fbpx

100マイル(160キロ)という過酷なレースの最中も爽やかな笑顔を絶やさず、軽やかに走るスタイルが、多くのランナーの共感を呼んできたトレイルランナー“ヤマケン”こと山本健一選手。そのヤマケンが今年に入り、UTMF(ウルトラ・トレイル・マウントフジ)での日本人1位(総合3位)、そしてヨーロッパで行われた100マイルレース『グランド・レイド・デ・ピレネー』での優勝(日本人がヨーロッパのレースで優勝するのは初という快挙!)と、その強さを本格的なものとしています。
独自のスタイルに“強さ”が伴った、いま最も注目を集めるトレイルランナーのひとりとなったヤマケンに、トレイルランへとのめり込んだきっかけから、『グランド・レイド・デ・ピレネー』での優勝に至るまで、じっくり話を聞くことができました。

どうやったら日本一になれるか考えたら山岳部に行き当たった

「自分が中学生のときに山梨県でインターハイがあるっていうことを聞いていて、それはぼくが高校2年になる年に行われるということだったんです。うちの親は高校教師だったので、そういうのがあるんだよっていうのを聞いていたんですね。それで何を思ったのか“何かで日本一になりたい、インターハイの行われる地元で日本一になれたらかっこいいなって”考えたんですよ。
それで、自分に何が向いているのかいろんな人に話を聞いてみた。そうしたら、高校の山岳部の監督をしている伯父さんから“お前、山なら一位になれるかも知れん”って言われて“じゃあ、山やってみようか”となったんです。道具なんかを見せてもらったら、それもかっこよくて、それで山やろうって決めたんです。
山が一番強い学校が当時、韮崎高校というところだったので、そこに進学することに決めました。だから、まず山岳部に入ることを決めて、そこから学校を選んだということですね。実際に山岳部に入ってみたら、もう純粋に山が楽しかったですね。

山へ行くことが楽しくて楽しくて。山でみんなで食事するのも、テントで寝るのも、普段できないことだし。
稜線に泊まると街の灯りも見えるし星もすごく綺麗でした。そういう貴重な時間がすごく楽しくて、すぐに山にハマりました。インターハイのことも一時忘れてたと思います(笑)。目的を忘れるくらい山が楽しかった」

(左)M's Lightspeed Tee / 9,450円(込)
(右)M's Trail Shorts / 11,550円(込)いずれも HOUDINI

山梨のグリーンな環境がトレイルランの魅力を教えてくれた

山の魅力に目覚めた上に、目標通りインターハイでの優勝を果たしたヤマケン。山岳部の活動と平行して、冬場はアルペンにのめり込み、その中でもモーグルに魅力を感じると、オリンピックを夢見てモーグル部のある信州大学へ進学。長野の恵まれた環境の中、雪山三昧の大学生活でしたが、山梨県の教員試験に合格したことから地元山梨へと生活の拠点を移します。
「雪国から離れ、グリーンな山梨に移ったので冬もろくにスキーもできないし、とはいえ身体を動かさなければならないので一年中緑の山を走ることになりました。環境がそうさせましたね、自然の流れでそうなった感じです。それからある方の紹介でハセツネ(『長谷川恒男カップ日本山岳耐久レース』長らくトレイルラン日本一を決める選手権のように捉えられてきたレース)に出場して“これ、おもしろいじゃん!”って。
高校から山は走っていたんですけど、純粋に山だけを走ってみんなで競うというのをやったことがなかったんですね。教員一年目でハセツネに出て、2000人位の参加者の中で20番台でゴールして“これイイんじゃない、面白いんじゃない”って感じになったんです。
翌年出場した時には道具を少し研究したり、しっかりトレーニングもして、そうしたらタイムが1時間半くらい縮まって、これはもっとやればもっといけるな、みたいな。それでもっとガシガシやったら今度は怪我(スキーヤー時代からの古傷の半月板損傷) をしちゃって、1年間を棒に振ったわけですよ」

身体の声を聞くことで自分のスタイルができあがった

手術がうまくいかず入退院を繰り返し、ベッドで休んでいる間に自分を見つめ直したというヤマケン。最初は焦りからはじまり、色んな人からアドバイスをもらって、次第に自分の怪我を受け入れられる様になったといいます。

「一年間休んでいる間に色々変わったんですね。それまではガシガシ追い込むのが一番いいと思っていたんですけど、やっぱりそうじゃないって。追い込み過ぎてこうなってしまったから、身体をケアしながら、身体の反応を見ながらトレーニングをする。身体の声を聞く、つまり自分のペースで無理しないでトレーニングをするというリズムに出会えて、自分のことをすべて受け入れるということを気づかせてくれた一年でした。
翌年ハセツネでは6位に入賞しできたんです。タイムも1時間以上縮まっちゃって、これはキタなと思った。怪我を経て、自分に正直になって受け入れて、自分を見つめるということは大事だと改めて気づかされました。6位ということで当然もっと上位の選手はいるんですけど、悔しくもないし、その結果に満足できました。

