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5月の18日から3日間に渡って行われた、富士山の周囲を巡るウルトラトレイルレースUTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ 156km)とSTY(静岡から山梨 82km)。onyourmarkからも僭越ながら編集長の松田がSTYにエントリー、ここでは主観だからこそ見えてくる大会の模様をお伝えしたいと思います。前編ではエントリーまでの顛末をお伝えしましたが、この後編ではいよいよSTYのレースがスタートです。

STYスタート、長い旅の始まり

UTMFスタートから一夜明けた19日午前10時、富士山子どもの国からSTYがスタートしました。我ら“トレイル鳥羽ちゃん”からエントリーしたメンバーはリーダーの“船長”こと近田さん、間もなくランニングショップをオープンする桑原さん、“サンポール”こと安藤さん、そしての4名。チームの作戦はそれほど走力の差のでないA8までの28kmを連れ立って抑えめに走り、足を残して天子山塊に臨むというというもの。話でもしながらのんびり行って、最初の1/3をやり過ごそうというという計画です。とはいえ下り基調で気持ちよく走ることのできるコースが続き、近田さんと自分はついつい飛ばし気味に。かなり早い時点からチームはバラバラになってしまいました。

スタート直後の桑原さん。長いレースなのでツイートする余裕も。

焦らずラクにと言い聞かせながら走るものの、高い気温と緩やかなアップダウンに少しずつ疲労が溜まっていきます。前方に捕捉していたリーダー近田さんもいつのまにか見えなくなり、ひとり旅となりました。
見渡すと白いゼッケンをつけたUTMFの選手がちらほら。ここまで夜を徹して80km以上を走ってきたランナーに頭が下がります。トレイルが細くなる渋滞部分では、STYとUTMFのランナーの間でレース前半の様子やトップ選手の動向など情報交換が行われています。中にはUTMFの選手の隣について声をかけながら並走するSTYのランナーも。競争というよりも、お互いに励まし合ってこのレースを乗り切ろうという姿が早くも見られ、これがウルトラトレイルの魅力なんだなと再確認。

前半は下り基調ながらも、こまかなアップダウンが続きます。

A8の手前でUTMFにエントリーしているエディさんこと西岡さんに遭遇。足を痛めたということですが、表情は元気そう。

西富士中学校(A8)の手前、トレイルから舗装路に変わった辺りで、後ろから鳥羽ちゃんメンバーが合流。前を行っていると思っていた近田さんもこの中に。どうも途中の給水ポイントで追い抜いていたようです。結果、ほぼチーム揃ってA8に到着。想定していた午後2時よりも早めにたどり着くことができました。

エイドステーションがカギを握る

そしてこのエイドステーションで待っていてくれたのがトレイル鳥羽ちゃんチームのサポートメンバー。忙しい中、都合をつけて集まってくれた仲間です。僕たちがこのエイドで彼らにお願いしたことは、入れ替え装備の持ち込み。長いレースのなかでコースの環境は変化します。スタートからここまでは下り基調で走れる部分なので、出来る限り装備を軽くウェアや補給食も最小限に留めたいところ。しかし、この先の天子山塊では確実に夜間の長時間走行になるため、防寒具や十分な補給食、場合によってはストックなどが必要です。UTMFと違い、STYは事前にドロップバック(任意のエイドステーションに事前に装備のパッケージを預けておくこと)で装備を預けておくことができないため、サポートの存在は大きなアドバンテージ。さらにサポートの本当の意味は、このあと本栖湖青少年スポーツセンター(A9)で身にしみて理解することになるのです。
ともあれここでは、予定よりも早くエイドに到着できたこともあり、1時間近く休養をとりました。そして、テーピングを調整する桑原さんを残し、チーム3名で最難関、天子山塊へと向かいました。

最難関、天子山塊へ

迎えた天子山塊、ここで感じたのは試走をしておいて本当に良かったということ。「しばらくはガレた悪路が続くな」、「この先からいよいよ本格的な登りだ」、「随分登った気がするけど頂上はまだまだ先だ」等々、一度走った経験があるため気持ちに余裕を持つことができます。また、試走では用意できなかったストックの威力もあって、急な登りをぐいぐい攻めることができました。
天子ヶ岳の最初の登りで、今回ストックを持たずに挑戦した近田さんがやや後退。試走では終始僕らをひっぱってくれた存在だけに少し気がかりです。

次のピーク、長者ヶ岳に至る頃に日没。わずかに雨粒も落ちてきたので、雨具を着込みヘッドランプを点灯、チームメンバーの安藤さんと二人、声をかけ合いながら夜のトレイルを慎重に進んで行きます。漆黒の闇の中、所によって4、5人の集団を形成したり、また離れたりを繰り返しながら、給水ポイントである熊森山の山頂へ。頂上付近ではいったん休憩を入れる人が多いため、ヘッドランプの明かりにぼんやりと周囲が浮かび上がって見えます。

