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(文 村岡俊也 / 写真 藤巻翔 / 動画 上原源太 / 取材協力 Houdini


【山本健一 レユニオン・変わり続ける男の素顔 前編はコチラ

 レース前半の山本健一選手(通称ヤマケン)は、快調そのものだった。前半では想定タイムよりも遅れ、後半で驚異の粘りを見せるのがヤマケンの定番のレース展開のはず。しかしレユニオンでは序盤から攻めている。夜スタートのためだろうか。あるいは深夜にかけて降り始めた雨が、テンションを高めているのだろうか。サポートが入る予定だった第6エイドステーション(50km地点)には、想定タイムよりもなんと1時間半早く到着。そのためにスタッフからヤマケンと会えなかったという連絡が入る。ジェルは足りているのだろうか? ハンガーノックになっていないだろうか? 気を揉みながら待機していた前半のひとつの山場である66km地点のエイド、シラオ。標高1200mほどの山間の町である。トップの選手が6時15分に通過していく。全体的にハイペースのため、エイドの準備が終わっていない。トップから遅れることおよそ1時間。ヤマケンはバナナの皮を振り回しながら、清々しい顔で山を降りてきた。

「いやあ、バナナに助けられたよ〜」
 声はどこまでも明るい。
「楽しい! 楽しいねえ。これは贅沢だわ」

 沿道で並ぶ観客たちとハイタッチをしながらエイドに辿り着く。最初の難所でもある1000m以上の急激な登りを終えたばかりであり、雨後の朝焼けの美しさも相まって、全身からエネルギーを発散させている。レユニオン島の自然に体を馴染ませることが上手くできているのだろう。補給ミスもまったく問題となっていない。話しかけられた地元の女性の会話につきあいさえしている。「じゃ、行ってきます」という表情には、今年の充実したトレーニングの成果が宿っているように見えていた。だが実際には、後のレースの困難さの片鱗が、既に始まっていたという。

「シラオから稜線に上がるところで朝になっていたんですけど、すっごく眠くなって、だけど無理矢理進んで。眠気って何よりも耐えるのが苦痛だと思うんですよ。前半は、飛行機で36時間もかけてこんなところまで来たのに眠くなっている場合じゃないだろうって自分に言い聞かせて登っていたんです。実はほぼ眼が開いていない状態だったんですけど、後半もやっぱりそれが続いちゃって」

 今回の敵は、長年苦しめられている膝の負傷ではなく、睡魔だった。登りで眠気に襲われ、下りでその倦怠感を解消するかのように猛烈に飛ばす。アップダウンで劇的に自分自身が変化する。上りと下りの差によって、徐々にヤマケンは追い詰められていく。

この風景がなかったら、登れなかったよ

 次にヤマケンに会ったのは、後半の山場、レース全体でももっとも過酷な部分を抜けてくる121km地点、マイドというエイドステーション。カルデラの中から渓谷沿いに上がってくるヤマケンを待つために、サポートスタッフ、取材クルーが揃った。前半、想定タイムよりもかなり速く走っていたヤマケンが、遅れ始めている。自身が設定する想定タイムは、当然ひとつの目安に過ぎない。しかし目安から遅れているということは、疲労が蓄積し始めていることの証左でもある。

 雲が谷の底から沸き上がり、崖に沿って溜まっていく。陽が暮れ始め、徐々に気温が下がっている。カルデラの崖下を全員で見つめる。ヤマケンが来た。
「ヤマケーン!」大きな声で叫ぶが、反応がない。声は聞こえているはずだが、頭を振り、ようやく足を上げているような様子。少しずつ、なんとか体を引き上げる。かなりペースは遅い。ようやく登ってきたヤマケンは、生気が薄くなったような、初めて見せるとても辛そうな顔だった。エイドには「人に会いに来る」と語るヤマケンが、スタッフを見ても笑顔にならない。ヘロヘロのままどうにかエイドで腰を下ろし、グッと前屈する。ジッと下を見て深くため息をつく。何十秒後か、ようやく顔を上げたヤマケンの表情が一気に生き返っていた。瞬時に生まれ変わることのできる強さ。これがアスリートの力なのか。
「この風景がなかったら登れなかったよ」と大きく息を吸いながら口にする。
意識は常に外に向けている必要がある。辛ければ辛いほど、意識は自分自身に向かってしまう。すると身体的な辛さが精神を侵しはじめる。自分との対峙から脱却するために必要なのは、圧倒的な自然。

「マファト渓谷の中はすごい景色だった。谷底までコースを降ろしてくれて、メチャクチャなところにいるんだなって、本当に気持ちが盛り上がったんです。こんなところを走れるなんて幸せだなって。でも大きな山をふたつ越えて、谷底まで降ろされて、エイドまで崖を登るっていうところで、猛烈に眠くなってしまった。四つん這いで登ってましたから。あの登りはあの風景じゃなかったらクリアできてなかったかもしれない。すごく眠かったけど、叫んでましたから(笑)」

 息を吹き返したヤマケンは、「下りは任せておいて」という言葉の通り、雲の中となった低木の林をあっという間に駆け抜けていった。夕暮れによって雲が染められ、幻想的な風景の中を走る。すぐ後ろを追いかけたが、あっさりと振り切られた。これが、あれほど疲弊していたランナーだろうか。登りには景色の助けがいるが下りは思考している暇さえない。もうすぐ二度目の夜が来る。

