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(文 武井幸久/ 写真協力 アフロフォト通信社/ 協力 adidas japan

 2014年、日本のテニスシーンは錦織圭の活躍によって、かつてない盛り上がりとなった。USオープン準優勝やATPツアーファイナルへの出場もあって、「日本人初」「アジア出身男子選手初」の見出しがメディアを踊った。確かに錦織が「日本人初」の快挙を多数達成したのは間違いないが、長年のテニスファンにとっては「アジア出身男子初」という言葉には少しだけ違和感がある。なぜならその錦織を大きくバックアップした張本人、マイケル・チャン・コーチが現役だった80年代後半〜90年代当時の活躍がいまだ脳裏に焼き付いているからだ。

 台湾系アメリカ人であるマイケル・チャンが「アメリカ人」としてカウントされるのは仕方ないが、ルーツという面で言えば明らかにアジア人だ。身長175センチと、テニス選手としては小柄な身体ながら、圧倒的なフットワークとクレバーな戦術で、わずか17歳と3ヶ月で全仏オープンを制し、キャリアを通じて世界ランク2位まで登り詰めた。今シーズン多数の偉業を達成した錦織圭だが、来シーズン以降、もっとも間近な存在であるコーチの記録を超えなければならないことは、本人にとっては次なる壁なのかもしれない。今回はそのマイケル・チャンが、愛弟子である錦織圭や自身のコーチングについて語ったエクスクルーシブ・インタビューをお届けしたい。

 優れた選手であったマイケル・チャンが、コーチとしても優れているその理由とは。

一人のプレーヤーに当てはまることが他のプレーヤーには当てはまらないこともある。

 (錦織)圭の飛躍の理由には、具体的に「これ」と言えるものはありません。いろんな経験をしたことが良かったのだと思います。彼はプロ転向数年で15位以内にランクインしましたが、その次のレベルに上るのに苦労していました。「俺は(松岡)修造より上に行けた。15位まで来たし、結構いい線行ってるから今のままで続けていこう」。圭と同じ状況下にいたなら、きっとこう考える選手は多いでしょう。でも、そうやって現状維持で満足する選手もいるけど、圭はさらに強くなりたいと思っていた。もし彼に才能がなくて、それ以上は無理だと私が思ったなら、「今のままでいいよ」と言うのは簡単でした。でも私は、彼には“それ以上”を目指せる才能があると思ったし、それが真実だったことは誰の目にも明らかです。

 彼にはいろんなことを話しました。どういうメンタリティが必要か、ゲーム中のさまざまな部分、コートの中だけじゃなく、外でのこと。そういうこと全てを通して、トッププレーヤーになるためにはどういう視野(ものの見方)が必要かを話し、それを彼が理解できたのだと思います。飲み込みが早いこともあれば、そうではないこともあります。個性は違うし、一人のプレーヤーに当てはまることが他のプレーヤーには当てはまらないこともあります。ただ、圭のいいところは自分のテニスに集中しているところ。一生懸命努力するし、結果を出したいと思っていることが私に伝わってきたんです。

自分が達成したからこそ分かる、アジア人の可能性。

 私はいつも「アジア人は他のラケットスポーツではいい成績を残しているのに、テニスだけ例外なのはおかしい」と思っていました。アジア人男子テニス選手でトップにランク入りした人は少なく、私はその数少ない選手の中の一人です。アジア人女性はいい結果を残しています。(リー・ナなど)中国人女性も最近頑張っているし、(クルム伊達)公子はかつて世界トップ5位にまで上り詰めて、とても素晴らしいキャリアを築いている。圭は男性の中でも一番近くまで上り詰めていたから、コーチの話が来た時、「若いアジア人選手を次のレベルに押し上げて、これまでアジア人選手がなかなか手に届かなかったことを成し遂げるための手助けができる、私にとって一生に一度の機会かもしれない」と思いました。彼はそれまでにも良い経験をたくさんしてきているから、今以上にいい選手になるために助けてあげられるかもしれない、でも一方で助けてあげられないかもしれない、とも思っていました。正直、コーチをし始めるまで、結果が見えてくるまで、私にも分からなかったんです。

