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(文 岡田カーヤ / 写真 上原源太 / 動画 TOTAL TIME 02:08 記事最下段

日本初の本格100マイルレースとなるUTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)が、5月18~20日の3日間、ついに開催されました。富士山麓を一周するコースは全長156km、登り部分の累積標高差8500m。まさに実行委員長、鏑木毅さんが言い続けてきた「競い合う場ではなく、自分自身の限界をみつめる旅」をみんなで体験した3日間。参加した選手はもとより、ボランティアや応援サポート、スタッフなど、かかわった人々の心を熱くして感動を共有した第一回大会の模様をレポートします。

興奮、不安、興奮、緊張が入り交じるスタート前。

午後3時のスタートを直前に控えた河口湖大池公園は、静かな熱気に包まれていました。前夜の悪天候から一転して、大会初日5月18日の天気は良好。澄んだ青空のもと富士山が姿を現しました。選手たちは最終の荷物チェックに余念がなく、17ある必携品などの装備に加え、途中、一箇所だけ預けておけるドロップバッグにいれる着替えや食料などを整えています。
onyourmarkの連載「極北に魅せられて」でおなじみ青崎涼子さんは、6年ほど前からトレイルランニングを始めて、数々の国内レースを経験。それでも、これまでのレースの最長は110kmだから「156kmって未知の距離。ドキドキワクワクしています。156kmとは思わず、各エイドまでのコースが9つあると思うことにしました」と緊張と興奮が入り交じった様子。レース中は「急がない、あきらめない、楽しむ」という言葉を胸に刻んで進んでいくそう。
『BORN TO RUN』でもおなじみ、ベアフッド・テッドは、「日本の山を走るのは初めてだから楽しみ。今、ものすごく気分いいね」と高揚気味。100マイル以上のレースに10回以上出場経験があるけど、「48時間後にはどうなっているかわからないけどね」と言います。「それがウルトラ・トレイルだから」。

全長156kmのトレイルを繋ぐには運営の努力が不可欠だった。

しかも、今回は第一回大会。富士山麓をめぐるコースには、私有地や自衛隊演習地も一部区間あり、全区間を通しで試走している人は誰もいません。男性777名、女性75名、全852名(平均年齢は男性41.8歳、女性41.1歳)の選手たちは、これから始まる長い旅への不安、恐怖、緊張、興奮といった感情をそれぞれに抱きながら、スタートを切ったのでした。

山へ入り、里へと下りて人々のもてなしをうける。

普通のハイクなら7日間かかるといわれる距離を、制限時間の48時間以内に走破しなくてはなりません。さらにトップ選手の予想タイムはおよそ19時間。いかに個人差のある懐の深いレースかがよくわかります。これまでに開催されてきた日本の山岳レースは、いちどスタートしたらほぼ山の中。選手は孤独に耐え、応援はスタートとゴール付近のみというレースが多いのですが、UTMFの特徴は、ヨーロッパの最高峰モンブランの周囲三カ国、フランス、スイス、イタリアをめぐるUTMB(ウルトラ・トレイル・デュ・モンブラン)がそうであるように、途中9カ所あるエイドステーションで応援を受けられること。山に入って里におりたところにエイドステーションがあり、そこでたくさんの励ましをもらい、多くの人に支えられていることを実感して、また山へと入っていくのです。

多くの人の支えがあるからこそゴールがある。

スタートから53km地点、第4エイドがおかれる道の駅すばしりにカナダのアダム・キャンベルがトップ選手として入ってきたのは午後8時25分、フランスのジュリアン・ショリエは2位で28分。地元小山町の協力により、到着に合わせて打ち上げられた花火に、笑顔とハイタッチでこたえていました。2県10市町村にまたがる今回のコースでは、すべての市町村にエイドステーションが設置。吉田うどん、富士宮焼きそば、鹿カレーなど地元の特産品によって選手たちをねぎらうほか、応援、交通整備などを担って大会をサポートしてもらっています。「夜の山を走るなんて最初は驚いたけど、NHKでやった『激走モンブラン!』、あれはかっこよかったもんねぇ。UTMFもずっと続いてほしいね」と、小山町の男性。夜中ずっとナメコ汁をふるまう地元ボランティアも「これ飲んで暖まって、元気だしてもらわにゃあ」と興奮気味。地域の人のこうした思いや協力があるからこそ、成り立つ大会なのだと、早くも実感させられました。

