2016.06.27 - 08:00

「テニスは人生だ!」伝説のプレイヤー、 スタン・スミスが語るゼン・アンド・ナウ

(写真 濱田晋 / 文 倉石綾子)

スタンリー・ロジャー・スミス、通称スタン・スミス。1960年代後半から80年代前半にかけて活躍した、アメリカを代表するテニスプレイヤーである。アディダスが1970年代から発売している名作テニスシューズ「スタンスミス」は、実は彼にちなんで名付けられたものだ。 このほど来日したレジェンド、スタン・スミスが往年のテニスヒーローのこと、人々を惹きつけてやまないテニスの魅力、そして錦織選手のこと、自身の思いを語りつくす。

『スタンスミス』を履いて勝ちまくった’70年代

 スタンスミスといえば誰もが思い浮かべる白いテニスシューズ。耐久性のあるレザーを使ったテニスシューズは画期的で、一斉を風靡したという。発売から40年以上を経たいまもなお愛されている名作シューズは、履き心地こそ改良されているがシンプルなデザインは当時のまま。
「『スタンスミス』はもともと、『ハイレット』という名前で’60年代半ばから発売されていたんだ。オールレザーで作られた最初のテニスシューズで、アディダスの創業者、アディ・ダズラーの息子がデザインしたんだよ。サッカーシューズやトラックシューズでレザー製はあったけれど、それまでのテニスシューズはキャンバス製だったんだ。僕が好んでこれを履いていたこともあって、『ハイレット』にいくつかアレンジを加えた『スタンスミス』というモデルを’72年にリリースしたんだ。これを履いてたくさんの試合に出たよ。勝った試合も負けた試合もある。いまとなればその全てがいい思い出だ。

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 初期のモデルには僕の名前が3回も出てくる。シュータンとシューボックス、それからスリーストライプスの間にね。シュータンにプリントされているポートレートは僕が24歳か25歳の頃に撮られたもの。僕は口ひげがトレードマークなんだけれど、この歳の1年間だけは口ひげをはやしていなかったんだ。だから『スタンスミス』の僕には口ひげがない。口ひげがないばかりか、髪だっていまよりふさふさしているけれどね(笑)」

 スタン・スミスはカリフォルニア州パサデナ出身。テニスで頭角を現したのは、南カリフォルニア大学時代のことだ。全米学生選手権で優勝した’68年、テニスの国別対抗戦「デビスカップ」のアメリカ代表選手に選ばれ、以降、通算7度の優勝に貢献している。また’60年代後半から’80年代初頭にかけて、シングルス・ダブルスを合わせてグランドスラムで7勝を挙げた。
「同年代のライバルといえばオーストラリアのジョン・ニューカムやU.S.オープンで戦ったチェコスロバキアのヤン・コデシュ、ウィンブルドンのファイナルで対戦したルーマニアのイリ・ナスターゼら。ちなみにビョルン・ボルグやジョン・マッケンローは10歳くらい年下だから、僕より少し後の時代に活躍したプレイヤーだ。
 ライバルとして思い出深いのは、ウィンブルドンやデビスカップで戦ったイリ・ナスターゼだね。“癇癪持ち”というあだ名があるくらい気難しい男で、審判の判定にキレて暴言を吐くようなこともあった。でもふざけたモノマネで笑わせてくれるような面白いやつでね。ウィンブルドンの決勝だったかな、僕のリターンが微妙なところに落ちて写真判定になったんだ。結局、僕のポイントになったらイリがカメラに対して怒り出してね、『このカメラがおかしいんだ、ごみみたいなロシア製め!』って。試合中だけど笑ってしまったね」

 

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次世代のこと、そして錦織選手のこと

 プレイヤーとして第一線を退いた後はコーチに転身。多くのプレイヤーを指導し、名コーチとして名を馳せた。4人の子どもと9人の孫に恵まれた現在も、スポーツを通じたチャリティ活動に、若手を育成するテニスアカデミーの運営にと、テニス業界の発展のため忙しい毎日を送っている。
「現在は『スタン・スミス・イベント』という、メジャー大会でアメリカの企業が招待したゲストのアテンドを行う会社を経営している。このほかに『国際テニス殿堂』の理事長を務めているから、毎日目が回るほど忙しい。
 次世代の育成にも力を入れていて、僕が主宰するアカデミーには現在、12歳から18歳の50人のプレイヤーが所属している。みんなトップアスリートを目指してしのぎを削っているよ。彼らとはたまに遊びでテニスをするね。僕がもっとも深く関わっているのは『ヘリテージクラシック財団』というチャリティ基金。これは放課後の子どもたちにスポーツアクティヴィティの機会を提供しようというクラブ活動だ。プロのテニスプレイヤーになろうなんて考えたこともなかったし、まさかシューズの中の顔になるなんて想像もできなかった僕がトッププレイヤーとして活躍にできたのは、いい環境とコーチに恵まれたから。次世代や子どものためのこうした活動を続けるのは、僕を長年に渡ってサポートし、導いてくれた人たちへの恩返しなんだ。スポーツというのはベストを尽くそう、もっと上手くなろうという情熱をもたらしてくれる素晴らしいものだ。だからたくさんの子どもたちにスポーツに触れる機会を与えられればと思ってね」