強くなるほど増える、トッププロのプレッシャー

 彼は自分の弱さを克服するために、努力して自分の強さを証明するタイプでした。コートに出れば、どんなプレースタイルのプレーヤーとも試合ができて、しかもいい結果を引き出せます。メンタルはとても強くなったと思いますし、肉体的にもとても強くなった。もちろんすぐに吸収できることもあれば、時間がかかることもあります。圭にはまだまだこれから証明すべきことがたくさんありますし、そのこと自体、とてもエキサイティングだと思います。今は世界ランク7位ですが(※2015年1月現在、世界ランク5位)、まだベストとは言えないし、まだまだ時間と努力を積み重ねることが必要です。そして今後は、今まで以上に対処しなければならないことも増えていきます。テニスの試合だけではなく、スポンサーなど、「もっと圭の時間をほしい」と言う人が増えてくる。トップ10に入ると、気に触るようなプレッシャーにも耐えることが必要になってくる。でも、そういうことに関しては私も経験があるので、それを共有し、どう対処すればいいか教えてあげることができます。バランスをとって、精神を安定させることでテニスに集中できるんです。

選手だったコーチだからこそ持てる視点

 私自身、自分のコーチがしてくれたことに対して感謝しています。コーチングとは、プレーすることとは全く違う要素があり、簡単な仕事ではありません。どうやって選手を育てていくか、どうやってモチベーションを与え、正しい方向へ導いていくかを常に考える必要があります。自分自身プレーヤーだった経験があるから、横で見ているだけなのがもどかしい時もあるし、プレーヤーには見えていないことが見えていることもあります。(テニスというスポーツは試合中にはコーチングができないので)プレーの間にできるのは、「ポジティブに考えろ!」とか、そういう彼を励ます声をかけることしかできません。試合の後でビデオを見せて本人に指摘しないと気づかないこともあります。「見てみろ、ここではこういう展開があった」、そして彼が「プレーしているときは気づかなかった」ことを、私はコーチとして、外からの視界で彼に伝えるんです。なかなか難しい仕事なのです。

錦織圭に与えた“未来の視点”

 私のコーチングは、その選手が「これまでと違った視点を持てるように」手助けしているのだと思っています。選手は誰かに常に何かを言われ、それを聞いてばかりいると、一つのことにしか目が向かなくなります。自らのポテンシャルにも気づくことができず、他の人もそのポテンシャルに気づいてくれないものなのです。そうなると未来を描くことができないから、自分を高めていくことが難しくなってしまいます。誰かがそのポテンシャルと才能に気づき、それをさらに伸ばそうとしてくれれば、自分がどこまでいけるか、きちんと未来図を描けるようになります。それが僕の言う「違った視点」です。洗脳とは違うし、圭に無理だと思うことを言い聞かせているわけでもない。彼に「なぜ」と問い詰めたりはしないし、私が「絶対にできる」と本気で思わなかったら言わないのです。できないことを言うことは、私にとっても彼にとってもフェアではないからです。

それぞれが持っている天賦の才能を活かしたプレーを

 「最高のプレーヤーになるための大事な条件」それは私には分かりません。結局のところ、さまざまな要素の組み合わせだと思っています。私は若いプレーヤーには、ぜひ自分の好きな選手を見つけて応援してみてほしい、と常に言っています。例えば圭を見て、より若い選手がインスピレーションを受けるのは素晴らしいことだと思います。でも一方で私は、「自分らしくプレーできる選手になってほしい」といつも選手に言います。圭は誰か他の選手とまったく同じになりたいとは思っていません。一人一人がユニークであり、自分は自分でしかない。自分の持っている天賦の才能は、他の人とは違います。圭はより自分らしいスタイルでプレーする決意ができたんです。

Michael Chang(マイケル・チャン)
1972年2月22日生まれ、アメリカ出身の元プロテニスプレーヤー。1988年にプロ入りし、翌年の1989年に17歳3か月で4大大会を制するという偉業を成し遂げ、この最年少優勝記録はいまだに破られていない。1989年全仏オープン・男子シングルス部門の優勝者をはじめ、数々の功績を残す。自己最高世界ランク 2位、生涯獲得タイトル シングルス34勝。2003年に現役引退。2014年からは錦織圭のコーチとして活躍している。