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日本有数の大企業であるNTTがサイクリングへのエンゲージメントを高めるようになった経緯を紐解き、その目指すところ、そしてこのスポーツに何をもたらしうるか、考えてみたい。

※11月14日19:30追記:急遽、全日本チャンピオン入部正太朗のチーム加入がアナウンスされた。現在判明している限りでは、2020シーズンにワールドツアーチームに所属する2人目の日本人選手となる。

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世界のトップスター選手エディ・ザ・ボスことボアッソンハーゲンも来日(左)

サイクリングにおいて世界の上位18チームからなる「ワールドツアーチーム」は、ツール・ド・フランスを始めとした世界屈指のレースへの出場権が自動的に与えられる。今回、発足が発表された〈NTTプロサイクリングチーム〉は、この「ワールドツアーチーム」にカテゴライズされる。そんなチームの発表会が、日本で行われることは極めて異例だ。

もちろん、それはNTTという日本企業がタイトルスポンサーを務めることによる。だがこの日の発表会は、選手や監督スタッフといった「表の顔」が華々しい喝采を浴びる通常のチームプレゼンテーションとは異なり、エドヴァルド・ボアッソンハーゲン(ノルウェー)やミカエル・ヴァルグレン(デンマーク)といったスター選手たちがどこか所在無げな、控えめなものとなった。プレゼンテーションの主眼は、いよいよ実践的なサイクリングに本格参戦するNTTのヴィジョンと目的を明かすことにあった。

NTTがロードレースチームを持つに至った経緯

なぜ、このタイミングでNTTがプロのロードレースチームを持つことになったのか? その答えはシンプルだ。2019年7月、NTTは事業再編の一環として、NTTコミュニケーションズなどの海外事業部と傘下の南アフリカのIT大手ディメンションデータを統合し、新会社〈NTTリミテッド〉を設立。ディメンションデータは2016年よりサイクリングチームのメインスポンサーを務めており、〈NTTリミテッド〉がそのスポンサーシップをテイクオーバーする形で今回の体制となった。

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前後ともにNTTの文字とロゴが入るジャージデザイン

2019年はイギリスの〈チームイネオス〉やフランスの〈トタル・ディレクトエネルジ〉がメインスポンサー企業の変更・統合によりシーズン中に名称を変更したが、ディメンションデータは、2020年シーズンを待っての新装開店を選んだ格好だ。発表された新デザインのチームジャージには、日本人におなじみのNTTのロゴが大きくあしらわれる。

NTTが自転車競技に興味津々なワケ

だが、今回のチーム名変更以前から、NTTは自転車競技へ参画している。2015年から世界最大のロードレース〈ツール・ド・フランス〉の公式テクノロジーパートナーを務めており、レース結果の計測や、選手のリアルタイム走行データの提供など情報技術面での協働を行なっている。「ツール・ド・フランスにおけるファンの体験を革新する」ことを謳うNTTは、ICT(情報通信技術)の活用に積極的で、事実、こうしたデータを生かした投稿によってツール公式のSNSアカウントや公式サイトのアクセス数は軒並み数を伸ばしているという。

具体的には、参加選手の自転車にセンサーを取り付けることで、勝負どころでの有力選手の出力量(ワット数)や、レース中の選手の位置関係を明示するなど、数々のデータが計測され活用される。こういったデータによって自転車ロードレースにおけるコンテンツの幅が広がったのは確かだ。とはいえ、データの大半は観戦に適したものではなく、表に出ることはない。

そこに今回、NTTがチームを持つ理由のひとつがある。放送面やファンにとって面白みのないデータも、レースを行う選手やコーチにとっては宝の山だ。競技者やチーム首脳陣にとって、単なる敗戦から学ぶものは少なくないが、それが膨大なデータとして裏付けられればよりその意義は大きくなる。同時に、一見サプライズな勝利も論理立てて説明できるものとなるだろう。

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虹色のジャージは世界チャンピオンの証。U23世代の王者バティステッラ(イタリア)は来期NTTでプロデビュー

〈NTTプロサイクリングチーム〉は、NTTが保持するこのような膨大なデータの解析力を、ライダーのパフォーマンス向上に役立てていくという。ちなみに2019シーズンの前身〈チーム・ディメンションデータ〉の世界ランキングは22位。世界の上位18チームからなるワールドツアーカテゴリーのチームとしては奮わない成績だが、来シーズンはNTT参画の成果として真っ先にこのランキングが参照されるだろう。