そこからですね、結果が1位かどうかなんて考えなくなったのは。走れるだけで嬉しいなって、そういう気持ちになりましたね、その年から。高校生の頃などは1番にならなきゃだめとか、いわゆる典型的なストイックだったんです。苦しいほうが偉い、疲れてから練習した方が偉いみたいな感じだった。でもいまでは逆ですね。練習する時はフレッシュな状態じゃないと駄目だと思ってます。フレッシュじゃないとやらない。

現在は、身体をケアできる時間をしっかり作るようになったので、充実した練習ができています。練習自体は激しくやっていた頃とあまり変わってないですが、それをフレッシュな状態でできるようになっている。メンテナンスの部分が変わりましたね。身体のメンテをしっかりやっている。調子が良くないときは思い切って“やらない”ということもできるようになりました」

笑顔の秘密

身体の声を聞きながら、自分の練習のリズムを掴む。それは長く競技を続けられる身体を作るだけでなく、結果も生みました。2008年にはハセツネで優勝、UTMB(『ウルトラ・トレイル・デュ・モンブラン』)にも参戦し入賞というなかでオーディエンスの注目を集めたのは、苦しいレースの中で見せる笑顔でした。

「練習したものを本番のレースで出せる“心の状態”に持っていけることが自分は得意なんだと思ってます。100準備したものを、100全ては出せていないかもしれないけれど、多分そこに近いところまでは出せるようになっていると思う。

レースは肉体的に苦しい部分は当然あるんですけど、精神的に苦しい部分というのはほとんどないんですね。リラックスしている分、いろんな人と走ることとか、すごく良い景色が見えることとかに対して笑顔になりますね、自然と。

それに意識してはいないけど、肉体的に苦しいときに苦しい顔をしたらもっと苦しくなっちゃうんじゃないかなという考えはありますね。絶対頭で考えたことは身体に反応として出てくるんですよ。楽しいことを考えれば身体もワクワクしてくるし、嫌なことを考えればミスも出ますし身体も重くなってきます。レモンを口の中で絞られるのを想像するとツバが出てくるのと同じですよ。考えたことに身体は絶対反応するから、楽しく考えた方が結果も良いんじゃないかなと思ってます」

リミッターを外したピレネーのレース

韮崎工業高校の教員として、また山岳部の監督として忙しい日々を送るヤマケンにとって、出場できるレースは限られています。その中で2012年の目標レースに設定したのがフランスの山岳で行われる『グランド・レイド・デ・ピレネー』でした。

「今年の目標を『グランド・レイド・デ・ピレネー』にしたのは、UTMBを3回走らせてもらって、運良く2回も表彰台に立てて、そろそろ違うところも見たいなと思ったからです。同じヨーロッパでモンブランよりも激しいレースがあるという噂を聞いていたので、それを調べて思い切って挑戦した。実際に行ってみると評判通り激しくてテクニカルで。僕はそっちの方が好きなので、良いコースでした。

現地に行って身体を調整している時からかなりいい状態だったので、今回は違うレースになるな、という感覚はありましたね。出だしから、いつもとは違う速いペースでの入りだったんですが“このまま行っちゃえ”という雰囲気になりました。もう序盤で違ったレースができるなという感覚がありましたね。

実は、今回は最初からリミッターを外そうと決めてきたんです。参戦している日本人も自分一人だったので良い機会ということで、チームで“やっちゃおうか”と話していて、最初に身体が動いたらどんどん行こうという作戦で。

リミッターを外すという選択ができたのは、経験が増えてきたからでしょうね。160kmを3回経験してある程度距離感が分かってきたということ。そして、5月の富士山のレース(UTMF)で、ペースはゆっくりでしたが膝もどこも痛くならなずに完走できたこと。それらが自信になって、リミッターを外すという目標を立てられたんだと思います」

自分の限界をもう一度超えて、違う次元で160キロを笑って走りきりたい

UTMFとピレネーのレースと1シーズンに100マイル2回というのは初めての経験です。日本では本当に良い機会を与えて頂きましたね。100マイルを一人じゃとても走る気になれないので。皆とだから、ああして走れました。日本人1位はたまたまです。UTMFでマイペースを維持していた理由は、5月が自分にとってシーズンの序盤だったので、あまりスピードが出せなかったということです。それまでは160キロを走るとどうしても膝が痛くなってしまったので、UTMFでは膝の痛みを出さないということを目標に行ってみようという話になり、抑えて走った結果です。

実は痛みなく走れたのは今シーズンが初めてなんです。それまでは160キロを走ると必ず後半で大激痛が走って、すごくペースダウンする箇所があったんですよ。今年はそれがなくて、2戦とも痛みなく走れたので大きな1シーズンでしたね。
この先の目標、大会の具体的な目標はないですが、リミッターをカットするというか、いまある自分の限界をもう1個2個超えて、また違う次元で“楽にリラックスした状態で”走りたいです。笑って走りきりたいですね、160キロを」

山本健一
山梨県出身。高校時代は山岳部に所属しインターハイで優勝。大学ではフリースタイルスキーに熱中。現在は高校の体育の教師として山岳部の顧問を務る。2008年の日本山岳耐久レースで優勝し、一躍注目を集め、2009年はツールドモンブランに挑戦し、8位と健闘。2012年 グランド・レイド・デ・ピレネー優勝。

(文・動画撮影 松田正臣 / 2Pスチール撮影 藤巻翔 / 協力 HOUDINI