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世界最強のアルパインクライマーといわれるスティーブ・ハウス。エべレスト登頂の際にも一般ルートは登らず、より直線的で困難な未踏ルートを自ら開拓し、装備と食料は必要最小限しか持たない。北米とヒマラヤを中心に数々の難ルートを初登またはスピード登攀してきたスティーブ氏が、自身の体験を綴った初の著書「垂壁のかなたへ」を上梓した。そこにでてくる「アルパインスタイル」という言葉には、いったいどういう意味が込められているのだろう。スティーブ氏は、さまざまな苦難と功績を感じさせない優しい眼差しでインタビューの場に訪れた。

スティーブ・ハウス 著/海津正彦 訳 『垂壁のかなたへ』(白水社)

残すのは自分の足跡だけ。

クライミングでもっとも重要なのは山なんだ。僕がクライミングをするときに興味を持っていることのひとつとして、どのルートで登るのか?ということ。ただ登りやすいルートをたどって、登頂することだけが目的ではないから。自分の体力や能力との挑戦だったり、美しい景色を楽しみながら登ることだったりね。山にはたくさんの表情がありルートがある。それを楽しみながら登るのがアルパインスタイルのクライマーなんだ。それともうひとつ重要なことは、登る山や自然に負担をかけないこと。最近多くのクライマーがアルパインスタイルに賛同してくれている。クライミングの時に山になにも残してこないこと。残すのは自分の足跡だけ。岩に穴を開けたり、使用したロープをそのまま置いて行かない。例えばエベレストなどの大きな山に登るときは何十人というグループがたくさんの食料やギアを持って登ることがほとんど。途中、何度もキャンプをしながら頂上を目指すんだ。そしてキャンプごとに使い終わったギアをその場に残していくことも多いんだよね。体は疲れていくし、使用済みのものはただのお荷物になるから。空になった酸素ボンベやテントだったり。酸素ボンベは鉄のタンクでできているものが多いので重量があるからね。僕はそもそも酸素ボンベを使って山に登ることもしない。ボンベを使うことはスポーツでいえばドーピングしているのと同じだと思うんだ。その条件の中自分の実力だけでいかに登って行くことができるか、というところに自分の価値を置いている。それがアルパインスタイルなんだ。

オレゴン州のアウトドアファミリーで育ったスティーブがクライミングにのめり込んだのは交換留学で訪れたユーゴスラビアだったという。

18歳の時に交換留学でユーゴスラビアで1年間暮らしたんだ。行き先は学校のプログラムで決められるんだ。なので初めはその国がどこにあるのかもわからなかった。現地の学校で授業を受けたけれど、その国の言葉がまったく分からず、すぐに学校に通わなくなったんだ。その時ホストファミリーが学校の代わりに連れて行ってくれたのがクライミングジムだった。それまでもクライミングは好きでやっていたけれどそれから1年間ほぼ毎日ジムに通ったんだ。それまでは普通のアメリカの子供と同じように野球やバスケットボールなんかも好きでやっていたけれど、それもやめてしまって、その時からずっとクライミングを続けているんだ。

クライミングを続けられる理由。そしてこれからも続けていく理由。

クライミングを続けている一番の理由は、学び続けているからなんだと思う。自分のことを知ることができるんだ。もし自分自身を知りたいならクライミングをすることを勧めるよ。僕たちがクライミングをするとき、どうにかして登るルートをみつけて登ることがある。もちろんレベルが違うけれど、初めて経験する人も自分が登れそうなルートをみつけながら登ろうとする。それと同時に自分の弱点もわかるようになり、どう克服して先に進むかということを学べるんだ。それはもっと体力をつけることかもしれないし、精神面で強くなることかもしれない。集中力?もしかしたら体重を減らすことが必要なのかも。

僕もクライミングを長い間やっているけれど毎回なにかを感じながら続けているんだよ。クライミングは常に練習をしていないとダメなんだよね。常に続けることによって体が自然と覚えていく。ヨガと同じだよ。初めはなかなかできなかったポーズも何年も続けていればできるようになる。クライミングは続けていなければクライマーとは言えないと僕は思う。それと僕がクライミングを続ける理由として、世界中を知ることができるから。今までクライミングをする為に世界中を旅してきた。クライミングが僕をいろいろな場所に連れてきてくれたんだ。ネパール、インド、パキスタンなど。パキスタンは8−9回以上訪れているよ。それも僕がクライミングを続ける理由のひとつ。

クライミング以外におこなっている意外なことは?

