはモクモクと噴煙が立ちのぼっている。そして、その中を颯爽と走る石川さん。まるで映画のワンシーンを見ているかのようだった。

久住分かれの峠からは、九州本土最高峰の中岳(標高1,791m)、稲星山(標高1,774m)、久住山(標高1,787m)を巡る周回コース。ここがまた素晴らしかった。これぞまさに火山群といった景色が広がり、名だたる山々を一気に踏破できる。特に稲星山〜久住山にかけての稜線は、右手に荒々しい火山群、左手には雄大な久住高原が広がり、そのコントラストが楽しめる。石川さんも「対照的な景色を眺めながら走れたのは、本当に気持ち良かったよね」と振り返る。

レストハウスのある牧ノ戸峠まで駆け下りた僕たちは、ここでしばらく休憩。それぞれジュースやアイスクリームなど、好きなものを買ってエネルギー補給をした。今日の行程も残りわずか。サクッと長者原まで戻ろうと思ってリスタートしたものの、なかなかのアップダウン。意外と手ごわい終盤戦となった。ただ、今日一日走ってきた山々を遠くに眺めながら走るのは悪くなかった。「あそこをぐるっと回って来たんだよねぇ」と石川さんに言われ、少し感慨にふける。たった1日で九重の山々を走ってきたことを考えると、なんて贅沢な遊びをしているんだろうと思う。

ラストの長者原までの下りに入った時だった。焦げ臭いにおいが漂ってきた。と同時に目の前には焼け焦げた草原。そう、野焼きである。「これ、北大船山から見えたヤツじゃない?」と驚いた表情の石川さん。まさしくその山頂で見たのがこれだったのである。その時は遥か彼方のような気がしていただけに、まさか自分たちがここまで走ってこられるとは思ってもみなかった。

ゴール後は近くの日帰り温泉に入り、夕食も済ませて再びベースキャンプへ。薪に火をつけ、焚き火を始める。今日は九重連山を走り倒しただけに疲れはあった。でもそれ以上に、刺激的過ぎて昂ぶった感情が落ち着かない感じがした。僕だけではなく、3人とも九重の素晴らしさにやられていた。ゆらめく炎を眺めながら、旅の思い出を共有する。誰もが、サーフトリップならぬトレイルラントリップを満喫していた。

※九重連山の登山道については、一部ルート除いて通行可能。詳しくは、環境省ホームページ内の九州地方環境事務所ページを参照ください。

【DAY3】烏帽子岳&杵島岳

最終日は、阿蘇五岳に数えられている烏帽子岳(標高1,337m)と杵島岳(標高1,321m)の周遊コース。
烏帽子岳は、草千里ヶ浜という直径1㎞の火口跡の縁を一周するコース上にある。起伏が少なく、登山道というよりは散策路のような感じ。家族連れのハイカーも多く子どもでも歩ける道だ。それだけに走るにはもってこいである。僕たちは草千里ヶ浜の草原、阿蘇山の火口群から立ちのぼる噴煙を眺めながら、一気に駆け抜けた。

つづいて杵島岳へ。舗装路に始まりさらに舗装された階段を経由したため、正直なところ期待値は低かった。雄大な自然は待ち受けていないのだろうなと。ただ、登り詰めた時に度肝を抜かれた。そこには、いかつい火口跡が広がっていたのである。

僕たちは、火口の縁を周回することにした。富士山で言うお鉢めぐりである。時々、火口に吸い込まれてしまいそうな感覚に襲われながら細い縁を辿っていく。東側に来ると下界に見えるのが、寄生火山の米塚。これは噴石が積み重なってできた火砕丘で、約3,000年前に形成されたと言われている。阿蘇の開拓神である健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、収穫した米を積み上げて作ったという伝説もあるらしい。たしかに、そんな伝説が生まれてもおかしくないような不思議な佇まいをしている。自然物のような人工物のような、摩訶不思議というか怪しいというか、得もいわれぬ趣きがあるのだ。

火口縁を満喫した僕たちは草千里駐車場に下山し、クルマに乗り込み、熊本空港へと向かった。短くも長い3日間の旅の終わりである。石川さんはこう振り返る。

「『RUN&CAMP』は、旅をしている感じがより味わえるし、トレイルランが終わらない感じがいい。ずっと外にいるから終わった気がしないんですよね。そもそもトレイルランはアウトドアアクティビティです。走ること以上にアウトドアを楽しむものでもあります。であれば、自然の中で寝泊まりしたほうがより深くその魅力を味わえるはずなんです。特に日帰りのトレイルラン経験しかないという人には、ぜひ体験してみてほしいですね」

トレイルラン好き、アウトドア好きにぜひ実践してほしい『RUN&CAMP』。次回は、新緑の東北トレイルを予定しています。お楽しみに!

※阿蘇山(阿蘇五岳)の登山道については、すべて立ち入り禁止。現状、開通の目処は立っていません。

グレゴリー ルーファスプロトタイプを現在テスト中
グレゴリーと石川弘樹さんが開発を進める新しいトレイルランニングパック、ルーファス。最終プロトタイプは今回の旅でもテストを重ねられていた。石川さんが欲しい機能を全て盛り込んだシグニチャーモデルとして今秋発売予定。