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(写真 松本昇大 / 文 小泉咲子)
刻一刻と変わる川の激流の中で行われるカヌースラローム。厳しい自然の条件下で、不規則に設置されたゲートを通過し、タイムを競うこの種目で、2016年のリオデシャネイロオリンピックを目標に進む選手がいる。吉田拓、26歳。遠征費調達のために、自ら企画した「拓サマー」が開催されると聞き、彼のホームグラウンドである奥多摩・御嶽を訪れた。

カヌーを自在に動かす難しさ、そして面白さ
カヌーの難しさは、いかに川の流れを読むかにあります。ひとつとして同じ流れはない。オリンピック競技の中で、もっともフィールドが変化すると言われているんです。波が変わったり、風が吹いたり、運も味方につけないと、勝てない。それが、この競技の面白いところでもあるんですけどね。

カヌーって、腕で漕いでるように見えますよね。実際は、全身を使ってボートを操っているんです。ボートの中で脚を踏ん張って、足と腰でボートを安定させる。ボートが暴れないように、流れに沿って傾きをコントロールするのも、下半身。ボートと体全体が一体になっているイメージです。

カヌースラロームは、川の流れに逆らって、下流から上流にくぐるゲートがあるんですよ。アップゲートと言うんですが、カヌーの後ろの部分が沈んでビュンッて回るんです。これが見所のひとつですね。それと、川の中を自由自在に、しかも、かなりのスピードで動くのは迫力が感じられると思います。
 

この日、40名ほどの選手がエントリー。「流れが早くてパワーのあるいいコース」を制したのは、もちろん吉田拓選手。

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ホームグラウンドの御嶽の自然に支えられて
キャンプをしながらカヌーで川下りを楽しんでいた父親の影響で、歩くより先に、カヌーに乗っていました。カヌーに乗っている父親の足と足の間で、寝ていたそうです。小学校の頃から草レースに出始めて、カヌーを自由に操れるようになっていくにつれてハマりました。

京都出身で、御嶽に来たのは、大学に入ってから。御嶽は、昨年の国体も開催されましたし、カヌーが盛んな土地なんです。御嶽に住んで7年目になりますが、カヌーのトレーニングにうってつけの環境で、すごく気に入ってます。

どのスポーツも同じだと思いますが、オフシーズンにどんなトレーニングを積むかが、次のシーズンのパフォーマンスに大きく影響する。御嶽には、川だけでなく山もある。僕は、上半身に比べて下半身が小さいので、オフシーズンは下半身の強化からするんですけど、御嶽の山でのトレイルラインニングを取り入れています。いろんなルートから御嶽の山を登りまくるんです。山は足場が悪いので、自然にバランスが取れて体幹トレーニングにもなります。下りは、瞬発力を養うために、できるだけ速いスピードを出します。これだけ自然に恵まれた環境に住んでいるので、使わない手はないですね。

SUPやスノーボード、スキーもクロストレーニングとしてやっています。最近やっと分かるようになってきたんですけど、どのスポーツもカヌーに繋がっていて、それぞれで得た感覚をカヌーに活かせんです。滝を下るクリークも好きですね。カヌーで行かないと見られない景色もあって。アドレナリンをバンバン出して、冒険するのも楽しいです。スポーツは、何でもやってみたい。ただ、すぐ飽きてしまうんですよ(笑)。でも、カヌーは10年以上やっていて飽きることがない。漕いでるだけに見えるかもしれないけど、やればやるほど課題が出てきて、まだ上手くなれる余地がある。こんなスポーツは他にないですね。まあ、どの競技の選手も、同じことを思っているはずですけどね。

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自主イベント「拓サマー」に懸ける思い
去年から、「拓サマー」というイベントを立ち上げたんですが、今年は、カヌー仲間だけでなく、御嶽の商栄会の方々が「御嶽せせらぎフェスティバル」という地元のお祭りも同時開催してもらい、応援してもらって。御嶽に住んでいながら、これまで地元のコミュニティーとの繋がりが薄かったので、すごくいい機会を設けてもらえました。地域の人からも応援してもらって、世界で戦えるというのは、幸せなことです。去年、国体が御嶽で開催されたと話しましたけど、近所の人が僕の顔を知ってくれて、声をかけてくれる。そういうのって、すごくいいですよね。

御岳商栄会主催のビールガーデン「御嶽せせらぎフェスティバル」で挨拶をする吉田拓選手。御嶽の人たちに温かく迎え入れられ、自然と笑顔がこぼれる。

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(写真左)中学生の頃からトップ選手たちと共に練習を積み、北京五輪では4位入賞した竹下百合子選手も参加。安定したボートの進みはさすが。(写真右)吉田選手は、ラフティングにも出場。吉田選手の他に、シドニー五輪代表の安藤太郎さんなどが加わった“拓さまオールスターズ”は、世界選手権2連覇した“TEIKEI”にも勝利し、優勝した。

「拓サマー」には、いろんな人に僕のことを知ってもらいたいという気持ちと、遠征費をなんとかしたいという思いがあるんです。正直、カヌーという競技で、スポンサーについてもらうのは大変です。オリンピック種目だし、日本は何年も連続して代表が出場しているんですけど、注目してもらえない。12年のロンドンオリンピックでは、カヤックの一人乗り(K-1)で男子が入賞し、北京では女子で竹下百合子が4位になったけど、メダルに絡んでいかないとやっぱり厳しい。

