2015.10.01 - 08:00

生き方としてのトレーニング #01 伊藤弘 自分の限界を知るカルチャーを試す

(文 菅付雅信 / 写真 平野太呂)

クリエイティヴな仕事を持続するには自分をトレーニングしなければならない。より良き創造のために自らの身体を鍛え続けるクリエイターたちの姿を追う連載第一回は伊藤弘。デザイン事務所グルーヴィジョンズ代表である彼に独自の「生き方のトレーニング」について語ってもらった。
(onyourmarkの雑誌版『mark』との連動連載『生き方としてのトレーニング』は、mark04号からスタートした。雑誌版の初回には松浦弥太郎が登場した)

雪山でのトラウマ体験

リップスライムの一連のジャケットやチャッピーのキャラクター、そして無印良品のキャンペーンなど、グラフィックやムービー制作を中心に活躍するデザイングループ、グルーヴィジョンズ。この6月19日から8月23日まで、原宿ジャイルの「Eye of Gyre」で彼らの展覧会も開催され、7年ぶりの作品集『groovisions highlight』も同時刊行、さらに彼らが選んだ様々な道具で構成された本『groovisions 100 tools』も出るなど、ちょっとしたラッシュ状態となっている。

今やデザイン・シーンを超えた存在になっているグルーヴィジョンズの代表である伊藤弘さんは、デザイン方面だけでなく、フィジカルなライフスタイルでもパイオニアとして注目を集めている。

グルーヴィジョンズは1993年に京都で設立された。ゆえに伊藤さんは京都出身だと思われがちだが、実は新潟市生まれ。海の近くに住み、海に親しみながら、少年時代を過ごした。中学に入ってからはテニス部に所属するが、体育会的な鍛錬にはのめり込まなかったという。

「中学校の裏も海だったので、トレーニングを装ってみんなで海で遊んでましたね。テニス部でしかもキャプテンだったのですが、僕らの上と下の世代がすごく強かったんですよ。その反動なのか、僕らの代はとにかくサボりたい、全然練習しないで、海でキャーキャーいって遊んでいました」。

一方で小学校の高学年から、ボーイスカウトを通してアウトドアな活動も同時に行っていた。彼は当時の雪山での、ある出来事をとてもよく憶えているという。

「僕らが所属していた団は他に比べてとても厳しくて。例えば雨の中、マッチ3本だけで火をおこすとか、いろいろなスキルは上がるけど全然楽しくないんですよ。一度、自分の中で“死ぬかも”と感じるほどの出来事があったんです。チーム4人で、引率の大人もいない状態で雪山を一つ越えるオリエンテーリング。当時、僕は一番小柄で、膝ぐらいまで雪をラッセルする状態で、完全にとりのこされてしまったんです。雪もひどくなってきて疲れて歩けないし、ホワイトアウトで前も見えない。その時急に“もうこれは無理だわ”と思って、その場に仰向けに寝転がって雪が降るのをみていたんです。自分が止まってしまうとあたりはとても静かで、顔に雪があたる感触をいまでもよく憶えています。しばらくしたら雪も止み、かすかに陽が出てきたので、もうちょっとだけ、と立ち上がって歩いたら実はすぐそばが頂上で。そこで他の3人が待っていてくれたんですね。今考えれば全然大したことなかったったのですが、この体験をほんとうによく憶えています。これがきっかけということではないのですが、きつかったボーイスカウトは辞めて、そこからしばらくアウトドアな活動とは距離を置くようになってしまいました」。

映画に熱中する少年時代

中学時代ではむしろ文化系の活動に大きくシフトしていく。ズルズルとテニス部を続けながらも、部活のあとに映画館に寄る日々。アメリカン・ニューシネマに熱中し、多くの時間と小遣いのほとんどを地元の名画座に費やすようになる。伊藤さんは次第にモノづくりの方面に興味を持ち始めるようになったという。

「どちらかというとスポーツよりも映像やヴィジュアルを見る方が好きだったから。中学のころは映画監督になりたいと真剣に思ってましたね。でも、うちの親父はとにかく美術系方面全般をよく思っていなかったんですね。親父は大学で流体工学を教えているバリバリの理系だったので、絵描きみたいな職業では食っていけんぞ、ということで。プロダクト、当時の言い方だとインダストリアルデザインだったらいいんじゃないかと言うので、そういう方面に行くフリをしながら、結局今のようなヴィジュアルの方に来たわけですね」。

