fbpx

5月の18日から3日間に渡って行われた、富士山の周囲を巡るウルトラトレイルレースUTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ 156km)とSTY(静岡から山梨 82km)。その模様は特集記事でたっぷりお伝えしていますが、実はonyourmarkからも僭越ながら編集長の松田がSTYにエントリー、この記念すべきレースの第一回を思う存分楽しんできました。ここでは、主観だからこそ見えてくる大会の模様をお伝えしたいと思います。まず前編は、STYにエントリーするまでの顛末から。

いかにして人は82kmのレースにエントリーするのか

82kmのトレイルレースに参加してきたというと大抵の方に驚かれます。かくいう自分も半年前はそんな距離を(しかも山の中を!)走るなんて、宇宙の彼方で行われている特殊な競技だと思っていました。話の始まりは、あの『BORN TO RUN 走るために生まれた』の編集者、NHK出版の松島倫明さんからのお誘いでした。
「渋谷で飲み会があるんですが、おもしろいウルトラランナーも集まってるのでご紹介しますよ」と声をかけて頂いたものの、ウルトラランナーと聞いて怖じ気づき、ランニンング仲間の桑原慶さんを巻き込んで伺うことに。そこで待っていたのは知るひとぞ知る裸足系ウルトラランナーの山田洋さんと、onyourmarkの連載「極北に魅せられて」のライターでウルトラランナーでもある青崎涼子さん(そう、彼女とはここで出会って原稿を依頼することになったのです)。
当然話題の中心はウルトラレースのこと。“ウルトラ”と聞いただけで身構えてしまいますが、話を聞いているとどこまでも突き抜けているお二人。「スピードを出さなくても良いからマラソンよりラクだよ」、「心のリミッターを外せば走れる」、「アラスカのバックカントリーと違って死ぬことはない」等々、とにかく気負いがない。気がつけば、先にエントリーを決めていた松島さんと、その場で意気投合した桑原さんに背中を押され、富士山の周りを走るウルトラトレイルSTY(UTMFと違って参加資格の規定がありませんでした)へのエントリーを約束させられていました。

トレイルを走る

実はエントリーした2011年11月時点での自身最長走行距離は20km未満。いくらなんでも無謀とも思えましたが、1月に千葉マリンマラソンハーフに参加、その後には山田さんのお気遣いで三浦半島縦断トレイルランの試走44kmにお誘い頂き、少しずつ距離を伸ばすこと、トレイルに馴染むことを続けていきました。

この三浦半島縦断で感じたのは、トレイルなら意外と長い距離を走ることができるな、ということ。ロードレースでは一定のペースを維持するのがもっとも効率が良いとされており、筋肉を規則的に動かす印象ですが、トレイルでは登り下りや路面状況に応じて様々な走り方をしますし、登りがキツいところは歩いてもOK。いろいろな筋肉をまんべんなく使い、堅いアスファルトからの衝撃もないので脚へのダメージが少なく、思ったよりも長く走り続けることができるのです。

また、トレイルレースでは試走が大事だということもわかりました。コースアウトをしないようにルートをおぼえることはもちろんですが、コースによって路面状況や難易度が異なるトレイルレースでは、登りはあとどのくらい続くのか、次のエイドまでの距離はなど、身体で感じておくことでレースの心構えができることが大きいのです。

コース発表、難コースに気持ちを入れ直す

UTMF/STYに関してはコースの発表が行われたのが、レース開催の約2ヶ月前。環境に配慮し関係各所との折衝をギリギリまで続けた結果、ようやく最終コースが決定されたとのこと。後ほど実行委員長の鏑木毅さんのお話を伺って、運営サイドのご苦労があっての大会なのだなとつくづく実感しました。

さて、これを見るとSTYのコースは大きく3つのブロックに分かれていることがわかります。スタート地点、富士山こどもの国から最初のエイドステーション西富士中学校(A8)までの28kmは、下り基調。林道が多くそれほど難しいコースでもなさそうです。
A8から次のエイドステーション、本栖湖青少年スポーツセンター(A9)までが、このレースの最難関となりそうな山岳部分である天子山塊縦走。一気に800m登った後に、険しいアップダウンを繰り返す28kmのルートです。レース中の最高地点である毛無山(標高1946m)もこの中に含まれます。
A9から先の27kmは樹海を抜ける東海自然歩道とロードで構成される比較的フラットな道程、最後に緩やかな足和田山を越えてゴールのある河口湖に至ります。