カヌーはヨーロッパで盛んなんですが、向こうには、水に親しむ文化があるんです。週末に湖にカヌーを漕ぎに出掛けてり、仕事帰りでもスーツを着替えて漕いだり。だから、夕方は川はすごく混み合うんです。だから、カヌーが人気競技で、オリンピックやワールドカップの中継は必ずやっています。選手たちも、カヌーを漕ぐことが仕事。クラブがしっかりしていて、スポンサーを集める仕組みが出来あがっています。

それに比べると、日本の状況は厳しいですね。カヌーの中継はないですし(笑)、スポンサーを探していますけど、なかなか難しい。一昨年までは、御嶽でラフティングを教える仕事をやりながらトレーニングもしていましたが、それではやっぱり遠征期間やトレーニングにかける時間がどうしても短くなってしまう。

去年から、地元の京都で後援会を立ち上げてもらって支援していただいています。協会からのサポートやブログでの収入もありますが、やっぱり足りないので、「拓サマー」を企画したんです。大会へのエントリーフィーやTシャツなどの売り上げなどを、遠征費にさせてもらっています。いろんな人にサポートしてもらってる。16年のリオデジャネイロオリンピックに出場することは、僕の夢でもありますが、応援してくれている人の夢にもなっています。だからこそ、この夢は叶えたい、絶対に。

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「拓サマー」のハイライト、決勝戦はライトアップされた幻想的な雰囲気の中で行われた。昨年は天候が悪く実現できなかったナイトレースだったが、大成功。

自分の力で切り拓くオリンピックへの道
ちっちゃいときから、オリンピックに出るのが夢でした。それが、現実として考えられるようになったのは、17歳でジュニアの日本代表に選ばれ、スロベニアで開かれた世界選手権に出場してから。世界で勝ちたいという思いが芽生えたんです。

ジュニアを終えて日本代表になってからは、スランプもあったり、どうやってカヌーに向き合えばいいか分からなくなって、勝てなくなった時期がありました。そんな中、09年の日本選手権で1位になれたのは大きかったですね。そこが僕のターニングポイント。それから、12年のロンドンオリンピックを目指していました。

でも、結果としてロンドンには出場できなかった。挫折です。オリンピック予選が終わった冬は精神的にしんどくて、カヌーに打ち込めなかった。ランニングという基礎的な練習も積めなかったし、水に入るのも躊躇していた。もう、翌年の成績は散々でしたね。そのとき、「これが僕の人生なのか」と思った。そうじゃないだろうと。それで、もういちど勝ちたいという気持ちが沸いてきて、リオを目指そうと思ったんです。

今年は、ワールドカップ5戦中、前半は、世界で戦うための準備ができていませんでした。カヌーでは多い怪我なんですが、脱臼をしたこともあって、思うように戦えなかったというのが正直なところ。怪我だけじゃなくて、精神面の弱さも露呈してしまった。自分の漕ぎを100%できなかった。心の弱さを認める作業は、なかなかしんどいです。でも、それができたことは、大きな収穫。認めなければ、次はないんで。

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精神面の弱さを克服するのために、スポーツ選手の本を何冊か読みました。為末大選手、長友佑都選手、中田英寿選手と、世界で活躍しているスター選手にも、日本人が抱える劣等感があるんじゃないかなと思って。どんな選手も海外のビッグクラブに行くと、一度は苦労するじゃないですか。僕は、海外の大舞台になると、固くなるところがあるんです。読んでみたら、みんな同じことを経験していて。その壁をどう克服できるかが、大切なんだと思いましたね。今は、本からもですけど、コーチとか選手とか、いろんな人からレースで大事なことを聞いて、道を探しています。

ワールドカップの後半は、ひとりでスロベニアに行って、海外の選手たちとトレーニングで道を切り拓くことができたように思います。テクニックだけじゃなくて、人間としても強さを身につけることができて、レベルアップできた実感がある。成績としては、けっして満足できるものじゃなくて、悔しい思いもあるんですけどね。

今年は、9月のアメリカである世界選手権が締めくくり。そこに向かってどれだけ追い込みができるか。次に繋がるレースがワールドカップの後半2戦ではできたので、いけるんじゃないかと。

来年の9月には、ロンドンで、リオデジャネイロオリンピックの第一次選考が始まります。国別15位になったら出場枠が取れて、日本の場合、そこで取った選手が代表になるので、いちばん大切なレースになってきます。

すでにリオへのカウントダウンは始まっています。オリンピックに出ると目標を決めたからには、もう止まれない。手応えですか?トレーニングでできている漕ぎを100%出せたら、世界でも通用すると思っています。

僕の「拓」という名前は、自分の道を切り拓くように、という思いを込めて親がつけてくれました。いろんな人からの応援を受けて、自分の道を切り拓きたいですね。

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吉田 拓(よしだ・たく)
1988年生まれ。京都府出身。父の影響でカヌーに乗り始める。最初はのんびりと浮いているだけであったカヌーも次第にカヌースラローム競技の道に進む。2009年の日本選手権で初優勝し、日本代表となる。現在は御嶽を本拠地にリオオリンピックを見据え、今年はヨーロッパで行われたワールドカップ出場。9月17日から、アメリカで行われる世界選手権に出場する。