 

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 現在、日本人をもっとも沸かせるテニス選手といえば、日本人初のシングルス世界ランキングトップ10入りを果たした錦織圭だ。グランドスラム優勝者のスタンも、「ビッグマッチの勝利に限りなく近いところにいる」と高く評価している。
「ケイはコート内で素晴らしいスピードを持っている。バックもフォアも強くてサーブもいい。おまけにどんな状況でも冷静さを失わないメンタルの強さがある。僕の好きなタイプのプレイヤーだし、グランドスラム優勝だって可能だと思う。先日(バルセロナ・オープンのファイナル)のケイとナダルの試合を見ていたんだが、彼はいい試合をしていたよ。
 ただし、現実的に優勝を目指すならまずはジョコビッチ、マレー、ナダルというとてつもなく力のある3人を倒さなくちゃいけない。トップアスリートの中でもさらに一握りの選手は、ハードコートもクレイコートも、そしてグラスコートも強い。どんなにタフなシチュエーションでも流れを自分の方に引き寄せていいプレイをするんだ。ジョコビッチなんかそうだよね。ケイはハードとクレイはいいけれど、もっとグラスの経験を積まなくてはいけない。ケイがグラスに慣れて自分の試合ができるようになった時、ウィンブルドンで何が起こるか。僕はそれを楽しみにしているんだよ」

いい時もあれば悪い時もある。テニスは人生みたいなもの

 トッププレイヤーとして、そして一流のコーチあるいは育成者として。さまざまな立場からテニスを見つめてきたスタン・スミス。勝つため、トップを目指すための秘訣を「常にベストを尽くすという強い気持ちを持ち、一貫していいテニスをすること」と語る。
「もちろん、その強い気持ちを持ち続けることは簡単ではない。だからそれを維持するために練習があるんだ。練習をする、自信が生まれる、自信が『常にベストを尽くそう』というモチベーションを生み出してくれる。このいいサイクルを繰り返していけば必ずゲームに勝てる。
 テニスというのは1対1で試合を行うよね。試合になったら選手自身が情報を的確に判断して戦略を組み立て、戦術に落とし込まなくてはいけない。メンタル、フィジカル、頭脳が必要とされる総合的なスポーツなんだ。では、試合で適切な判断を下すには何が大切だろうか。それはいいフィーリング、心構えなんだ。
 そう考えると、テニスって人生みたいだろう? いい局面、悪い流れというのは誰しもが経験するけれど、僕はポジティブでい続けさえすれば勝機はあると思っている。人生のアップダウンだって、必要以上に落ち込まず、ポジティブな気持ちを持っていれば乗り越えられるんだよ。僕はテニスからそれを教わったんだ」

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 アスリートを退いたスタン・スミスにとって、テニスは新たな魅力を放っている。それは「生涯スポーツである」という点だ。たとえ体力的にシングルスがキツくなったとしても、ダブルスにはシングルスとはまた違った面白さがある。事実、彼の祖母は86歳まで、母は90歳までテニスを楽しんでいたという。
「長生きすればするほど、同じエイジグループで勝つ可能性が高くなるんだよ。ライバルが減っていくからね!」
 もちろん、スタン・スミス自身も生涯、テニスを楽しむつもりである。

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Stanley Roger Smith
1946年カリフォルニア州パサデナ生まれ。’70年に東京で開催された第一回「マスターズグランプリ」を優勝し、以降、数々のメジャータイトルを獲得。「デビスカップ」では、シングルのプレイヤーとしては全盛期を過ぎた’70年代後半でもダブルスで2度の優勝に貢献するなど、デビスカップ史上最多の7勝を挙げている。’87年に「国際テニス殿堂」入りを果たした。