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(文 根津貴央 / 写真 松田正臣・佐々木拓史)

石川弘樹さんと行くFASTPACKING第三弾は、福島県、新潟県、山形県にまたがる飯豊連峰(いいでれんぽう)。東北アルプスと称されるほど山容は大きく、山々が連なり、特異な美しさを放っている。

「大きく長い稜線をファストパッキングしたかった」。そう語る石川さんが、以前からずっと目をつけていた山域である。

今回、そんな石川さんがあるひとつの試みにトライした。軽量化&コンパクト化である。
8月初旬という季節、稜線歩きがメイン、最高地点でも2,000m強ほど、といった諸条件を考慮した上での取り組みだ。アルコールストーブ、軽量シュラフ、超軽量テントなどを用いることで、バックパックも普段愛用している34Lではなく24Lへとサイズダウン。重量もいつもは10kg前後だったが、今回は8kg程度に抑えた。

背負う荷物が小さく、軽くなれば、自ずと行動スピードは上がる。
この飯豊連峰の旅は、第一弾、第二弾とはまた違った味わいになるに違いない。

▼「石川弘樹 FASTPACKING」連載 すべての記事はこちらから
#01 屋久島縦断 SEA TO SEA
#02 大峰山脈 Extreme Mountains

予期せぬ洗礼と想像以上の絶景(DAY1/標準コースタイム:19時間)
ブゥーン、ブゥーン、ブゥーン・・・ハエかと思ったその小さな飛翔体は、アブだった。僕たちは東俣彫刻公園そばの登山口から林道を歩き始めた。時刻は4時55分。柔らかな陽射しが降りそそぐ早朝の林道を気持ちよく歩けると思っていたのだが、早々に期待は裏切られる。大勢のアブに取り囲まれることになったのだ。

「マジかよ・・・」。プロトレイルランナーの石川弘樹さん、グレゴリー・プレス担当の佐々木拓史さん、筆者の三人は、一様にこれから始まる長い旅路に大きな不安を抱いた。もしかしたら、ずっとアブに苛まれるんじゃないかと。

ふと前を歩く仲間を見やると、お尻の部分に黒いシミのようなものが点在している。汚れではなかった。アブである。僕たちは終始、顔の周辺だけではなくお尻まわりも手で払いつつ不快感を覚えながら歩みを進めた。事前情報からアブ対策にハッカスプレーを用意していたが、まったくと言っていいほど歯が立たなかった。

50分ほどで林道終点に着きトレイルへと足を踏み入れた途端、不思議なことにアブは消え失せた。林道とトレイルの境界は、単に地形や路面状況の違いを示すものではなく、もしかしたらアブの結界でもあったのかも知れない。

透明度の高い東俣川、そしてしばらく続くブナ林。アブから開放され、飯豊の自然を満喫する。

ここからしばらくは急登である。登りには慣れている3人だったが、季節は真夏。その暑さから、体からは滝のように汗が流れ出す。一難去ってまた一難。思ったよりも手強い道だった。ただ、心安らぐ涼しげなブナ林、多種多様な高山植物、群れをなすホンドザルなど、変化に富むトレイルが僕らの気持ちを和ませてくれた。

朳差岳(えぶりさしだけ/標高1,636m)に着いたのは、9時40分。ガスっていたため周りの山々は見えなかったが、先に延びる稜線だけはくっきりと視界に入っていた。「おぉーっ!」と石川さんが声を上げる。いよいよ飯豊連峰らしい稜線の始まりだ。

ついに稜線上に出た。果たしてガスの中はどうなっているのか。全貌が見えないことが、逆に気持ちを昂らせる。

走る楽しさと走らない楽しさ
「いやあ、走るもんじゃないよね」と言葉を発したのは石川さんだった。正直、耳を疑った。トレイルランナー引退宣言か?と思ったが、そうであるはずはない。彼の想像を遥かに超える絶景が、少しだけそう思わせただけのことである。

たおやかにどこまでも延びる稜線、咲き乱れる高山植物、点在する涼しげな雪渓・・・自然が生み出す神秘的な世界は、まるで楽園のようだった。石川さんは言う。「もちろん、キレイなラインを描くシングルトラックを見ると走りたくなる。でも走っているといつの間にかスイッチが入って、無意識に頑張ってしまうんだよね」と。

いい景色に出会ったら、立ち止まって心ゆくまで堪能する。走るのもいいし、走らないのもいい。それを実現できるのが、ファストパッキングでもあるのだ。実際僕たちは、この1日目に12時間28分かけて目的地まで辿り着いたが、実質行動時間は10時間18分。つまり、2時間10分も休んでいた、いや走らない時間を楽しんでいたのである。

