どんな分野であれ、勇気づけられる一冊というものにはなかなか巡り会えない。読んですぐに体を動かしたくなるような本なら、なおさらだ。アメリカのジャーナリスト、リン・シェールによる『なぜ人間は泳ぐのか?』(太田出版)を読んだ直後、僕はプールで、ただ泳ぎたい感情にとらわれていた。

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2012年にアメリカで出版され、日本には翌年に翻訳が出たこの本を知ったのは、先日Speedoが開催したトークショーでのこと。この『なぜ人間は泳ぐのか?』にインスパイアされたショートフィルム “WATER BABY” をこの日に合わせ作り上げたドキュメンタリアンのYU NAKAJIMA氏と、この本の翻訳者である高月園子氏が、泳ぐことについて語り合うセッションだった。

会場となったのは東京・銀座のPLUSTOKYO。夜空の下、銀座を見下ろす屋上ルーフトップでは、目を引くbubbl-loom(バブルーム)が聴衆をお出迎え。WATER BABYをコンセプトとした一連のプロジェクトに沿って、母親の胎内をイメージした空間が演出され、トークショーの場となった。

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世界中の旅先で泳いでいるというスイマーの高月氏が、各国のスイミングロケーションを写真つきで紹介すると、アメリカやドイツなど国際的に活躍するNAKAJIMA氏は故郷の富山の海で泳いだ幼年の思い出を回想した。二人ともが、泳ぐことに対して愛着のある表現者なのだった。

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“WATER BABY” のインスピレーションの元となった『なぜ人間は泳ぐのか?』は、この時69歳の女性ジャーナリストであるシェールが、ヨーロッパとアジアの間、ダーダネル海峡を泳いで渡るというチャレンジを軸に語られる「泳ぐこと」に関する文化史であり、ジャーナルである。

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泳ぐことが古代からの人間の営みであること、それが社会の中にどう組み込まれ、どう消費されていったかが概観できる秀逸な文化史でありながら、たんなる史伝に止まらないのは、著者のシェールが「なぜ泳ぐことはこんなにも魅力的なのだろうか」という実感からその探求を行なっていることにある。世界記録保持者からハーバード大学生、果てはフロイトまで、あらゆる人々のスイムへの情熱が紹介されるうちに、読者もまた、なぜ泳ぐのだろうと自らに問いかけ始める。

挑戦者に対する「なぜ?」の回答としてしばしば引用される登山家マロリーの「そこに山があるから」は水泳では通用しないとシェールは看破する。ドーバー海峡を横断した物理学者の言葉を借りてこう表現する「海は人間のうぬぼれを増長させない。海から上がり、フランスの汀に立って海峡を振り返っても、海はわたしに破れたようには見えない。わたしたちが征服したものは自身の限界なのだ」と。

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自然への敬意と自らを超えた誇りとが共存するこの言葉が、水泳の本質を衝いていると思わされた。その他にもここに紹介しきれないほどの興味深いエピソードがたくさんある。水泳界のココ・シャネルとでも言えそうなアネット・ケラーマン、想像を泳いだことで図書館の入場料を得た大詩人コールリッジ、2月の大西洋で寒中水泳をするグループ……泳ぐことって、すなわち人間の営みなんだと改めて思わされる。

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競技用スイムウェアの歴史を紐解く頁では、もちろん水泳界の巨人Speedoが話題となる。著者リン・シェールがダーダネル海峡を泳ぐ大一番に選んだスイムウェアも、Speedoのものだったという。その挑戦の顛末は痛快の一言! なんらかのスポーツをやったことのある方には、共感と微笑みをもって読むことができるのは間違いない。

ショートフィルム “WATER BABY” が先行ローンチ

このトークショーの後は、ショートフィルム “WATER BABY” が一般公開を前にした先行試写会が行われた。シドニーオリンピックのシンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)銀メダリストの藤井来夏氏をフィーチャーし、音楽はピナ・バウシュ、ヴィム・ヴェンダース作品への楽曲提供はじめ、さまざまなメディアで活躍する作曲家三宅純氏が担当。三宅氏は先のリオ五輪での君が代のアレンジも記憶に新しい。会場に駆けつけた大勢のスイマーや関係者たちは、その拍力ある音と映像美にひととき時間を忘れた。

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まるで泳ぐことに熱中しているときのような、心地よい忘我へと誘ってくれる“WATER BABY” は4月に一般公開される予定だという。『なぜ人間は泳ぐのか?』同様、見終わった後に水に触れたいと思わせるクリエーションに、Speedoのスイムに対する想いがうかがい知れる一夜だった。

WATER BABYに関わるキーマンたちの活動はそれぞれのウェブサイトからチェックできる。

三宅純 junmiyake.com
藤井来夏 raikafujii.com
YU NAKAJIMA yunakajima.com

(文・写真/小俣雄風太 イベント写真/SPEEDO)