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(写真 中田奨 / 文 村松亮 / 取材協力 adidas Japan)

現在、カリフォルニアを拠点に活動するスノーボーダーの國母和宏は、初夏から秋口にかけて、生まれ育った北海道の自宅に戻り、妻、まもなく一歳になる息子、2匹の愛犬と穏やかなひとときを過ごす。シーズンを終え、日本に一時帰国したばかりの6月末、自宅を訪ねる機会を得た。

4歳でスキーと出合い、当時ゲレンデにほとんどみられなかったスノーボードに憧れ、父にお願いし子ども用の板を作ってもらったのが始まり。その後、11歳にしてプロ資格を取得、14歳のときには日本人初の全米オープンで2位入賞。FISワールドカップや国際大会で数々の優勝を飾り、トリノオリンピック、バンクーバーオリンピックで日本代表選手として出場した。

2010年、11年には、2年連続でUS OPENに優勝し、その頃よりシーズン中はアメリカに滞在する生活となった。

走ること、食べること。すべては思い描く滑りのために。

向こうに生活を移して変わったことはスノーボードに集中できるようになったこと。カリフォルニアには、スノーボードのプロがいたり、スケートのプロがいたり、サーフィンのプロがいて、みなが“普通に”暮らせているんですよ。日本にいると、みんなして「スノーボードでどうやって食ってんの?」って、一々説明しないといけないですよね? つまり、社会として環境が整っていない。向こうではスノーボーダーのための生活に集中できているんです。

シーズン中の生活には、オンとオフのサイクルがあって、オンのときは基本、山にいます。朝5:30くらいに家を出て、ハイクで登るか、ヘリで山に入るか。昼間はずっと動いていて、昼飯はオーガニックバーみたいな行動食で済ませることがほとんどで、家に戻ってくるのが18:00~19:00ぐらい。そこからは自炊して、ストレッチして。ストレッチしたら「あーもう時間ねえ」みたいな(笑)。「次の日は5時起きだし、寝よう」、そんな毎日です。やることやって終っちゃうんですよ。

逆に、オフのとき。結局オンのときと同じ時間に起きちゃうんですけど、まず起きて、とりあえず朝食を食べますね。日本にいると和食なんですけど、向こうでは野菜が中心です。カリフォルニアはオーガニックフードのお店も豊富ですし、そういった食材にも苦労しないんです。ご飯を食べて、ちょっとゆっくりして、軽く身体を動かすんですけど、これはいわゆる、ランニングですね。近所にはトレイルも多いので、山を走ることもあります。走り終わってまたストレッチして、またゆっくりして。

日本で大学に通っていた頃も、今思えば、トレイルは走っていましたね。大好きですよ、走るの。だいたい60分ぐらいをジョグするんですけど、走ってるときはリラックスできるから。余裕のあるときは、コアマッスルを鍛える筋トレもします。あんまり重りとか持たないで、自重が基本ですね。むしろトレーニング、トレーニングってならないようにしていて。友達と旅に出る、そういう感覚で取り組んでます。じゃないと続かないから。

リラックスしながらトレーニングできるやり方を大切にしていますね。だから仲間とオフを過ごすときも「ちょっと街に遊びにいこうぜ」じゃなくて、「ハイキングにいこうよ」ってリフレッシュもかねながら、身体を動かしてますね。そういう生活の中では、やっぱり美味いものが食いたくなる。ここでの美味いもんって、手を加えていないシンプルフードのこと。誰だってそうだと思うんですけど、スポーツを始めて、スポーツが好きになって、そういう生活になれば、自然と食べ物だって変わってくるんです。

北海道の自宅の庭に畑がある理由も、食べるもので身体の動きが変わってくることを知っているから。食べるもので、考え方すら変わってくると思う。だからなるべく、身体に無駄なものは入れたくないなっていう気持ちがあって、それは高校生くらいから、ずっとそう。食べ物を変えたら、生活も身体も変わった経験があるから、それ以来、大事にしていますね。

気をつけているのは日本に帰国したときですね。帰ってくると食べたいものが多い(笑)。ラーメンだったり、焼き肉だったり、そういうものを食べたいとも思うけど、ラーメンってすごいじゃないですか(笑)。とくにシーズン中は、オーガニックなものを中心に食べていて、健康な身体を保っているから、帰国して自分の好きなものを一気に食べると、3日間くらいで見た目にもすぐでてしまうんです。

オリンピックを離れ、また戻ってきたワケ。

僕がスノーボードを人生の仕事にしようって思ったのは、中学校2~3年の頃。世界一のビデオスターになりたいって想いが芽生えて、自分がどこまでいけるのか挑戦したいっていう気持ちになった。それは今現在も同じで、変わっていないんですよ。

スノーボードを僕に教えてくれたのは、父さんで、世界に行きたいと思った理由をくれたのも父さんだった。「やるんだったらトップを取れ」、楽しければいいなんてことを言う人ではなかったんですね。だから全然優しくもなかったし、すごく厳しかった。それが自分の中にずっとある。今も変わらずに。だからスノーボードが楽しいものかといえば、違うんですよ。スノーボードをやることで、家族との時間もないし、友達と過ごす時間もない。犠牲にするものばかりだから、自分はスノーボードで今後の人生を築く必要があるし、常に上を目指して、妥協は許されないと思ってますね。

