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世界最大の自転車レース、ツール・ド・フランスで5回の優勝を果たした選手は歴史上4人、いる。その一人ベルナール・イノーさんは、日本に初めてツールが映像で紹介された1985年の優勝者として、今もファンが多い。落車で顔面を流血しながらゴールしたシーンは今も語り草。現役時代の歯に衣を着せぬ痛烈な発言や、攻撃的な走りでファンを魅了してきた。ツールの総合リーダーに与えられる栄光の黄色いジャージ、マイヨ・ジョーヌが100周年を迎える2019年、イノーさんがトークイベントのため来日。onyourmark編集部の小俣が進行役を務めた本イベントを、全文で紹介する。

日本人にとって、ツール・ド・フランス=ベルナール・イノーだった

小俣 みなさんこんにちは。「ベルナール・イノーの “5/100” (ひゃくぶんのご)~フランスを照らすマイヨ・ジョーヌ100周年」と題しまして、今日はベルナール・イノーさんをお迎えしてトークセッションを行いたいと思います。満員御礼、立ち見もたくさんいらっしゃっていただきありがとうございます。本日進行を務めます小俣雄風太です。よろしくお願いいたします。私はイノーさんが引退した1986年の生まれで、直接はイノーさんの時代を知らないのですがそれだけに今日を楽しみにしています。そしてもうひと方、ゲストスピーカーとして、自転車情報ポータルサイト「シクロワイアード」の綾野編集長にお越しいただいています。

Bernard Hinault

綾野 シクロワイアード編集長の綾野です。イノーさんが1985年にツール・ド・フランス5勝目を上げた時には高校三年生でした。将来何になろう、と受験勉強をしながらNHKの番組を見て、なんだこれは! すごい、こんな世界があるのか、と思ったんです。それまでも雑誌や洋書などでなんとなくツールは知っていたのですが、このNHKの番組がきっかけになって、自転車の道に進もうと思い、今に至ります。イノーさんは僕の人生を変えた人ということで、今日は嬉しく、そして緊張しています。

Bernard Hinault

小俣 みなさん会場を見渡していただくと、スペシャルエディションのマイヨ・ジョーヌがあったり、壁にイラストパネルが展示されていますが、こちらは先ほどもライブペインティングをしていましたフランスのイラストレーターのグレッグ・ポデヴァンさんが描いたものです。彼はイノーさんのイラストブックを2016年に出版したということで、本日は一緒にご登場いただこうと思います。みなさん、盛大な拍手でお迎えください。では、ベルナール・イノーさん、グレッグ・ポデヴァンさん、どうぞ!

(会場がイノーコールに包まれる)

Bernard Hinault

小俣 本日、通訳を務められるのは山崎さんです。

山崎 よろしくお願いします。

綾野 山崎さんは、さいたまクリテリウムでも活躍されていまして、イノーさんとも面識のある方です。

Bernard Hinault

小俣 まずはイノーさんに質問をぶつけていきたいと思いますが、昨日の打ち合わせの時にイノーさんは来てくださった方とたくさん話したい、とおっしゃっていましたので、用意していた質問は少なめにして、質疑応答の時間を後ほど長めにとりたいと思います。質問を用意しておいてくださいね。

綾野 普通はこういうトークイベントって台本を作るものですが、「台本なんていらない、聞かれたことは全部答えるからなんでも聞いてくれ」と。常に勝負の人です(笑)

Bernard Hinault

小俣 みなさん、こちらにありますジャージをご覧いただけますでしょうか。こちらはイノーさんが、当時実際に着用したマイヨ・ジョーヌということで、オーラがすごいんですが……このジャージをいつ獲得したものか教えていただけますか?

イノー 1985年のツール、プロローグで獲得したものだ。ブルターニュ地方のプリュムレックでのステージだった。

小俣 イノーさんの地元ブルターニュ地方ですね。この1985年がイノーさんがフランス人として最後にツールを勝った年ですね。

イノー そうだね、フランス人としても最後の優勝、そしてずっと私が一番最後なんだ(笑)

Bernard Hinault

(次ページ)日本からの取材には、たくさんの時間を割いたよ

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