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先日、幕を閉じたロンドン五輪への選考会である日本選手権を最後に引退をしたばかりの為末大さんと、アテネオリンピック自転車競技のチームスプリントで銀メダルを獲得し、競輪選手としても華やかなキャリアを誇る長塚智広さん。彼らふたりは、アスリートの自立と社会とのつながりを目的に発足した「アスリート・ソサエティ」でともに代表理事を務め、TEAM JAPANのメンバーとして被災地支援活動も続けています。その報告会を兼ねた勉強会「アスリート・デイ」の第7回が開催され、ふたりに話を聞くことができました。

チャレンジし続けるプロセスが大切

「世界に出るまでは、とにかく何かを成し遂げるんだという野心の塊だったと思うんですね。しかし、1回メダルを取ってからは、もう1度世界と勝負をしたいという気持ちと、もうひとつは究極の走りを体験してみたい思いが強くなって、その両方がモチベーションになりました。どこまで自分は本当に自分の力を出し切れたのか、と考えるようになったんです」

そう語るのは、9歳の頃に陸上を始めたという為末大さん。最初は大人に褒められる嬉しさから競技を続けていたものの、徐々に自分自身が打ち込める何かを見つけ、目標に向かって進んでいく自覚が出てきたと言います。

「単純に運動の習慣をつけておくことは、人生においても利益になることが大きいと思います。大人になって運動を続けている人と続けていない人とでは寿命も違うし、病気になる確率も全然違う。教育的な見地から考えても、何か夢を掲げて、そこに向かってチャレンジするプロセス自体が大切なものです。あきらめずに何かを目指して頑張ったことが自信にもつながりますしね」

競輪場でレースを見たときの衝撃

一方の長塚さんは、高校に入学してから自転車競技を始めました。それまでには運動歴がなく、体を動かすことに対して苦手なイメージも持っていたようです。

「中学生のときに進路を考えて悩んでいた頃、家の近くに競輪場があったのでレースを見に行ってみたんですね。当時一番強かった選手が、すごいスピードで後ろから一気にまくり上げてゴールして、その歓声がすごかった。自転車のレースを見たのは初めてだったんですけど、すごいスピードと自転車同士が激しくぶつかり合う様子に刺激されて、自分もこの仕事をやりたいと思ったんです」

地元の茨城県立取手第一高校に自転車競技部があり、名門であることを知った長塚さん。無事に入学し、高校時代は先生や先輩の指導のもとで「ひたすら無我夢中でやった」のが実感だと言います。学校に行く前の朝6時からトレーニングをして、授業が終わると夕方から夜の11時ぐらいまで再びトレーニング。高校3年生のときにアトランタオリンピックが開催され、先輩でもある十文字貴信選手が1キロメートルのタイムトライアルでメダルを取った姿を見て、オリンピックに出場したいという気持ちが生まれました。

被災地の子供たちからのフィードバック

為末さんはオリンピックに3度出場、世界陸上では銅メダルを2度獲得し、五輪・世界選手権を通じて日本人初となる銅メダルの快挙を成し遂げており、アスリートとして大きな影響力を持っています。そして、2011年3月11日の震災時には、自分に何ができるだろうかと悩み、多くのアスリートの賛同を得てTEAM JAPANの名で募金活動を開始しました。

「最初に思ったのは、アスリートはトレーニングを止めちゃダメだということ。自分ができることをやるのが大事なはずだと、多くの選手たちとも話しました。被災地からの復興にスポーツがどこまでの影響力があるかはわからないですけど、今スポーツに触れていた経験が、何年か後に癒されるきっかけになったり、今をしのげるものになればいいなと思っています」

長塚さんもTEAM JAPANに参加するメンバーのひとりであり、継続的に被災地へと足を運んでいます。

「この1年を通してわかったのは、被災地の子供たちと直接結びつき、1回ではなく継続的に何年も訪れることの大切さです。1度心が通った子供とは、大人になってもコミュニケーションを続けられる信頼感が生まれて、子供たちのメンタルケアにもつながっていることがわかったんですね。それともうひとつ大きな驚きとしては、日本を代表するトップアスリートたちも被災地を訪れると、子供たちにもっといい姿を見せたいという気持ちが生まれて、支援活動が心理面でプラスに作用することがわかりました」

おおよそ1ヶ月に1度のペースで被災地を訪問するプログラム。アスリートが子供たちに課題を与えると、子供たちはその課題を克服するために1ヶ月頑張り、その成果を見せて新たな課題が、というスポーツ教室が継続的に開催されています。

次回を待ち遠しいという気持ちが子供たちに生まれると、アスリートが支援活動をポジティブな気持ちで続けられるだけではなく、自らの競技に対するモチベーションが上がることにもつながるのです。

スポーツを通したコミュニケーション

スポーツをすると、フィジカルの健康を得ることができます。継続できたときや目標をクリアしたときの達成感は、メンタル面にもプラスに働きます。そして、被災地での支援活動について話を聞いていると、スポーツを通じてのコミュニケーションが精神衛生において大きく作用することが伝わってきました。つまり、2人の話には、スポーツを日常の一部にするためのヒントが隠されています。もしひとりで黙々とスポーツを続けることが苦手でも、onyourmarkを媒介に人とコミュニケートすることで継続を簡単に実現できるかもしれませんよ。

一般社団法人アスリートソサエティ
様々な競技のアスリートが交流し、刺激し合い、意識共有を図る場であるとともに、アスリートが企業や行政機関、教育機関など、広く社会とつながるための機会創出を支援するコミュニティ。2010年8月の設立後、登録アスリートは70名を超え、のべ参加アスリートは300名ほどに。マイナースポーツ振興、セカンドキャリア問題や被災地支援まで、多くのアスリートが知恵を結集し、自ら行動し、問題を解決してゆこうとする姿勢は、社会の共感を呼び、スポーツの可能性を広げている。
公式サイト:http://www.athletesociety.org

為末大(ためすえ・だい)
“侍ハードラー”の異名を持ち、世界大会においてトラック種目で日本人初となる2つのメダルを獲得し、3大会連続オリンピックに出場した400mハードルの元プロ陸上選手。日本では未だに破られていない男子400mハードルの記録保持者(2001年エドモントン世界選手権 47秒89)。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」を設立。現在、代表理事を務める。現役中は、2007年に東京の丸の内で「東京ストリート陸上」を自らプロデュース。2011年、2012年は地元広島で「ひろしまストリート陸上」も開催するなど、陸上競技の普及活動に積極的に取り組む。2012年6月、日本陸上競技選手権大会兼ロンドン五輪代表選手選考競技会にて現役活動に終止符。この後の展開が大いに期待されている。
公式サイト:http://tamesue.jp/

長塚智広(ながつか・ともひろ)
1998年、プロの競輪選手としてデビュー。競輪界でも大活躍し、3人1組でタイムを競う自転車競技チームスプリントでは、2000年シドニー五輪5位、2003年シドニーW杯では金メダル、2004年アテネ五輪では見事、銀メダルを獲得。チームスプリントの第一走者としては世界No.1の称号を手に。2008年の北京五輪に出場。さらに競輪選手でありながら、経済や政治にも関心を持ち、2009年茨城県知事選、2010年参議院選挙に立候補する。選挙終了後、競輪に復帰し、大躍進を見せ、現在は全競輪選手3000人の中でたった9人しかいない、S級S班に在籍。アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」の代表理事も務めている。
公式サイト:http://t-nagatsuka.net

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