14歳のときにUSオープンで2位になって、そこからはもう「世界の奴らに勝ってやろう」って気持ちが強くなった。多分、世界を意識したときだったんだと思いますね。それと同じ頃にソルトレイクオリンピックを観て、中井考治選手がいい滑りをしていて、彼に憧れて自分もオリンピックを目指すようになった。それで一時は、オリンピックに出るためのスノーボードに励んだんです。その後にトリノオリンピックに出れて、でも全然ダメで。「これでいいのか、俺」って自分の滑りに葛藤が生まれましたね。それらコンペと併行して、当時からバックカントリーには入っていて、同年代の友達たちとビデオ撮影をしていました。トリノの後は2年間くらい、ビデオ撮影に集中していたので、「もうオリンピックは自分に合ってないのかな」って気持ちもありましたね。でも気が向いて一度パイプに戻ったら、すごい調子が良かった。それでまたバンクーバーオリンピックを狙ってトレーニングするようになったんです。でも、バンクーバーの後には、もうオリンピックじゃないなっていう気持ちがさらに強くなってました。

それでもソチオリンピックにコーチとして参加したのは、自分に少しでもできることがあるなら、オリンピックのために人生かけている選手をサポートしたいと思ったから。実は、ソチには自分が行こうと思っていた時期もありました。でも先シーズンの2月に怪我して、到底無理な状態だった。

思うんですけど、今まで日本人選手でオリンピックに出て、スノーボードの世界で、スノーボーダーとして人生を終えた選手っていないんですよ。でもオリンピックに出るくらいの選手なら、それで一生食べていけないとおかしいじゃないですか。いつかスノーボードをやめて、普通の仕事をする。それじゃいけないなって。だから選手としてでも、コーチとしてでも、オリンピックの先にある道を示したかったんですよ。だからオリンピックに戻ってきたんです。

今自分は、アメリカを拠点にスノーボーダーとして食っていけるようになれて。じゃあ次は日本でどうやったらスノーボーダーが食っていけるようになるのか、それを見つけて、伝えていきたいし、これからも探していきたいんです。

自分が正しいと思った道を歩いていきたい。

競技用のスノーボードとバックカントリーの決定的な違いは、順位も得点もないこと。コンテストのスノーボードはスポーツですけど、ビデオのスノーボードは自分の言葉でいうと、アートなんです。順位もないから明確なゴールもない。人それぞれだからこそ、表現する上で悩むことは多い。これはメダルを目指すのとは、全然違いますね。オリンピックで金メダルを目指すのはすごく大変ですけど、ゴールは見えているから、やらなきゃいけないことも分かって、何をすればメダルに近づけるのかも想像しやすいんです。

でもバックカントリーは、まず何をやりたいか、自分がどうなりたいかを自分自身でハッキリと持てていないと、練習方法すら思い浮かばない。数ある山の、数あるポイントの中から、滑る場所を自分で決めて、そこで自分だけのラインを選べないといけない。自分が好きなラインを自分でどれだけ認められるか。これはすごく大切にしている部分ですね。たとえば、ロッククライミングもそうですよね。登る岩を決めて、どのラインでメイクするか、答えは全部自分の中にしかないから。

自分のラインの取り方は、年々変わるんですけど、根本は一緒です。自分らしいラインがあるし、ないといけない。だから3年前に滑ったラインを見ても、俺っぽいね、そう言われることがありますし、自分でラインを見た後に「何でこんなことやってんだよ」っていう反省もある。ラインがブレてて、自分が迷ってるから。

今、闘っているのは自分自身です。自然には闘いようもない部分もあるし、やられたら仕方ないとも思ってますから。

シーズン中は毎日、自分がどれだけプッシュできるか。それは前に進むだけのプッシュだけじゃなくて、一歩引く、やめるプッシュもある。日々、自分自身をどう突き動かしていくか。悩むし、足掻く、でも必死になれてる。だから、自分は山に入ったら、家族ともそんなに連絡を取らないし、意識的にストイックになってます。自分のビデオパートをどれだけ良くするか。それしか考えていないんです。

結局、スノーボードを通して、自分が正しいと思ったこと、正しいと思った生き方をを表現していきたいんだと思う。(バンクーバー)オリンピックがあって、そういうことを深く考えた時期もありましたけど、じゃあ世の中の正しいとされていることを誰が正しい決めたのか。自分が正しいと思ったことと、今ある正しいとされていること。どっちを信じるんだって。自分は人に迷惑をかけない、これが最低限で。あとは自分が正しいと思ってる道を信じて生きていこうと思ってますし、ずっとそうやって生きてきてますね。

國母和宏(こくぼ かずひろ)
1988年8月16日生まれ、北海道石狩市出身。アメリカ・カリフォルニア州在住。プロスノーボーダー。adidas Snowboarding team。

4歳でスノーボードと出合い、11歳にしてプロ資格を取得。2004年、14歳の時に全米オープンで日本人初なる2位入賞。その後、2005年のFISワールドカップや2009年のユニバーシアードといった数々の国際大会で優勝を飾る。トリノ、バンクーバーオリンピックには日本代表として活躍。バンクーバー大会では8位入賞を記録。2010年、2011年と全米オープンを連覇し、東日本大震災の翌日開催だった2011年大会のウイニングランを被災地への祈りとして捧げ、国内外のメディアが大きく取り上げた。現在はウインターシーズンをアメリカに滞在し、撮影や大会等に出場。オフシーズンは北海道に帰省し、家族と過ごすという暮らしを送っている。
昨年、adidas初のスノーボード・コレクション【adidas Snowboarding】がロンチされ、チームメンバーとなった國母和宏に追ったウェルカム・ドキュメンタリームービーが公開され、大きな話題となった。

國母選手着用シューズ:
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adidas Snowboarding:
http://www.adidas.com/snowboarding/