京都でヴィジュアルの面白さに開眼

伊藤さんはその後、京都の大学に進学。そこでデザインを勉強しつつも、様々な映画や音楽などを大量にインプットしながら青春時代を過ごした。

「大学ではとにかくデザイン全般、プロダクトやインテリアも勉強しました。でも、ビジュアルの方に行くことは心に決めていたので、専門ではすぐに映像の方にシフトしていきました。とにかく当時からアンディ・ウォーホルが絶対的なアイドルでしたね。大学にある古いけど本格的な編集ができるUマチックのビデオ機材や、当時出たばかりの初期のマックを使って、研究室でデザインと言うよりはアート作品を制作していました」。

ビデオアートに熱中し、海外のコンペにも出品し入賞する経験も。しかし伊藤さんは、そこで賞を獲得することに意義を見出すよりは、自分がもっとやる気を出して取り組めるなにかを探していたという。折しも伊藤さんが青春時代を過ごした80年代初頭の京都は、パンクやニューウェーブ、テクノなど様々なカルチャーが入り乱れる、にぎやかな時代だった。

「学生時代を京都で過ごせたことは本当にラッキーでした。見るべきものがたくさんあり、ユニークな人も多かった。土地柄か、アカデミックなベースがしっかりありつつ、当時のアヴァンギャルドなミュージシャンのEP4に代表されるような、エッジの立った文化人もいたり。その時見たり触れたりしたすべてが、今の自分に影響しています」。

グルーヴィジョンズへ

大学卒業後は京都に残り、大学院に進学、そしてそのまま大学の助手をしながら、クラブ・イベントで映像のDJであるVJを始める。これがグルーヴィジョンズ誕生のきっかけとなる。僕も1992年の暮れに、大阪のクラブ・イベントで彼らとFPMの田中知之さんが出演したものを見て、その斬新さとポップなセンスに衝撃を受けたひとりだ。

「90年代前半からVJを始めたのですが、その大阪のイベントでピチカート・ファイヴの小西康陽さんと出会い、いきなりピチカートのツアーのVJをやることになったわけです。それからはなにか急流に巻き込まれたように東京と京都を往復する生活が始まり、昼も夜もない、めまぐるしい生活をしていました」。

97年に東京に移住。グルーヴィジョンズ名義で事務所を設立する。その後、仕事の内容が、映像からグラフィック中心に移行していく。それは伊藤さんの望む方向にも合致していた。

「そのころはまだデジタル前夜でしたので、映画やCMは業界的な古い仕組みがたくさんあり、それが面倒だったということもあって、機動力のあるグラフィックやモーショングラフィック、しかもフルデジタルの仕事に集中していきました」。

個人名ではなくグルーヴィジョンズという集団名での活動を意図した伊藤さんは、自分は本来、今もデザイナーとはいえないと言う。

「僕が関わろうと、グルーヴィジョンズのメンバーが関わろうと、最後にいいものが出来る仕組みの方が面白いと思っていて。そうしたシステムづくりを目標にやってきたところがあります。やっぱりデザインって、本質的に生活を豊かにする技術や知恵だと思っているので、誰だってそうした技術を共有できる、というのが僕の理想なんです。現実的には難しい課題だけれど、そういうベクトルは常に持ちながら仕事はやりたいなと」。

しかし、なかなかデザインの世界の人で、ここまで作家性を否定する発言をする人も彼くらいしかいない。他のデザイナーはどうしても作家性の爪あとを残したいと思うものだ。

「僕は作家性でモノを作るのではないやり方のほうに興味をもってしまったんですね。バウハウスだろうがスイス・デザインだろうが、本来はそういう民主的で機能的なコンセプトだと思っています。結果的にはスター的なデザイナーがいて、そのスターが作った作品だけが残ってますけど、本来の思想は違う側面もある。現実とのギャップはあれど、そうしたコンセプトを掲げることは決して間違いではないと思ってますね」。