朳差岳を過ぎ、大石山、地神山、門内岳、北股岳へと延びる稜線を、軽快に進んでいく。稜線上を通り抜ける風が、立ち込めていたガスを飲み込み、遠くへと追いやる。徐々に飯豊連峰の全貌があらわになる。初めて目にする壮大な景色とそこを駆け抜ける気持ちよさに、みんな「ヤバイ!ヤバイ!」と興奮しながらスピードを上げる。一瞬、現実世界を抜け出した感覚に襲われた。いったいこの道はどこまで続いているのだろうか。僕たちは、まるで銀河鉄道に乗り、果てしない宇宙の中を自由にただひたすらに突き進んでいるかのようだった。終着駅はなく、どこまでも好きなだけ行ってしまえる気がしていた。

トレイルは走りやすく他の登山客もいない。まるで稜線を独り占めしている気分だった。

どこまでも続く稜線を走ることがこれほど気持ちいいとは。石川さんも自然とスピードが上がる。

頼母木小屋(たもぎこや)ではジュースを飲んでリフレッシュ。高山植物も咲き乱れていた。

雪渓と、高山植物と、緑の山々が織りなす世界は圧巻。僕たちはしばし立ち止まって堪能した。

梅花皮小屋(かいらぎこや)に着いたのは、14時38分。思ったよりも早い。ここまでのコースタイムは15時間弱だったため、スタート時はこの小屋で泊まることも考えていた。さて、どうするか。進むか進まないか。天気予報を調べると天候は安定していてこれから崩れることはなさそうだ。行程的にも難所はないし、僕たちの体力も問題ない。ゆっくり行ったとしても日没前には余裕で着くことができるだろう。安全面について話し合った結果、進むことを決めた。

人生初のアルコールストーブ
「おぉ、見えたー!」。烏帽子岳(標高2,017.8m)を過ぎてしばらくすると、遠くの稜線上に小屋らしきものが見えた。今日の目的地である御西小屋である。広く大きな緑の稜線上にポツンと佇むその建物は、大草原の小さな家のような、あるいは峠の我が家のような、とても牧歌的で愛おしく感じられるものだった。

17時23分、僕たちは御西小屋に到着した。今日一日の休憩時間を除いた実質行動時間は10時間18分。コースタイムの54%というかなりの圧縮率だった。テント場は稜線上ながらも風はほとんどなく、南西方向には飯豊連峰最高峰の大日岳(標高2,128m)の雄大な姿。極上のフィールドだった。

御西小屋のテント場。佐々木さんのテントは、ファイントラックのツェルトⅡロング(重量340g)。

筆者のテントは、ゴーライトのポンチョタープ(重量210g)。

石川さんのテントは、テラノバのレーサーウルトラ1(重量580g)。

沈む夕日を眺めながら、各自夕食を作る。今回軽量化を意識していた石川さんは、人生初のアルコールストーブでの調理。「あれー、なかなか沸かないなあ」と言いつつも楽しんでいる様子。ガスとは異なり火を熾す感じが気に入ったようである。使いこなせるようになって楽しみ方の幅を広げたいとのこと。食事を楽しみつつ、小屋で購入したビールやら焼酎やらを味わいながら、夜は更けていった。

山小屋のご主人の温かさに触れる(DAY2/標準コースタイム:12時間)
「チングルマだ!チングルマ!」と一斉に叫んだ。御西小屋から飯豊山へと続く稜線は、まるでお花畑のようだった。時期的に白い花は咲いていなかったが、チングルマ(稚児車)の実が群生していたのだ。

飯豊山に向かう前、僕たちは朝4時に起きて大日岳をピストンしてきたのだが、山頂はガスが立ち込めていたため眺望はゼロ。期待を裏切られてからのリスタートだっただけに、突如現れた桃源郷にテンションは一気に最高潮へと達した。

稜線を彩る高山植物の数々(左上がチングルマの実)。三人とも花の素晴らしさに気づかされた。

フラットで走りやすいトレイルだったが、誰ひとりとして走るそぶりはない。みんな高山植物に首ったけ。普段は特に花好きでもない男3人が、急に乙女男子というか乙女おじさんに変貌し、しばらく撮影会となった。

ほどなくして現れた飯豊連峰の主峰・飯豊山(標高2,015.2m)は、これまで通ってきた山々とは異なり、山頂付近が花崗岩の露岩で覆われていた。その昔、山岳信仰の場でもあっただけに、異質な雰囲気が漂っていた。

山頂から10分ほど下ると本山小屋。山小屋のご主人が笑顔で迎えてくれた。実は昨日から感じていたのだが、飯豊連峰の山小屋の人はとりわけ人柄が素晴らしい。感じもいいし、対応も丁寧だし、何より親切。みんないい人なのだ。

僕たちは、テントはもちろん防寒着やエマージェンシーキットなど万が一を想定した装備をちゃんと携行しているが、時々外見だけで判断されて山を知らない軽装のランナーだと思われることもある。でも、飯豊連峰ではそんなことは一切なかった。非常に好意的だったのだ。