エイドステーションでは各自治体の趣向を凝らしたもてなしが選手を励ます。

下りでいかにスピードにのれるかが、トップの勝敗を分けた。

このあと、UTMF最大の難所といわれる天子山塊を目前に控えた西富士中学のエイドへ。トップの2人がたどりついたのは、深夜1時40分。今度はジュリアンが先頭で、6分の差でアダムが後を追います。走行距離102kmを越えたこのあと、一気に800mを駆け上り、天子ヶ岳、長者ヶ岳、毛無山、雨ヶ岳、竜ヶ岳と、いくつもの頂を越えながら、険しいアップダウンを繰り返す天子山塊へと入りました。この大会随一の難所は、夜を徹して走り続ける選手の鍛え抜かれた肉体を容赦なく痛めつけます。
「30km以上難しいトレイルが続くコースは初めて。UTMFのほうが長く難所が続くという意味でUTMBよりも難しかった」というのは、天子山塊を抜け、午前6時55分に第9エイド本栖湖スポーツセンターに姿を見せたジュリアン。顔は土気色でやつれてはいるものの、苦しい表情を浮かべるでもなく、途中で出会った旧知のカメラマンと会話をしながら、たんたんと走っていきました。エイドでは何も食べず、コーラを2~3口飲んだだけですぐに出発。こののち樹海を抜けて鳴沢氷結から足和田山へと入り河口湖へぬける27kmをへて、9時53分、18時13分の旅を終えてゴールしました。「難易度の高いいいコースでした。マーキングやボランティアのサポートも完璧。レースでコースをロストしなかったのは、実はこれが初めてなんです(笑)」
天子山塊最後の峠をくだるとき、脚を踏み出すごとに「いたっ、いたっ」となぜか日本語で悲痛な叫びをあげ、転倒のあとが見える脚を引きずりながら降りてきたアダム。河口湖大橋公園に現れたときは回復していたようで、ゴキゲンな笑顔とハイタッチを繰り返し、10時26分にゴールしました。アダムは登りが、ジュリアンは下りが得意ですが、下りでジュリアンに引き離されて差をつけられての結果だったといいます。 「100マイルはやっぱり楽しいですね。夜の星はきれいだし、明け方の富士山はいつもより大きく見えました」と言うのは、3位の山本健一。並みいるライバルを押さえ、見事日本人トップとして笑顔でゴールしました。

いつも笑顔を絶やさない山本健一が総合三位、日本人トップでゴールを飾った。

大会初の勝者となったジュリアン・ショリエを多くの観客が出迎えた。

そして、それでも走り続ける。

ジュリアンがトップでゴールを果たした数分後、午前10時、第7エイド富士山こどもの国から河口湖大池公園まで82kmを走るSTY(静岡to山梨)がスタート。UTMFに出場した選手も大部分はこのあたりで奮闘中です。第8エイドの西富士中学校では、天子山塊に入るための体力を復活させたい選手たちがマッサージを受けたり、仮眠をとったり、応援サポーターとしてかけつけた家族や友人の励ましを受けたりしています。 モンブランCCCを完走した磯田大典さんは「マッサージで脚がゼロの状態に戻ったら、完走できるかもしれないけど、そうじゃなかったら完走はキツイ」ともらします。杓子山のトリッキーなガレ場、石割山のすべりやすい山道、太郎口の溶岩や砂利などでじわじわと体力を奪われてしまったそう。「トレイルと一口でいっても、いろいろなフィールドにこなれてないと厳しいですね」

一度エイドをでたら、途中どんなにしんどくたって、次のエイドまでは自力で行かないといけない。体力はとっくに限界。気力だけで自分を奮い立たせ、限界をどうにか乗り越えてゴールを目指す。ボロボロになりながらも走り続ける選手たちを間近で見ていると否が応でも熱くなり、応援にも力が入ります。 なかには、極限の状態なのに、ここにいるのが楽しくてしかたないというくらいニコニコしている選手もいました。「ボランティアや地元の人、一緒に走る選手、いろんな人と出会って、応援して引っ張ってもらっているからこそ、ここまで来られました」と言う石川智章さんもそのひとり。ハセツネCUPの常連だけど、UTMFでは歩きに切り替え。「第4エイドのすばしりに夜中着いたときは寒くて疲れて、もうダメかと思ったけど、ナメコ汁を飲んで、地元の人と話し、元気をもらって復活。やっぱりこの大会は特別。ほんと、旅ですね。すごい楽しいです」。息子の運動会を蹴ってこちらに来たので、リタイアするわけにはいかないのだそう。「絶対に完走します」と満面の笑みを浮かべました。
開催前、今回が第一回大会となるUTMFの完走率は30%台になるのではといわれていましたが、終わってみると男子72.3%、女子 65.3%という結果なりました。これは、2002年に第一回レースが開催されたUTMBの完走率が10%未満だったこと(700人中ゴールしたのは68人)、2011年でも48%だったことを考慮すると、かなり高いもの。それだけ、ウルトラトレイルへの認知度が上がり、ひとつのカルチャーとして成熟しつつある時なのかもしれません。長い旅の終わりは、新しい旅へのはじまり。これからもきっと走り続けるのでしょう。

この大会ではどのレベルの選手も必ず夜間走行を経てゴールへとたどりつく。

エイドステーションでは仮眠をとる選手も。ここで英気を養ってレースを続ける。

多くの参加者にとって仲間や家族のありがたみを再確認する貴重な機会となった。

(TOTAL TIME 02:08 |動画 撮影 上原源太)

 

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