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(写真 55 Co.,Ltd / 文 小泉咲子)

【名前】平松弘道 KODO HIRAMATSU
【生年月日】1980年7月19日
【職業or所属】SUNNY FISH
【やっているスポーツ】トライアスロン、サッカー(小・中学校)

ワールドカップ出場歴もある、トライアスロン歴15年の平松弘道さん。競技と仕事のバランスとの試行錯誤の中、オリンピックを目指していました。今は、トライアスロンスクール「サニーフィッシュ」の代表として、選手をサポートする側です。自身の経験を踏まえた、引退後のセカンドキャリアの在り方に関する考えには、うなずかされることばかりです。

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可能性を感じたトライアスロンとの出合い
小・中学校はサッカー部でした。サッカー部って、レギュラーが取れないと、走り込みばかりしてて、陸上部の人たちより足は速かった。それで高校は陸上部に入って1500mをやっていました。当時、トライアスロン連合が、陸上部や水泳部出身者のトライアウト的なことをやっていて、興味がわき、レンタル自転車でビギナーのデュアスロン大会にも出場しました。その頃から、オリンピックを目指せる種目として意識していて、大学に入ったら、トライアスロンをやるんだという気持ちでいました。

やってみたら、水泳のレベルが足りないことを痛感させられましたね。1500mをクロールで泳ぐなんてやったことなくて、平泳ぎ連発(笑)。でも、達成感もあるし、バイクやスイムの記録をどれだけ伸ばせるのか未知数で、可能性を感じて、どんどんハマっていきました。

大学入ってからも最初の1年は陸上部に在籍してたんですけど、箱根駅伝ってものすごいレベルが高いじゃないですか。高校時代も、僕は80年生まれで松坂世代なんですが、甲子園を見ていても同じ年とは思えなかったし、それに比べて僕の陸上での目標は東京都大会の決勝だった。それが、トライアスロンとなると、世界が狭いんで、全国や世界が近いんです。3年のときに全国5位になって、アンダー23の日本代表を意識するようになりました。

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トライアスロンで食っていけるプロになりたい
大学卒業後、就職したんで、トライアスロンは趣味にと思っていたんですが、競技欲が芽生えて、選手生活を続行しました。サラリーマン時代に、U23のアジア選手権に行ったんですが、周りは学生やプロを目指してバイト生活を送っている選手ばかり。僕みたいに仕事と掛け持ちで片手間にやっているヤツは来るなみたいな雰囲気なんです。みんな人生を懸けてやってるから。彼らと比べられたら、今後、代表に選ばれないかもしれないし、専念すればもっと強くなれるという思いがあって、会社を辞めることにしました。辞めたからには、トライアスロンの仕事で食っていけるプロ選手になりたい。それで、トライアスロンスクールのサニーフィッシュを始めたんです。

毎日のトレーニングはもちろんですが、スポンサー営業や、スクール業は指導以外にも、お金の管理やスタッフのシフト組みとかやることは山積みで、全然寝られませんでした。やっぱり、一流になるには、睡眠時間を削ってはいけない。突っ走っていると、自分の実力が伸びているか、もう伸び留まってしまったのか、なんてわからないんですよ。北京オリンピックに僕は行けなかったんですが、出場した日本代表選手はフルタイムトライアスリート。才能も違うけど、すべてを投げ打たないと、オリンピックは辿り着けない場所なんだと分かりました。僕は、仕事とトライアスロンを天秤にかけたとき、仕事を取ってしまうところがあって、怪我もありましたけど、選手としては辞めたほうがいいという決断をしました。でも、長く続けてこられたのは、最初にトライアスロンに関わる仕事をしながら競技をするというスタンスを選んだのがよかったんだと思いますね。

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現役選手がセカンドキャリアを描ける会社作りを
僕がトライアスロン界に貢献できることは、仕事と競技のバランスで悩んでいる子たちをちゃんと雇用し、セカンドキャリアを保証してあげて、競技活動をさせてあげること。オリンピックやアイアンマンで活躍できる選手になるには、やっぱりフルタイムトライアスリートでないとダメなんです。それは、自分自身の経験でわかっています。ただ、セカンドキャリアを見据えた上でフルタイムのプロをやってほしい。

大学時代、就職活動に踏み切れず、プロになるか悩んでいた頃、学校の補助金でオーストラリアに1カ月くらい練習に行かせてもらったことがあるんですよ。ワールドカップを回るメンバーがいるチームにお世話になったんですけど、いや、実際にはジュニアとエイジグルーパーのクラスに回されたんですが(笑)、そのワールドランカーたちがあまりいい暮らしをしていない。「あそこの芝刈りのバイトはいいぜ」とか言ってて……。それを聞いて「これじゃ、絶対に食っていけない。帰国したら就職しよう」と僕は思ったんです。

今も、若い子たちを見ていて、もうちょっと考えながら過ごしてほしいなと思いますね。バイトは考えなくていいから、ラクなんです。ただ、何も残らない。頭のいい子は、才能があっても先を見据えて競技を辞めちゃうんです。それがもったいない。彼らが「ここだったら、将来、食っていけるな」というチーム、会社にサニーフィッシュをしたいんです。