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(写真 山内聡美・平井康翔 /文 村松亮)

 オープンウォータースイミングが夏季オリンピックの正式種目となったのは、2008年北京五輪からだ。海、湖、川などをフィールドにして5km、10km、25kmのコースに分けられる長距離水泳競技。日本での普及はまさにこれから加速すると言われるが、その一因のひとつが競泳とオープンウォータースイミングの2種目を取り組むデュアル・スイマーたちの登場だ。現・日本水泳連盟会長にして、ソウル五輪100m背泳ぎ金メダリストの鈴木大地さんも、競泳選手時代にトレーニングの一環でオープンウォーターを取り入れていたという。

 日本人男子として、オープンウォータースイミング種目初のオリンピック出場(2012年のロンドン五輪)を果たした平井康翔選手。彼もまた複数の種目に取り組むスイマーのひとりだが、屋外で行われる競技のオープンウォータースイミングとライフセービング、そして競泳と、トリプル・スイマーなのだ。

 ロンドン五輪後、拠点を国内からオーストラリアのゴールドコーストに移し、世界を舞台に活躍している彼の帰国に合わせて、約2年間の海外生活で体感したオープンウォータースイミングの本質、そして自身のアスリート像についてじっくりと話を聞くことができた。

(写真 山内聡美)

レース中の駆け引きはロードバイクレースに通じるものがある

 オープンウォーター(スイミング)と競泳の決定的な違いは、水温なんじゃないかと。18度から30度ぐらいまでの幅で、フルにカバーできないといけないので。18度なんて体感でいうともう水風呂なんですよ。こればかりは慣れるほかないんです。ロンドン(五輪)の時も19度でしたし、ロンドン(五輪)を決めたレースも18度でした。かと思えば、上海や香港の海になると、30度近く上昇します。経験を重ねて、カラダを順応させないといけないんです。もちろん海では波やうねりがあって、川では逆流のコースもあります。なにしろなるべくたくさん、さまざま屋外で泳ぐ経験を積まないと強くなれないんです。

 今、僕の主戦場となっているのは、オリンピックディスタンスでもある10km。レースで勝てるようになるにも、まずは経験。トップスイマーはこの10kmをだいたい2時間程度で泳ぎきるんですけど、パワーが10あるとするなら、どう配分して最後のラストスパートまで持っていくか。これをつかむまでにだいぶ苦労しましたね。たとえば、一番強いスイマーは、周回コースで4周あったとしたら、1周目40位、2周目30位、3周目10位ぐらいまできて、ラストスパートで一気に刺しにくる。1周目で後方にいても、どうやったら先頭集団に追いつけるか、その術を知っているんです。水の中では競泳のようにコースがしきられていないので、パックの中やブイ周りでは競泳にはない激しいボディコンタクトがあります。

 僕の中では、オープンウォーターのレース運びは、自転車のロードレースに近いのかなって思っています。ツール・ド・フランスの各ステージのゴールシーンでも、ラストはスプリント勝負になって、位置どりとタイミングで順位がほぼ決まるケースがありますよね。1位から10位までがほぼ同着、数秒しか差がない。あれに近いんですよ。だから僕はロードレースの映像をよくYouTubeで掘って参考にしたり、自転車系のウェブサイトでトップ選手のインタビュー記事を読むこともあるんです。

 レースで最も大事なのは、ラスト1周だと思ってます。もっと細かいこと言うと、ラスト500m~300m、200m、100mが大事です。アタックをかけたけど、途中でへばって後ろから刺されることもあります。だからギリギリまで我慢する。行きたい、行きたいって思ってるけど、我慢して我慢して、ここっていう瞬間にスパートできたスイマーが勝つ。ここが、おもしろいんです。むしろ先頭集団に入れる実力さえあれば、チャンスがある。この競技で世界一になってやる、少なくとも僕はそう思って泳いでます。ラストの100mってほんとに辛い。「早く試合終わりたい、けど頑張んなきゃいけない、もうちょっと頑張れば、新しい歴史を自分が作ることができるかもしれない」そんな想いなんですよ(笑)。

(写真提供:平井康翔)