倒れて、目をつむって、20秒数えるんですよ

 マイドから2時間強が過ぎ、暗闇のトレイルを抜けてきたヤマケンは、少し意識が混濁していた。「あれ、ここがエイド?」。現実の認識能力が落ちている。眠気のためだろうか。1時間半と想定していた次のエイドまでの13kmの道程に3時間かかっている。23時30分。24時間以上が経過し、睡魔との戦いは熾烈を極めていたという。

「登りになるとコースの横でザックを背負ったまま寝てました。倒れて、目をつむって20秒数えるんですよ。カウントしながら寝ている。でも、それができていたのも途中までで、最後の方はコース上で本気で寝てました。ほかの選手もバタバタ寝ていて、グッモーニンって声をかけて起こして、その先で自分が寝ていると後ろから来た選手が声をかけて起こしてくれる。その繰り返しでした」

 登りで自分と対峙している時に、ヤマケンは自分の一挙手一投足を脳内で反芻している。「山本健一が手を振っている、足を挙げた、少し痛い、石を踏んでいる……」。まるで行動の逐一を確認するよう。一般的にランナーが自身と対峙する場合は「なぜこんなことをしているんだ」と精神的な自問自答になることが多いが、ヤマケンは違う。意識が内を向いている時でさえ、肉体と脳が一体化している状態なのだ。ゆえに苦痛も強く感じてしまうが、眠気はその一体感、苦痛さえも分裂していった。眠い山本健一を客観的に見ているという、もうひとり別の人間が存在しているような感覚だったという。分裂状態が幻覚を生み、走ることを困難にしていく。そのため、人生で初めてコースで寝ることを選択していた。

 最終エイド。「立っていられない」と語りながらも、完走が現実味を帯びてきたためか、少し意識を取り戻している。あと14km。もう終わってしまうのか。ヤマケンはそう考えていた。

涙を流すことが自然だった

 ゴールは小さなスタジアムだ。夜中の3時を過ぎているためにスタンドに観客は誰もいない。関係者だけが見守るトラックを、ヤマケンが全力で走ってくる。いつもならば観客とハイタッチを交わしながらゆっくりと歩いてくるはずが、ヤマケンはスタジアムに姿を見せてからあっという間にゴールをした。最終盤はタイムを少し持ち直したが、29時間を少し回り、8位でフィニッシュ。

 ゴール直後は、なんとか笑顔を作ろうとしているように見えた。長い旅が終わったことを受け入れて、自己と他者の関係を再構築しようと試みているような瞬間。意識をもう一度結び直そうとしている。けれど、直後に涙を抑えられなくなった。サポートと抱き合いながら、嗚咽している。笑顔がトレードマークのはずのヤマケンが、泣き崩れている。それほど辛く苦しかったのかと呆然とその姿を見ていた。

「いろんな思いが重なりあって、あんなゴールになっちゃいました(笑)。みんながいてくれたことに感謝の気持ちが強くて、同時に悔しさがこみ上げて、申し訳ないなって。自分の走りができなかったから。万全だったんですよね。体に不安もなくて。それなのに、まさか睡魔! っていう感じで……。でもまあ、今までずっと笑顔でゴールだったけど、悔しさは悔しさでしょうがない。それが自然な姿だったんです」

 笑顔でゴールすることがスタイルだと、いつもヤマケンは言っていた。だが、それが叶わなかった時に初めて、スタイルという枠に自分を押し込めていたことに気づいたのかもしれない。自然体であることがトレイルランナーとしての可能性を広げることを知るヤマケンは、素直な自分を受け入れて、扉を開けたのだ。“悔しい”という感情は、本能的なものだろう。そして本能はいつだって、走りを進化させる鍵なのだ。

 173kmを29時間かけて走りきった男は、時間を濃縮したような、多様な思いを混合した顔をしていた。完走を讃えて抱き合ったときに、こちらの体にまで感動の余波が伝わってきてしまったのは、レユニオンの走りに山本健一のこの1年間が凝縮されていたからだ。あるいは、泣くことさえ厭わなくなった男は、感情を剥き出しに悔しがることでさらに高いステージを予感させ、ゴール直後にも関わらず次の100マイルレースへの意志を感じさせたからかもしれない。涙のヤマケンは、笑顔の時よりも動物らしく見えた。

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  • 山本健一

    山梨県出身。高校時代は山岳部に所属しインターハイで優勝。大学ではフリースタイルスキーに熱中。現在は高校の体育の教師として山岳部の顧問を務る。

    2008年の日本山岳耐久レースで優勝し、一躍注目を集め、2009年はツールドモンブランに挑戦し、8位と健闘。2012年 グランド・レイド・デ・ピレネー優勝。2013年 アンドラ・ウルトラトレイルでは2位でフィニッシュした。

  • トレイルランナー山本健一の活躍を支えるスウェーデン発のウェアブランド『HOUDINI』は、フリース素材のアンダーウェア開発のパイオニアであり、機能美を優先するデザイン哲学により、世界中のエクストリームスポーツアスリートの高度な要求に対応したスポーツウェアを開発し続けています。その経営方針は、自然環境に不可を与える生産を行わず、持続可能なビジネスを目指すというもの。全てのプロダクトは開発チームと、スポーツのスペシャリストであるHOUDINI フレンズによりテストが繰り返されています。トレイルランナー山本健一もそのHOUDINI フレンズの一員です。
    http://houdinisportswear.jp/