天子ヶ岳山頂。この辺りから安藤さん(左手前)が強さを発揮し始めます。

日が落ちても山頂付近ではヘッドライトの明かりで周囲が浮かび上がって見える。

ここで追いついてきたのがエイドを遅れて出発した桑原さん。メンバー中、最も充実したトレーニングをこなしてきた脚力はさすがです。その勢いのまま3人で厳しいアップダウンをこなして行きます。ところがこの辺りから右膝に違和感を感じ始めます。実は試走でねんざした右足首をかばって、がっちりとテーピングをしたために、フォームが乱れて腸脛靭帯炎になってしまったようです。登りはなんとかなるのですが、少しでも下りに入ると膝の外側に激痛が走ります。もう2人について行くことは難しいと判断してペースを落とし、とうとう夜のひとり旅に。

ここからが、僕にとっての「自分の限界を知る旅」の始まりとなりました。天子山塊はエスケープルートも少ないため、リタイアする場合はすでに通過した熊森山まででという通達が運営サイドから出されていました。もはや先に進むしかありません。一歩下るたびに感じる激痛、しかし休みを入れようにも気温がぐっと下がった山の中では、動きを止めて10分もすると身体が冷えきってしまいます。カニのように横向きに歩けば少しはラクなことを発見してじりじりと下り、後続に道を譲ります。何故か登りでは平気なので、ここで遅れを取り返しの繰り返し。つづら折れの辻々には、ぱたりと横になって動かなくなったランナーが目につき始め、とてもこの世の光景とは思えません。「これはとてもゴールまではたどり着けない、A9でリタイアしよう」と心に決め、それでも少なくともこの天子山塊をクリアしたことにはなる、と自分を励ましながら格闘すること十数時間、最後の山である竜ヶ岳をようやく下ったのでした。

山を降りて仲間のありがたみを知る

A9への到着想定時間は余裕をみての午前2時。しかし山を下りる頃は午前3時を大きくまわっていました。前を行く2人のメンバーは、予定よりも早く着いているかも知れません。きっと既にA9を出発しているだろう、待ってくれているサポートメンバーも、あるいは眠ってしまっているのではないか。そんなことを思いながら足を引きずって見えてきたA9のチェックポイント、目に飛び込んできたのは毛布を手に待っていてくれたサポートメンバーの小松俊之さんオフビートランナーズ#01でも登場!)でした。その向こうには寒い中、自分の到着を我がことのように喜んでくれている、みどりさんかずみさん、なぎささん、さちえさんという4人のサポートメンバーの顔。この瞬間は生涯忘れられないイメージとして心に残っています。

A9のエイドステーションに到着。厳しい山岳部分を超えてきたランナーが最も安らげるポイント。(写真提供;上原渚)

サポートに対しては、他人のレースのために時間を割いて駆けつけてもらうことに、初めは申し訳ない気持ちがありました。しかし、こうして一緒に喜び合い、体験をシェアできることはお互いにとって良いことだったんだと確信することができた瞬間でした。ここではじめて、ランナーやサポート、観戦者、ボランティアや運営の方々、皆が主役になれるのがウルトラトレイルのレースなんだということを改めて理解することができたのです。

ゴール、全てのランナーが勝者

こうして待ってくれている人がいるから、あの山を降りてくることができたんだ、と気づくと同時に途中でやめなくて本当に良かったと思いました。ここでのリタイアを心に決めていたものの、皆の励ましのせいか、平地ではなんとか足が動くように。そしてさらに勇気をくれたのが、先に到着していた2人の仲間、桑原さんと安藤さんでした。彼らがA9に残っていてくれたことでまたやる気がわいてきました。このあとのコースで足に負担がかかりそうなのは、足和田山からの最後の下りだけ。それならばと、2人についてA9を出発しました。

制限時間を考えても足さえ止まらなければゴールできる目処が立ち、天子山塊を超えてきた自信にも支えられて、残りの道程は穏やかな気持ちでレースを楽しむことができました。特に紅葉台から足和田山、河口湖へ至るルートはトレイルランにはうってつけのルートで、フレッシュな足ならば楽しく走ることができるおすすめのコースです。

そしてついにたどり着くことのできた河口湖、UTMFトップのゴールからは24時間近く経っているにもかかわらず、湖畔では多くの応援の方々が声をかけてくれます。近くの民家の庭先から地元のおばあちゃんが「来年もいらっしゃいねぇ」と声をかけてくれたのが印象的でした。最後は一緒に行動してくれた安藤さんの「24時間以内をねらいましょう」という声に後押しされて、なんとか走ってゴール。自分にとっては長かった旅を無事終えることができたのです。

ここでは、ひと足先にゴールしていた桑原さんと、天子山塊を超えてA9でリタイアしたという近田さんも迎えてくれました。内臓にダメージがきて、途中から補給を受け付けなくなってしまったそう。ひとつ山を越えるたびに休憩を入れながら自力でA9までたどりついたそうです。

振り返って感じるのは、大会委員長である鏑木さんが語っていた「レースというより旅」であるということ。もちろん鏑木さんの言葉はUTMFの100マイルを指しているものですが、トレイル初心者である僕にとっては、ハーフのSTYでもそのエッセンスを十分に感じることができました。そして、その旅は決してひとりきりの旅ではないということも。僕の場合は一緒に走ったメンバーやサポートスタッフに支えられましたが、それらなしにエントリーされている方でも、運営やボランティア、他のランナーとの関わりのなかで同じことを感じ、納得していただけるのではないかと思います。ウルトラトレイルでは全てのランナーが勝者であり、またランナーだけでなく、関わった全ての人が勝者なのではないでしょうか。

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(文・写真 松田正臣)