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(写真 阿部健 / 文 村松亮 / 協力 adidas RUNBASE

2009年の世界陸上ベルリン大会女子マラソンの銀メダリストであり、2012年ロンドンオリンピックでは女子マラソン代表。華々しい経歴を持つランナー、尾崎好美さんは、昨年、現役を引退。現在は講演活動にはじまり、レースシーズンには毎週のように全国各地の大会にゲストランナーとして出演。ときにランニングクリニックなども開催し、取材当日もadidas RUNBASEで“ビルドアップ走”をテーマにしたセッションを行っていた。

「ビルドアップ走は、私が現役時代にやっていた練習の中でも重要なトレーニングのひとつでした。徐々にペースアップしていくものなので、辛いトレーニングではあるんですけれど、ペースを上げる瞬間に我慢できたり、キツいペースを維持できたりすることで、スっと身体が軽くなる瞬間、辛い状態の壁を超えられる瞬間を知れるようになるんです」

苦しくなってからが速いランナー

現役時代の彼女を最もよく知る第一生命陸上部の監督、山下佐知子氏は尾崎好美というランナーを常々、“苦しくなってからが速いランナー”だと指摘してきたという。「呼吸が乱れだして苦しくなってからのペースアップが異常」なのだそうだ。

「私自身、そういうタイプだと自覚していましたね。だからこそ、苦しいときほど、もうひと追い込みするトレーニングを心掛けていましたし。たとえば、40キロ走をした翌日は通常疲れていて休みたいって誰もが思うんですけれど、あえてインターバル走をしたり、もう一回40キロ走をしたり。ランナーのレベルによって苦しい状態は違いますけど、その苦しい状態でさらに走る、もう一歩踏み出す、それがレースでの苦しい状況を助けてくれるんです。そんな話をすると、とってもストイックなランナーに見られてしまいますけど、そうでもないんですよ。気持ちが乗らないときは、必ず休んでました。ちゃんと気持ちが回復するまで、あえて休む。違うことをして気分転換する。本当に大事なポイント練習は頑張って、あとは思い切って休んじゃうんですね。“ちょっと行ってきます”って出かけて歩いてたり、“プールに行ってきます”といいながら温泉に行ったり(笑)。モットーは、練習のときこそ結果を気にしないで挑戦してみる姿勢を持つこと。常にどうなりたいかをイメージする、練習もレースだとイメージして走る、絶対自分なら越えられるって思いながら走るんです」

42.195キロでかならず訪れる
“勝負する瞬間”

ランナーにはタイプがある。フォームやピッチの違いに始まり、トップ選手ともなれば、集団を引っぱりレースを作っていくタイプと、先頭ランナーの後ろにピタリと張り付き、スパートを狙う勝負師タイプなどさまざまだ。

「私は誰かに着いていくのは得意だったので、レースが始まると、自分に似てるランナーの後ろをついていく。大切なレースでは事前に、マークする選手を決めていましたね。単純に同じ身長の人とか、同じリズムやピッチで走れる人」

終盤にこそ実力を発揮するスロースターターの尾崎さんにとって、マラソンの醍醐味はやはり30キロ過ぎ、残りの10キロだ。

「楽しくなってくるのは、30キロ過ぎですよ。ハーフくらいからだいたいみんな動きだして、あと10キロとなると、この辺で仕掛けそうだなとか、結構呼吸があがってるなとか、様子を伺うんです。どういうタイプの選手なのか。攻めるスピードはあるのか、どういうスパートをするのか、などしっかりと見極めてから、自分がどうしたら勝てるのかを考えてました。現役時代を振り返っても、ランナーとして最も高揚する瞬間は、スパートする瞬間でした。もっとも冷静で、冴えてるんですよ。スパートした後、本当は振り向きたいんですけど、あえて振り向かない。自分を信じて走っていました」

スロースターターができるまで
10mを100m、1000mに変えるメンタル

42.195キロという長距離においても、レースの勝敗を分けるのは一瞬だと尾崎さんは言う。

だからこそ、その明暗を分ける一瞬にこだわり、その瞬間を見極めるられるよう努めてきた。そして、そんな意識を持つきっかけとなったのが、フルマラソン転向前、まだ彼女がトラック競技者だった時代の、とあるレースだ。

“苦しくなってからが速いランナー”、そんな自覚が芽生えたのもまた、このレース体験からのようだ。

「私は実業団(第一生命)に入ったときから、フルマラソンを走りたいと思ってはいたんです。けれど、“いまの状態では無理だよ”と指導者の山下監督から言われて、それでトラック競技でスピードを磨き、しっかりと準備してからフルマラソンに挑戦しようと決めたんですね。それで8年間を費やしましたけど、よく考えると長いですよね(笑)。結局、フルマラソンデビューは、2008年の名古屋国際女子マラソンでしたが、ランナーとしてのターニングポイントとなったレースは、2004年。鳥取で開催された日本選手権の5,000mでした。それまでの私は、遅れて第2集団のトップぐらいにつけてゴールする、先頭集団に一瞬の差で離され、結果を出せずにいたんです。その“一瞬離される”ことが、トラック競技では致命傷になるんです。しかも、一瞬のその差で開いた差は、そう縮まらない。となると、レース終盤は、追いつけないことが分かっていながらスパートするしかないんです。それって空しいですよね。でもその2004年の日本選手権のときは、トップ集団からは最終的には遅れてしまうんですけど、いつもなら前に出られず終ってる状況で、一歩前に踏み出せたんです。結果的にそれで自己ベストを更新しました」

それからランナーとしての意識が劇的に変わる。

「苦しくなった瞬間、最初は10mでしたけど、10mでいいから粘ろう。次にそれが100mへ、ゆくゆく1,000mへと変わっていくんです。これはトラックからフルマラソンに転向してからも意識は変わりませんでしたね。もし遅れてしまっても、ガクっと落ちるんじゃなくて、自分なりにできるだけ、もがく。その離れる、離される距離を少しでも縮めるんです。10mの積み重ねが、今後に活きてくる。もう、メンタルですよね。なんでこんなところで息があがるんだろうっていうところで、実際に息が上がることもありますよ。でも、そこを我慢すると、また楽になる。頭で“ダメだ”と思ったら絶対ダメなので(笑)。強い、早いランナーに必要不可欠なメンタルって、ダメだ、そう思う壁を自分で作らないことなんだと思いますね」

尾崎好美(おざき よしみ)
第一生命女子陸上競技部アドバイザー
神奈川県出身 / 出身校 相洋高校

自己ベスト
5000m 15分28秒55
10000m 31分47秒23
ハーフマラソン 1時間09分26秒
マラソン 2時間23分30秒

主な成績
2008年 第30回東京国際女子マラソン 優勝 2時間23分30秒
2009年 世界陸上ベルリン大会 2位 2時間25分25秒
2011年 第2回横浜国際女子マラソン 優勝 2時間23分56秒
2011年 世界陸上テグ大会 18位 2時間32分31秒
2012年 ロンドンオリンピック 19位 2時間27分43秒