記憶を失うほどの多忙な生活で身体を壊す

グルーヴィジョンズの仕事は東京で大きく飛躍したものの、不規則な生活が続き、やがて彼の身体に不調が出始める。

「深夜まで撮影して朝4時くらいに事務所に帰ってきて、そこから別の仕事をしたりしていましたからね。パスポートだけ持って、着替えもないような状態で徹夜からそのまま“ちょっとパリに撮影行ってくるわ”ということも。一度身体を壊して一週間ほど入院したこともありました。その頃の記憶は、ピンポイントではポツポツと覚えているけれど、忙しすぎてトータルではなにかおぼろげなんですよ」。

カルチャーとしての自転車に出会う

京都でほぼ車移動だった伊藤さんは、東京に来てから自転車に興味を持ち始める。それは健康を意識してというよりは、カルチャーとしての興味が先にあったという。

「本格的なスポーツ自転車に乗るようになったのは、東京に来てからです。京都で車を売ったお金でまず一台、立て続けに違うタイプの自転車を何台か買ったんですね。プロダクトとしての自転車は元々好きで、モノとして次第にのめり込んでいったので、そもそもスポーツとして始めたわけではないんです」。

自転車とは自由

「実際に本格的に乗り出したきっかけはアメリカのバイクのムーブメントからなんです。ヨーロッパのロードバイクのカルチャーとは違って、伝統に縛られていない分、なんでもありで面白いなと思っていました。いい自転車はすでにたくさん持っていたので、少しづつ長距離ライドにチャレンジしてみると、これが思ったよりのめり込む結果になりました。例えば、東京から鎌倉までは50キロくらいなのですが、クルマでも2時間かかるところ、自転車だと3時間で行けるんです。しかも帰路は温泉に寄ったりと、自分の中の東京の地図が根本的に変わりました。ちょっとおおげさに言ってしまうと、とても自由なんです。自由というと自転車、というように、なにか自分の中で象徴的なアイコンになってしまった」。

だが、機材スポーツ独特の怖さもある。気がつけば自転車で毎日100キロ走っている時期もあり、膝を壊してしまったのだ。

「身体が慣れてしまうことに油断して、自分の限界をいつの間にか超えてしまうことがあるんですね。そこが自転車の面白さであり、怖さ。膝は自分なりに工夫して、良い乗り方を見つけられので、今は問題ありません」。

ギアに惹かれて登山を始める

自転車に引き続き、アウトドアで使うギアへの興味から、平行してトレッキングも始める。

「僕は小さい時から機能的なアウトドア・ギアのデザインが大好きだったんです。使わないのに道具だけはずっと買っていましたから。でもそれを使い出したのも自転車と同じで、カルチャーとしての興味が先にありました。結局は自転車もトレッキングもいまにつながる文化の潮流をそれぞれ象徴するものだったと思っています」。

集めたギアを、実際のアウトドアで使うようになったきっかけは、一冊の本だった。

「登山家のレイ=ジャーディンが書いた本を偶然プレゼントされて読んだんです。彼に代表される、アメリカ発のウルトラライト(超軽量)のカルチャーが僕にとってはすごく面白かった。それで、実際に使ってみようかなと思いはじめたんです」。

そして、ボーイスカウト時代のトラウマを抱えたまま、再び雪山へ登ることになる。

「仕事で知り合ったノースフェイスの方々に、八ヶ岳に連れて行ってもらったことがあるんですよ。厳冬期だし、マイナス20度近い。そこでは本当にギアが意味を持つんです。厳冬期の雪山に行くのは初めてでした。ボーイスカウトの時とは違って、ちょっとしたトラブルが命取りになる環境です。その体験が自分にとって大きかった。ギリギリの環境で肉体的にも精神的にも冷静でいることがほんとに大切で、そこに魅力がある。これは素晴らしいと思いましたね。ただ、自転車もそうなんですけど、バランスが本当に大切で、ちゃんと自分の身体や心と会話しながら、日常に戻ってきてはじめて終了するんです。そのプロセスがすごく面白い」。