NTTの自転車だけに止まらない可能性

現状、世界のサイクリングシーンを取り巻く状況は明るいとは言えない。継続的なスポンサーを得るのが難しく、チームやレースが消滅するニュースがシーズン終わりには恒例となっている。そんな中、グループ会社のスポンサーシップを引き継ぐ形とはいえ、NTTがサイクリングチーム運営に名乗りを挙げたのは、そこに一定のメリットを見出しているからだろう。

すでにツール・ド・フランスで証明している高い情報技術力を、チームのパフォーマンス向上という結果に直結することができれば、他分野のスポーツにおいても同様の引き合いが期待できる。サイクリングはとりわけデータスポーツとしての側面が大きいが、球技や団体競技でもデータの重要性が叫ばれて久しい。すでにNTTはF1やインディ500といったモータースポーツでの技術サポートを行っており、この流れは加速していくものと思われる。

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アドバンスドテクノロジーグループのシニアバイスプレジデントを務めるピーター・グレイ氏によるプレゼンテーション

もうひとつ、NTTが強調するのは、「コネクティビティ」だ。アドバンスドテクノロジーグループのシニアバイスプレジデントを務めるピーター・グレイ氏によると、世界各地に散らばった選手やスタッフのコンディションを一元的に把握・最適化するために、NTTのプラットフォームが役立てられるという。そこでは常に選手や関係者が「つながった」状態にあり、調子が良いのは誰か、選手はどんな健康状態にあるかがモニタリング可能になる。

スタジアムスポーツのチームと違い、ロードレースチームは選手が個々人の裁量で住む場所を選ぶのが常だ。リモート環境にいながら過酷なスポーツを戦う選手たちの健康管理をチーム単位で行う「コネクティビティ」が確立すれば、スポーツの枠を超えて一般的な健康社会の実現に寄与する可能性すらある。

データ時代に変容する観戦体験をNTTが主導するか

NTTはすでにツール・ド・フランスにおいてリアルタイムデータの提供を実現し、視聴者に新しい観戦体験を届けつつある。〈NTTリミテッド〉のチーフマーケティングオフィサーのエティエンヌ・ライネッケ氏は、NTTがレースのビューイング体験を革新していく、と前置きした上で、その豊富なデータは「放送局に洞察を与え、放送局とファンとのつながりを増やすもの」であると語る。と同時に、放送局では紹介しきれないデータ情報は、SNSなどを通じてダイレクトにファンに届けられるという。

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マイクを握るダグ・ライダー氏。元選手で、前身チームから数えて20年指揮をとっている

選手のエフォートを数値化しやすい自転車ロードレースはすでに競技の重要部分において、データが大きな役割を占めるに至っている。100年を超える歴史あるスポーツの常として、しばしば懐古的な、デジタルデバイスの存在しない時代の英雄譚が高らかに語られ、そのようなサイクリングの叙事詩的な側面を強調するストーリーテリングは、人々の情感に訴えて止むことはない。そしてその文脈では、サイクリングのすべてを数値化してしまうデータは対立項として見なされがちだ。

だが、2020年代のプロサイクリングレースには、データを叙事詩的に語る言説が主流になるのではないか。データそのものは単なる客観的な事実だ。このスポーツの魅力を損なうことなく、むしろ倍増させるようなデータの活用方法がきっとある。「放送局に洞察を与える」とは、実況・解説や番組制作者の料理の仕方次第でまだまだこのスポーツの表現に奥行きがあることを示唆している。

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世界チャンピオンの証〈マイヨ・アルカンシェル〉 あらゆるチーム同様、目指すのは世界一の高みだ

同時に、一般のファンもSNSを通じて同様に大量のデータ情報を得ることができる。放送局の役割が大きくなる一方で、個人にもロードレースのインサイトがより開かれたものとなる。ファンがサイクリングレースに望むのは、筋書きの決まったレースではなく、予測不可能な驚くべき走りや結果だ。常に予測へと紐づくデータと、どう折り合いをつけるか。

NTTがレースだけでなく、チームのサポートをすることでファンの自転車ロードレース観戦体験は、ひとつの転換点を迎えることになる。スポーツの持つロマンチシズムと、客観的なデータとは共存できるのか、注目したい。