陸上界には、3つの壁がそびえると言われている。1つは1マイル4分の壁、そして2つ目は100m10秒の壁。これまで人類は2つの困難な壁を乗り越えた。しかし3つ目の壁であり、最大の障壁となっているのが、フルマラソン2時間切りの壁だ。

2017年、リオオリンピックのマラソン男子で表彰台の頂点に立ったエリウド・キプチョゲは、ナイキによる前人未到の2時間切りプロジェクト「BREAKING2」にチャレンジ。結果は2時間00分25秒。あと25秒、距離にして約150mだった。しかしこの挑戦は、「BREAKING2」が前人未到の無茶なものではなく「人は42.195kmを2時間以内で走ることができる」という可能性を世に示した。

そして、2018年9月に行われたベルリンマラソンで、キプチョゲは2時間01分39秒という、従来の記録(2時間2分57秒)から1分18秒も縮める世界新記録を叩き出し、人類初の1分台の領域に突入した。34歳にして、とどまることを知らないキプチョゲ。そんな時の人となった彼に、世界記録樹立後、今何を思い、目線はどこに向いているのかを、来日したキプチョゲ自身に聞いた。

Kipchoge

現在のキプチョゲを語る上で欠かせないのは昨年の「BREAKING2」へのチャレンジと、今年の世界新記録樹立ではあるが、特筆すべきなのがレースにおける圧倒的な強さだ。2012年のマラソン転向後、世界新記録を出した2018年のベルリンマラソンまで、なんと11戦10勝。唯一後塵を拝した2013年のベルリンマラソンも当時の世界4位の記録で2位。2014年から9連勝なのだ。速さ以上とも言えるその強さはどこから引き出されているのだろうか?

「レースに向けてのピーキングや体調管理は普段の練習だけでなく、どのような生活を過ごすかによって左右されます。重要なのは常に準備すること。毎時間、毎分、毎秒、意識するのです。そして結果を勝利にするためには、スピードとスタミナは両方とも大切なポイントだと考えています。例えスピードがあったとしても、耐久力がなければ意味がありません。長距離の陸上競技は距離によってスピードに差がある。マラソンはすごく長い距離のレースですが、その中でどのようなスピードを出していくのかということにフォーカスをしてレースに臨んでいます」

キプチョゲのキャリアは、3000〜5000mからスタートし、10代の頃から早くも頭角を現し始めた。18歳には2003年世界陸上の5000mで大会記録となるタイムを出して金メダルを獲得。アテネ五輪で銅メダル、北京五輪でも銀メダルを手にした。故に、マラソンに転向してからも、特にスピードについてこだわりを見せる。

「スピード練習は毎週行っています。必ず、必要です。トラックでのトレーニングはとても重要で、1000m、1600m、2000mくらいの距離をミックスしながら練習しています。距離に関しては日によって変えてはいますが、スピードに関してはだいたい2分40秒/kmくらいのペースで走ることが多いです」

Kipchoge

キプチョゲがその速さを語る上で、重要なファクターがある。彼がことあるごとに言及している「走ることが楽しい」ということだ。自身が日々、これまでにない速さで走り続け、進化していくのもそれが理由だという。

「“好き”ということが全ての推進力になっていると思う。ゆっくりとジョギングすることも、42.195kmのレースも同じ気持ちで取り組んでいます。その上で、マインドをしっかりと保ち、自分を信じて気持ちよくランニングをするということが重要なのです。自分を信じれば『できる』というマインドになる。そうすればいい仕事ができます」

Kipchoge

そして、もう1つのファクターがシューズだ。キプチョゲが今回のベルリンマラソンで着用したのは「ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4% フライニット」をベースにしたモデル。10月7日に行われたシカゴマラソンでは、大迫傑が同モデル(市販モデル)を履いて日本新記録を更新するなど、今やこの常識破りな厚底シューズは世界のマラソンランナーにとっての“THE ONE”な存在となっている。それはキプチョゲにとっても同様だ。

「私が世界新記録を出すために、ナイキは全てを整えてくれました。このシューズは軽くて、衝撃吸収性もあり、履いていてとても快適。リカバリー効果も高い。それが、私にとって理想のシューズそのものなのです。このシューズを生み出すために私自身も様々な意見をナイキにフィードバックしてきましたが、驚くほどのレスポンスで理想の形を作ってくれた」

今後はもちろん東京五輪を見据えている。ライバルは自国ケニアや隣国エチオピアの選手が筆頭となる。しかし、今年に入って日本新記録を次々と打ち出した大迫傑や設楽悠太といった、若く有望な日本人ランナーも自国開催での五輪で表彰台を虎視眈々と狙っている。

「東京五輪(で勝つこと)は、もちろん TODOリストに入っています。暑いと言われていますが、普通に準備するだけ。みんな同じ条件でやるので、それは大丈夫。とにかくみんなが喜び、楽しんでくれるような美しいレースをしたい。日本人選手? とてもいいですね。大迫選手や設楽選手は頭がシャープな選手で、パッションを持っているし、努力もする。本当に負けない気持ちを持っていると思う」

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エリウド・キプチョゲ
1984年11月5日生まれ。ケニア出身。10代の頃から陸上競技選手として活躍し始め、2003年のパリ世界選手権では5000mを12分52秒79の大会記録で優勝。オリンピックでは5000mで2004年アテネオリンピックで銅メダル、2008年北京オリンピックで銀メダルを獲得。2012年からマラソンに転向し、2016年リオデジャネイロオリンピックの男子マラソンで金メダルを獲得。2018年9月に行われたベルリンマラソンでは、世界新記録となる2時間01分39秒で優勝した。