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物心がついた時には、地元・湘南の山をマウンテンバイクでダウンヒルして楽しんでいたという永田隼也さん。小学5年生からレースに参戦し始め、翌年にはスポンサー契約を結び、小学6年生にしてプロライダーの道へと進みます。華々しいデビューを飾り、選手としても順風満帆なキャリアを積み重ねていた永田さんに、転機が訪れたのは、3年前。オークリージャパン株式会社(現・ミラリジャパン)の正社員入社を決意しました。会社員とプロライダー、二足の草鞋を履く永田さんに起こった大きな変化とは?

(写真 古谷勝 / 文 onyourmark)

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小さな頃から車が大好きで、初めての”乗り物”である三輪車を乗り回す幼少時代。三輪車から自転車に乗り物が変わる頃にはすでに、近所の階段などを爆走して駆け下りていたそうです。そんな永田さんを見かねた近所の人が、「マウンテンバイクというのがあるから、ここで乗り回すのはやめなさい」と、お店を紹介してくれたことによって、永田さんの人生は大きく変わることになりました。

「お店に行ったのが、小学校4年生。スタッフの方が山へと連れて行ってくれるようになり、気づいた時には、自然と一体となれる山でのダウンヒルに完全に魅了されていました。何が一番面白いって、レースでのライン取り。レースではコーステープっていうのが一応貼られているんですけど、そのエリア内であればどんな道を走ってもいいんです。そうすると選手によってみんな走る道が違う。それってすごく頭を使うし、遠回りをしたやつが勝つっていうことだって良くある。前日にまずコースの下見をして、走るラインを考えるんです。全体の流れを頭に入れて、自分だけのレースコースっていうのを組み立てなきゃいけない。その駆け引きがすごい面白いんです。想像もつかないラインを走るやつもいるんですよ。律儀なコースを組み立ててくるやつもいる。千差万別なコースを通ってそれぞれ選手がゴールするのに、タイムはコンマ差だったりするんです。それが本当に面白くて!」

小学校5年生から始めたレースキャリアはとんとん拍子に積み上がり、中学3年の時、ダウンヒル国内シリーズ戦Jシリーズの最高峰であるエリートクラスに当時最年少で昇格しました。それをきっかけに、「HONDA」のHRCというチームに入ることに。国内で結果を出せるようになると、ヨーロッパやアメリカへの海外遠征の道も開けるようになりました。夢のような恵まれた選手生活を送っていた永田さんに新たな転機が訪れます。大学に入るや否や、所属していたチームがMTBから撤退することが決まってしまったのです。そこから、チームを転々とするも、在学中はフリーランスという道を選ぶことを決めたそう。

「遠征に行くにも、チケットやら、レンタカーやら、ホテルやら、手配することが多い上に、遠征費も自分で稼がなければならない。抜けてみて、ワークスチームのありがたさを身にしみて感じました。だけど、国内のワークスチームに入ってしまうと、国内をベースに遠征しなければならず、逆に海外も然りだったんです。僕としては、国内外問わず、世界のいろんな場所を走りたいという気持ちが強かったので、思い切って、個人でスポンサー集めをして活動するという道を選ぶことにしたんです。自分で自分をスポンサーに売り込んでいく、どさ回りって言うんですか?(笑) スポーツ関係だけでなく、飲料やIT関係の会社など、会いに行って、各所から活動費を集めていましたね」

選手として、自分の価値を見出してもらい、お金を出してもらう。自分自身で切り開いていったこの経験は、チームに所属していた頃とは違ったかけがえのないものになったそうです。卒業後も個人として、MTBライダーとして勝負していき、それから3年。永田さんは25歳になり、レースだけの人生に疑問を感じ始めました。そんな折に、オークリージャパンのマーケティング部の社員採用の話が。これからの人生を考えた時に、この業界を広い視野を持って俯瞰してみたい、という気持ちから、入社することを決意。26歳で初めての会社員にとなった永田さんに最大の出来事が訪れます。

「今までは自分一人で判断して、決めて生きてきたんで。言ったら、自己完結でよかったんです。でも今は、一つの物事を少し動かすだけでも、何人もの了承をもらわないと動かせないじゃないですか!(笑)正直、乗る時間も減ってしまったし、このままで大丈夫か? と思ったことも。だけど、時間が限られるほど、トレーニングへの集中力が高まり、内容も効率的になっていったんです。また、仕事柄、サーフィンやスケートボードなど、様々なトップ選手と関わるようになって、モチベーションの上げ方とか、メンタルを強くする方法とか、技術以外のところで刺激を受けるようにもなれました。会社員になってからは、昔とは確実に違うレース戦略になった、と言えます。コースも客観的に考えてみることができるようになったり、戦略的に展開できるようになりました。実は、会社員になった、まさにその年、なかなか取れなかった全日本のタイトルを初めて獲ったんです。不思議ですよね。練習量は圧倒的に昔の方が多かったのに。強くなるために、何が正解かなんて、本当にわからないもんです。これからも二足の草鞋で頑張ります。笑」

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【名前】永田隼也 JUNYA NAGATA
【生年月日】1988年8月13日
【職業or所属】マウンテンバイクアスリート/ミラリジャパン(株)オークリー
【やっているスポーツ】マウンテンバイク
【Instagram】@juunnya
【HP】http://first-track.co.jp/athlete/junya-nagata/
2017年8月27日には「Red Bull Holy Ride 2017」のディフェンディングチャンピオンとして神社の境内を駆け抜ける!

お気に入りアイテム

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オークリーのゴーグル
「僕らの競技って、目から入ってくるものが全てなんで、見えることがすごく大事なんです。これは、本当に、最高の視界を提供してくれるんです。機材じゃないですけど、ないとレースできないくらい、重要なアイテムの一つです」