日々のトレーニングサイクル

 普段のトレーニングサイクルは、まず朝4時45分に起きて、バナナを3本、ヨーグルト100g、オレンジジュース一杯の補給を入れてからプールへ。5時30分には入水していて、朝8時までトレーニングをしています。実質練習は2時間なんですけど、ストレッチなど含めて、朝は3時間くらいですね。その後、カフェで朝食をチームメイトらと食べるんです。ゴールドコーストはインディペンデントのカフェが多い街なので、朝カフェ文化が豊かなんです。

 お昼は行きつけの『Donto Sappro』という日本食屋さんでSappro弁当という幕の内弁当をよく食べてます。シェフの方がアスリートの僕に気を使ってくれて、どんぶりご飯ともう一品のサービスしてくれます(笑)。それで14時から16時はまたプールでのトレーニング、16時から18時まではジムでドライランドトレーニングや体幹トレーニング。週のサイクルは、月曜日から木曜日までが朝昼の2部練。金曜日と土曜日は1部で、日曜日がオフなんです。水曜の朝練は、たいていゴールドコーストの海岸沿いにあるライフセイビングクラブへ行き、5〜6kmのオープンウォーターが入ります。最低、週に1回は絶対アウトドアでの練習が入りますね。夏になると近くの湖でもトレーニングをするので、週2回に増えることもありますね。

 2年間オーストラリアという国を拠点に生活していて感じているのは、ライフセービングや水泳、オープンウォーター(スイミング)といったウォータースポーツの社会的なステータスの高さです。街に僕は受け入れられている、日本でのお相撲さんみたいなものですかね。街のいたるところにプールやスイミングクラブがあって、プールには職種関係なく、多くの人が毎日泳ぎにきています。朝、泳いでから出勤する人もたくさんいます。ランでもスイムでもジムでも、現地の方のライフスタイルにはスポーツがちゃんと組み込まれていて、街とスポーツも上手く混ざりあってるなって。

世界と戦い続けるために一番になれる競技を選んできた

 僕がオープンウォーターと出会ったのは、高校3年生ですが、転機は大学一年生の頃でした。まだ屋内プールがメインで、高校最後の年にU18の日本代表に選ばれ、世界ジュニア選手権の400m自由形で6位に入れました。日本代表として勝つ喜び、自分より背の高い海外選手と戦う喜びを知り、とにかく「世界で戦うために」という強いこだわりが芽生えていました。「ここからロンドン五輪まで、毎年日の丸をつけて世界戦に出場しよう」そんな決意をした矢先、大学1年生では代表を落選してしまうんです。そんなときでしたね。千葉県水泳連盟の常務理事である鵜原さんに声をかけてもらって「北京(五輪)から正式種目になるオープンウォータースイミングという種目があって、日本選手権で優勝したら国際大会へもいけるぞ」って、オープンウォーターのレースに誘ってもらったんです。僕は種目にこだわるのではなく、とにかく日の丸をつけてことにこだわっていましたから、出場を決意します。それで2009年に初出場したオープンウォータースイミング日本選手権で、当時の日本チャンピオンに勝つことができ、初挑戦でいきなり日本一になったんです。

 結局、その年の日本選手権で優勝できてもすぐに国際大会へ行くことはできませんでした。それでも2010年に初めてオープンウォーター(スイミング)日本代表としてW杯に出場し、競泳の全日本学生選手権では400m自由形で2位に入りました。まだこの頃はどちらの種目でオリンピックを目指すか迷っていましたね。それで大学3年のときにオープンウォーター1本に絞る選択をするんです。より自分が世界に羽ばたける可能性にかけたんです。オープンウォータースイミングという競技で、僕が初めてオリンピックへ行く、まだ日本人で誰もやったことのないことに挑む、新しい道を切り開いていきたい。自分の人生を切り開いてくれるものだと信じていました。

(写真 山内聡美)

 最近気づいたんですけど、水泳っておそらく、人間が生まれてから一番早く始められるスポーツですよね。僕自身、生後半年たらずで喘息もちだったことからベビースイミングに通うんです。それで喘息を克服できてからも水泳は続けて、物心がつく頃には選手コースで泳いでいました。小さな頃から、義務だとかで、やらなきゃいけないって気持ちはなかったんですね。選手コースにあがったら次は全国大会へ。全国に出たら次は同世代の誰にも負けたくない、そんな風に上を目指す気持ちがずっと続いていて、今もその途中なんです。