コースが発表されると早速、ブログなどに試走のレポートがアップされ始めました。ここで明らかになったのが、天子山塊の想像を絶する厳しさ。痩せ尾根あり、熊の出没エリアあり、凍結部分ありと百戦錬磨の先輩方も一様にその厳しさを伝えています。これまでのレースで最も難易度が高いという方もいるほど。

実はこうしたレポートを目にするまで、レースに対する実感があまり湧いていませんでした。気持ちは単に82kmという距離にのみ向いていて、トレイルレース=山岳レースという認識がすっぽりと抜け落ちてしまっていたところがあったんです。ここに至ってようやく「自分は山岳レースを走るんだ。山では自分の身は自分で守らなくてはいけない。大会にも迷惑をかけないようにしっかり準備しなくては」という自覚が湧いてきたのです。

そして、4月末のGW、一緒にSTYにエントリーした草トレランチーム『トレイル鳥羽ちゃん(リーダーが鳥羽一郎さんに似ているのでついたネーミング)』のメンバーとともに天子山塊の試走に赴きました。標高が高いこともあり、防寒を意識して出発しましたが、結果としては好天に恵まれ汗ばむ陽気に。水はハイドレーションに1.5l、スポーツドリンク500ml×2本と多めに用意したつもりでしたが、途中で足りないことが見えてきたので、水場の下見も兼ねて、湧き水で500mlを追加しました。トレイルはブログでレポートされていた状況に比べれば整備が進み、凍結部分も無くなって状態は改善されていたものの、トレイルビギナーにとっては想像以上に厳しいコースです。ほとんど走れる部分がないなか、やっと緩やかなトレイルを走れたと思ったら右足首をくじいてねんざ。ストックも用意していなかったことから、苦しい試走となってしまいました。

毛無山から天子山塊を振り返る。中央の頭が平らな山が天子ヶ岳。

途中、整備を続ける三好礼子さんや試走中の鏑木毅さんなど運営の方々にも遭遇。同じく試走に来た参加者や登山者も大勢いて、トレイルには和やかな雰囲気が広がっていました。最後の頂である竜ヶ岳では、大会当日にボランティアとして参加するという登山者ともご挨拶。天子ヶ岳から走ってきましたというと「ロングトレイルだねぇ」と感心され、すこし自信をつけて山を降りたのでした。

UTMFのスタートを見送り気分は最高潮に

UTMFのスタートは5月18日。距離の短いSTYのスタートはその翌日になります。我々チーム一同は前日エントリーと、UTMFのスタートを観戦するために河口湖へ。UTMFスタート地点、そしてUTMF/STYのゴール地点となる河口湖大池公園に到着すると、巨大なスタート&ゴールゲートが見えてきました。間もなくここから100マイル(156km)の旅をスタートする人たちがいるという興奮と、果たして自分がこのゴールにたどり着けるのかという不安がない交ぜになった、今までにない感覚にとらわれ既に涙腺が潤む始末。

エントリーを済ませ、装備品チェックなどをこなしながら、このレースのきっかけをくれた山田さんや青崎さん、怪我でサポートにまわった松島さんなどを見かけては挨拶を交わします。他にもこの半年間で知り合った多くのランナーと握手や抱擁を交わし、トレイルランに出会ってこの大会にエントリーできたことの喜びを改めて噛み締めました。

A1のエイドから出発する山本健一選手。こうしたトップ選手の補給の様子を間近で観戦することができる。
そして午後3時、遂にUTMFがスタート。知っている顔を見かけては手を振りながら、彼らの156kmの旅に思いを馳せます。その後、A1、A3のエイドステーションへ移動して応援。このエイド、素通りしていく選手がいるかと思えば、10分以上も滞在し、ゆっくりと過ごす選手もいます。トップ選手の中でも戦略が異なり、補給のしかたや身体の休め方など、ウルトラトレイルならではのレース展開を目の当たりにすることができました。これは観ていても楽しいレースだなということが、良くわかった一日目でした。

後編につづく

関連記事
富士山麓156kmをかけぬけた3日間、 UTMFという新しい「旅」の始まり。
UTMF|自分自身の限界を見つめる旅をみんなで 鏑木毅インタビュー
STY参戦記|後編 長い旅の始まり

(文・写真 松田正臣)