アウトドアがもたらした生活への変化

自転車や登山によって、伊藤さんは、今までとは違う感覚で世界を見るようになったという。

「人工的な、アーティフィシャルなカルチャーだけで成立しているものへの興味が薄れてきました。最近は都会の最先端カルチャーに対して一歩引いた場所から、フラットに見るようになってきました。デザインに関しても同じ。良い意味でも悪い意味でも、自分の個人的な好き嫌いだけで判断しなくなってきましたね」。

自分の限界を知る面白さ
 
実は伊藤さんの家族は半年前に八ヶ岳の近くに移住し、彼は平日は東京、週末は八ヶ岳で家族と過ごす生活を送っている。

「僕の場合は自然環境だけでこうしたライフスタイルを選んでいるのではなく、自転車やアウトドアと同じで、ただ単に自分が興味があるので今の生活をやってるところがあります」。

ここ数年の伊藤さんの活動や言動を見ていると、彼のライフスタイルのテストパイロット的な行動に着目した仕事の依頼や取材の依頼が多いように見える。それを本人はどう捉えているのだろうか?

「自分は、今の時代のなにかを象徴するものとしての自転車や山、そこに惹かれてのめりこんでしまった人間なので、そういう意味ではデザインや音楽や文学なんかと興味の持ち方がそんなに変わらないんです。だから仕事としてデザインのリサーチをしている感じとあまり違和感がない。そのアプローチは初めて接する人、とくにアスリート体質じゃない人にとってもしっくりくるような気がするんですよ。ある意味、アマチュア代表として、適度なスタンスで経験を披露できる。自分自身、特にフィジカルが強靱なわけでもないですからね。一方で、自分の想像だけだと自分の限界ってはっきりと認識できないじゃないですか。リアルな肉体というフィジカルを介すと、限界がよく分かる。そこが実は一番面白くて、いわゆるカルチャーとかではすませられない領域。そこがリアルなんじゃないですかね、今の時代。まあ、僕の場合、新しいネタを見つけると自分の地図、その世界と自分の関係性が構築できるまで、徹底的にのめりこみます。そういう地図が自分の中ででき、なにか腑に落ちると、またポンとそこを俯瞰できる。それが好きなのかもしれません」。

伊藤弘(いとう・ひろし)
アートディレクター。デザイングループ『groovisions』代表。1993年、京都で『groovisions』設立。グラフィックやモーショングラフィックを中心に、音楽、出版、プロダクト、インテリア、ファッション、ウェブなど多様な領域で活動する。 1993年の設立時からPIZZICATO FIVEのステージヴィジュアルなどを担当し、注目を集める。 1997年東京に拠点を移動。以降、主な活動として、リップスライム、FPM(Fantastic Plastic Machine)などの、CDパッケージやPVのアートディレクション、100%ChocolateCafe.をはじめとする様々なブランドのVI、CI、『Metro min』誌などのアートディレクションやエディトリアルデザイン、メゾンエルメスのウィンドウディスプレイのディレクション、『ノースフェイス展』など展覧会でのアートディレクション、EXPO 2005 AICHI JAPAN 愛・地球博や農林水産省の映像資料でのモーショングラフィック制作などがあげられる。

GROOVISIONS WORKS

グルーヴィジョンズのオリジナルキャラクター「chappie(チャッピー)」のiPhoneアプリ。一つの表情から髪型や服装によって無限のバリエーションを生み出す「人型グラフィックデザインシステム」をもち、誰でも簡単にオリジナルのチャッピーを作ることができる。SNSなどのプロフィール画像にしてシェアしたり、アプリを共有する友達にプレゼントしたりすることも可能。
chappie iPhoneアプリ:http://groovisions.com/chappie/

山道具からライドギア、ライフツール、電子機器などのガジェッドまでを網羅したジャンル毎の道具を100アイテム紹介するスタイルブック
groovisions 100 tools
価格:1,728円(税込)
発行:扶桑社

約6年ぶりのリリースとなる作品集で、前回の作品集『GROOVISIONS MGR』と同じフォーマットの続編的な内容。オリジナル作品からクライアントワークまで、最新のgroovisionsの足跡が収録される。
groovisions highlight
価格:3,888円(税込)
発行:パルコ出版