普段クライミングをしていないときはパタゴニアのアンバサダーを務めているので製品をテストしてそれのフィードバックをする為にレポートを作成したりしている。それと講演に呼ばれることも多いんだ。登山クラブから銀行や金融機関、シリコンバレーにあるソフトウェアの会社で講演することもある。ソフトウェアの会社はさまざまなものを想像しそしてクリエイトしていくことが仕事だから、いろいろな職種の人を講演会に呼んでいるんだと思う。セルフマネージメントの話とか僕の経験したことやストーリーを自分たちの仕事に落とし込んで考えることも重要だと思っているんだ。会社をまとめるマネージャーだったら、いろいろなことをコーディネイトしなければいけない。クライミングの時もさまざまなギアだったり登る山の岩や氷、それに一緒に登るパートナーのことなどクライミングに関係するさまざまなことをマネージメントしながら登っていくから。

彼らの日常とはだいぶかけ離れているけれど、違った角度から物事を考えたりする事が役に立つこともあるのだと思う。それとパタゴニアではプロダクトの開発を手伝っているんだ。実際にその製品を使ってテストして使い心地などをフィードバックしたり、地球という資源の限られた場所で一企業としてどんなことができるのか?ということを考えているんだ。他の大企業の人がパタゴニアを訪れ、ビジネスを展開しながらどうしたら今より地球に負担をかけずにビジネスを進めていけるのか?ということを相談したり話し合ったりしているんだ。

クライミングで重要なこと

フィジカルなことでいえば、強くて身軽なこと。日本人に優秀なクライマーが多いのは欧米人にくらべて身軽だからじゃないかな。体重が軽いと負担も少ないんだ。メンタル面だと集中力を持続させること。僕は禅のレッスンやメディテーションのクラスを受けたことがあるんだ。クライミングでは集中力がとっても大切。それは普段の生活でも生かされていると思うよ。日常のバランスが良い方向に働いていると思う。僕の場合、数日間クライミングをしないとそのバランスも崩れてしまうんだ。

「垂壁のかなたへ」を書いた理由

本を書いたのにはたくさんの理由があったけれど、ひとつはパキスタンの山、ナンガ・パルバットに登ったことが理由なんだ。その山に登ったのは20歳の時、そして再び訪れたのが35歳の時。その時の話が本の前半と後半にあるんだけれど、いろいろなことを経験したんだ。その時のストーリーをどうしても残しておきたかったのが大きな理由のひとつ。年をとってからでは忘れてしまうからね。(笑)クライミングには危険がつきものなんだ。僕も長い間続けてきてたくさんの仲間を亡くしてきたから。その仲間たちもたくさんのストーリーがあったはずなんだ。僕も自分の経験やストーリーを残しておきたいと思ったからね。
日本語に訳されたスティーブ氏の本を開くと印刷された紙が薄いグレイなことに気がつく。再生紙が使われた本の体裁からも、アルパインスタイルにこだわった彼の考え方やこだわりを感じとることができる。

Steve House
スティーブ・ハウス
1970年、オレゴン州生まれ。
必要最低限のギアと山には何も残さないという「アルパインスタイル」のクライマー。パタゴニア社のアンバサダーや、クライミングのガイドも務める。自身のクライミング人生を綴った「垂壁のかなたへ」白水社(2012)を出版。

(文 竹村卓 / 写真 阿部健)