山小屋の方々との出会いもまた、この山行をより魅力的なものにしてくれた。僕たちを歓迎してくれたことはもちろん、飯豊連峰の魅力を教えてもくれたし、どんな相談にも乗ってくれた。

本山小屋のご主人に至っては、高山植物のガイドもしてくれた。「イイデリンドウはこここが南限なんだよ」「飯豊にあるエーデルワイスは、イイデルワイスって言うんだ。どこの本にも載ってねぇけどな(笑)」「ヨツバシオガマは、葉まで美しい、浜で美しい、浜と言えば海、海と言えば塩水、それで塩って名前がついたんだ」など、冗談も交えながらホントかウソか分かりかねる豆知識を教えてくれた(ちなみにヨツバシオガマの正しい由来は他にあるようだ)。

ブナの巨木群と激坂下り
本山小屋を過ぎてしばらく進むと、急に岩稜帯とクサリ場が現れる。ちょっとスリルはあったがテクニカルな所ではないので難なくクリアーした。稜線上は昨日同様アップダウンが少なく走りやすい。しかも2日目となると食料も減ってより身軽になっている。僕たちは、高山植物や雪渓を楽しみながらも、グングンと進んでいった。

10時過ぎには切合小屋(きりあわせこや)を通過し、11時過ぎに三国小屋に着く。この小屋のご主人もまたステキな人で、身の上話をしながらしばらく談笑した。飯豊の次は大雪山に行くという話をしたら、彼も行ったことがあるそうでさまざまな情報を提供してくれた。

ここからゴールの弥平四郎登山口までは下り基調だと思っていたのだが、かなりの起伏があった。しかも、陽射しも強くなり、標高を下げるにつれて暑くなってくる。稜線上の涼しさとは打って変わって、僕たちは汗だくになりながら歩みを進めた。

コースタイムで残り40〜50分の辺りまで来ると、美しいブナ林が現れた。しかも、巨木が多い。飯豊連峰と言うと稜線のイメージが強かったが、山腹にあるブナ林も大きな魅力であると今回の山行で気づかされた。さらにこの付近は激坂下りの区間。てっきりつづら折りになっているかと思いきや、ほぼ直線。一歩間違うと転げ落ちてしまうくらいのトレイルである。僕たちは時折バランスを崩しながらも、アドベンチャラスな道を楽しみながらゴールへと向かって下っていった。

13時21分、急に視界が開けたと思ったら、そこが弥平四郎登山口だった。2日目の休憩時間を除いた実質行動時間は5時間48分。圧縮率はなんと48%。想像以上のスピードで駆け抜けていた。

本山小屋を過ぎてから現れた岩稜帯。バリエーションに富んだトレイルは飽きることがない。

雪渓を歩くこともしばしば。この雪渓の美しさも、夏の飯豊連峰の醍醐味でもある。

ゴールに向かってブナ林の中を軽快に走る。この山域には、稜線を外れてもたくさんの見所がある。

「また戻ってきたい」

ゴール後の石川さんの言葉である。日本アルプスほどの規模はないが、アルプスと呼ぶにふさわしい山塊がこのエリアにギュッと詰まっている。稜線あり、高山植物あり、雪渓あり、ブナ林あり、岩稜あり、そして何より山小屋にステキな人がいる。

「また戻ってきたい」という言葉は、石川さんだけに限らず、今回一緒に行った全員が抱いた思いでもあった。

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#01 屋久島縦断 SEA TO SEA
#02 大峰山脈 Extreme Mountains

次回、連載のラストを飾るのは、北海道中央部にそびえる火山群『大雪山』。お楽しみに!

2日間の行程&詳細データ

DAY1:大石口(東俣彫刻公園の駐車場)〜権内尾根〜朳差岳(えぶりさしだけ)〜頼母木小屋(たもぎこや)〜北股岳〜梅花皮小屋(かいらぎこや)〜烏帽子岳〜御西小屋
※標準コースタイム:19時間
※実質行動時間(休憩時間を除いた行動時間):10時間18分
※圧縮率:54%


DAY2:御西小屋〜大日岳(ピストン)〜御西岳〜飯豊山〜本山小屋〜切合小屋(きりあわせこや)〜三国小屋〜三国岳〜疣岩山〜土ノ越〜弥平四郎登山口
※標準コースタイム:12時間
※実質行動時間(休憩時間を除いた行動時間):5時間48分
※圧縮率:48%

※標準コースタイムは、山と高原地図(昭文社)に準じています。

今回のファストパッキングを支えたバックパック GREGORY miwok24

石川さん曰く「軽量でありながら背負い心地が抜群です。雨蓋はないのですが、その分、荷物の出し入れがしやすいのがいいですね。左側(背負った時)のヒップベルトポケットが大きいのも便利です」とのこと。

容量: 24L 重量: 700g
価格:¥16,200(税込)
http://www.gregory.jp/item/detail/MIWOK24_B61/0650