 多分、家庭環境が少なからず影響しているのかなって思います。僕が小学校2年のときに、父さんと母さんの仲が悪くなってしまい、3年生からは母さんがひとりで僕と弟を育て始めます。それから母さんは一日中働いていて、僕らはよく婆ちゃんに預けられていました。母さんのその姿をみて、水泳の練習がキツいとか、頑張んないとか、そういうんじゃないなって意識が子どもながらにあったんです。

“JAY-Zから学ぶアスリート向上論”

 僕、大学の卒論テーマが「HIP HOPの帝王JAY-Zから学んだアスリート向上論/私が愛する 音楽(日本のHIP HOP MUSIC)の未来を考える」というものだったんです。実際、ロンドン五輪の出場権を獲得するまで、JAY-Zの自伝を何度も読んでいて、競技生活に応用してきました。自伝の中では、ゲトーから抜け出すには黒人はバスケットコートでダンクをするか、ステージでラップするしかなかったって。ニューヨークに住む黒人たちの成り上がろうとするスピリットに胸が熱くなりました。大げさかもしれませんけど、彼らにとってのダンクやラップが、僕の場合は水泳だったんじゃないかって。母子家庭で育ち、たとえば大学進学ともなれば、入学金や授業料をどうやって支払っていくかという問題がありました。でも僕が入学した明治大学にはスポーツ奨励奨学金というものがあったんです。毎年、全学年の体育会生の中で数十人に対して授業料相当額の給付(返還不要)をしてもらえる制度で、大学が定めた必要取得単位を満たし、世界・国際大会で優秀な競技成績を収めることができると、給付されるものでした。クリアできなかったら大学をやめるしかない、だからこそ毎年毎年、必ず結果を出そうってやってきました。結果的に僕は、4年間このスポーツ奨励奨学金を給付してもらい、授業料を払うことができたんです。そして、大学4年生のときにオリンピックに出場することもできました。

 結局、スポーツで勝ち上がるにはハングリー精神が必要なんだと思うんです。「何が何でも」、そう思えるか。競技にかける想いが、ここぞという勝負で表れ、結果が変わる。ハンデを武器に変える強さだって、ときには必要ですし、スポーツはそれをも汲んでくれますから。だからこれからも変わらずに、僕は強い想いを持って競技に取り組んでいきたいんです。今年の2月に世界水泳の代表選考会をクリアできました。そして7月にロシアで開催される世界水泳カザンの日本代表にも決まりました。今年の目標は、リオ五輪にむけて世界水泳で10番以内に入ること。そうすれば、1年前に五輪出場権を獲得できるんです。今はそこだけにフォーカスしていますね。1年前に決めることができれば、しっかりリオに向けてトレーニングできます。

 僕はいつだって、大舞台で結果を出すことを第一優先に考えているんです。その先には、僕が本当にやりたいことがある。いつか日本の海で、オープンウォーターやライフセービングのコンペティションと、 好きなDJやアーティストたちとが集まった新しい屋外イベントをやりたいんです。ウォータースポーツと音楽、カルチャーが混ざり合った新しいイベントです。音楽と水泳の両方をはじめから好きじゃなくてもいいんですよ。泳ぎに来たんだけど、そこで流れてる音楽に感動する、ライブを見に来たけど、スポーツの迫力に圧倒される。どっちかでいい。僕なりのスポーツ文化事業ができればなぁって。

 だから今は、純粋に競技の結果を追い求める生活が続いているんです。いつか実現させてみせます。

平井康翔(ひらい・やすなり)
1990年4月2日生まれ、千葉県出身、通称YASU。株式会社朝日ネット所属。日本人初のOWS(オープンウォータースイミング)競技オリンピアン。現在はオーストラリア・ゴールドコーストに拠点を移して、日本とのデュアルライフを送っている。ファッション、ストリートカルチャー、格闘技への造詣も深く、自らを「クリエイティブ・アスリート」と称する水泳界の異端児。2016年リオデジャネイロ五輪でメダル獲得を目指している。2008年、全国高校総体400m自由形優勝。翌2009年からオープンウォータースイミングに取り組み、2010年から日本代表入り。2011年ユニバーシアード深圳10km銅メダル、2012年ロンドン五輪では初出場で15位、2014年10月のFINAワールドカップ香港大会ではロンドン五輪銅メダリストを破り8位入賞を果たした。
http://yasunarihirai.jp