2014.03.24 - 07:00

人間の限界まで丸裸にしてくれる42.195キロ 安田美沙子

(写真 村松賢一 / 文 村松亮)

3月9日に幕を閉じた名古屋ウィメンズマラソン2014。今年も変わらず、安田さんはこのレースのスタートラインに立っていた。これまでと違うのは、サブ3.5(フルマラソンを3時間半以内にゴールすること)という高い目標を掲げ、かつてないほどの走り込みを続けてきたこと。

同レースの2012年大会で自己新となる3時間44分を記録。昨年の2013年大会(その詳細は連載『安田美沙子 Road to Nagoya』で)は、大事な舞台と練習期間が重なり、練習量が例年と比べ激減。記録を狙うことなくFUN RUNでレースを走り、4時間14分という記録でゴールした。

2013年大会から半年と少し。当時の心境を彼女に聞く機会があった。
次の名古屋に向け、ハードなトレーニング期間に入る直前の頃だ。

次のレースで原点に返りたい。“サブ3.5”への挑戦

2013年9月某日。

「前回FUN RUNで初めてレースに出て、今までとは違う、42.195キロを体験することができました。記録を狙い、全力で挑戦したい気持ちはありましたけど、“記録を狙う=マラソンではない”。そんな走り方を知ることができました」

「でも、悔しかった」その気持ちは抜けないという。

「じゃあ私は次のレースにどう向かうのか。考えたときに“原点に返りたい”って思ったんです」

彼女の言う“原点”とは、サブ4を目指し、がむしゃらに頑張ってきた期間を指す。

「サブ4を更新したレースはとても辛かったのを覚えています。それと後半、トレーナーのMIDORIさんに「強くなったね」って言われて。きっとあれは、私が変わった瞬間だったと思うんです。私は今、3時間半っていう記録に達した自分を知りたいんです。サブ4とは比べられないぐらい、サブ3.5が難しいことは分かってます。でもそこに向かってる過程の時間ってどんなのだろう。結果は分からないけど、そこに向かう時間もきっと楽しいと思うんです。未知のことにチャレンジするのはわくわくするし、きっと練習以外の時間もキラキラすると思うんです」

(写真 八木伸司)
トレーナーのMIDORIさんは語る。「サブ3.5、正直はじめはtoo muchだと感じました。でも振り返ってみると、最初に想像していたよりも彼女は本当に走れるようになった」

焦る気持ちと、溢れる情報。自分を信じられるかどうか

2014年2月某日。

名古屋まで、残り2週間となった日。安田さんと久々の再会。昨年9月のインタビューから5ヶ月。この期間を彼女はどんな風に過ごし、トレーニングを重ねてきたのか。

「月間200キロ弱を続けてきました。最近は少しスランプ気味で、疲れが溜まっている状態ですけど、本格的に練習をはじめた昨年10月時点と比べると、20キロのタイムを20分ぐらい縮めることができました」

3日以上トレーニングを空けないよう心がけ、自主練も重ね、月間200キロ近い走行距離をクリアしてきた。

良い準備ができているからなのか。その日の安田さんから、これまでにない焦りのようなものが見て取れた。そんな状況をトレーナーのMIDORIさんはどのように捉えているのか。

「これまでの年とは比べものにならないほど、スタート地点からの傾斜は高いと思います。彼女はやることをやってきた。幸い、ケガもほとんどない。あとはレースまでどれだけの調整ができるかだと思ってます。調整にはいろんな要素があると思うんですけど、まずは気持ちが焦らないこと。やっぱり、いろんな情報が彼女には入ってくるんです。友人にランナーも多いですし、たとえ彼女が情報を求めなくても、ごく自然と入ってきます。それを全部取り入れ、不安になってほしくはない。しっかり休んで記録を伸ばしたというケースもあれば、ギリギリまで練習をして記録を伸ばしたというケースもある。とくに彼女は頑張り屋さんですからね。こんなこともやらなきゃ、あんなこともやらなきゃってならないように。これまでやってきた自分を信じてほしいと思います」

不安要素はゼロではない。でもどうやらサブ3.5にチャレンジする準備は整ったようだ。

レース前日のバックヤード。今回初めて、安田さんはランニングノートを活用した。その日の走った距離、ペース、場所を記す。MIDORIさんとの交換日記としても役立ったという。「このノートのおかげで自分の状態を常に確認できました。これがなかったらここまで来れなかった」

もうひとつの課題。はじめて自分ひとりでレースを作る

レース前日の安田さんは、穏やかな表情で落ち着いていた。疲労も抜け、レース2日前には単独で5キロ走を実施。レースペース(4分45秒〜50秒程度)で気持ちよく走れ、一時、4分台前半まで上げれたと話してくれた。

実は、今回のレースでもうひとつ、彼女には大きな課題が課せられていた。長年付き添ったトレーナーのMIDORIさんが初めて伴走をつとめず、彼女自身がレースを組み立てなければならない。たとえば、名古屋に入る新幹線では、レースタイムを何度も計算。1キロあたり何秒の猶予があるのか、どこまで遅れるとアウトなのか、イメージトレーニングを重ねたという。

レースに参加する1万4600人の女性ランナーたち。その中には国内外のトップランナーも含まれる。名古屋ウィメンズマラソンは、世界最大の女子マラソン大会であり、国際レースでもある。

名古屋ウィメンズマラソン2014本番当日、快晴。

レース序盤。安田さんは目標通りのペースで10キロ地点を通過。前半はむしろ、「ペースを上げ過ぎないように意識した」ほど彼女は乗っていたという。続く20キロ地点も目標通りのペースで通過。

それが25キロ地点を過ぎた頃、ガクンとタイムが落ちてしまう。

地下鉄を利用しながら、撮影スタッフはレースを追いかけた。

「25キロまでは本当に調子が良かったんです。腕に書いていた5キロ毎の目標タイムを完璧にクリアできていました。それが25キロ地点で1回足をつってしまい、立ち止まりました。右足の指をつったんです。落ち着いて息を整えて再開したら、次はそれをかばったのか、左のふくらはぎがつりました。この時、5キロずつ走っていこうと決めましたね。走って、伸ばして、走って、の繰り返し。40キロぐらいにまた右の指をつってしまって。指はよくつるんです。でも、ふくらはぎをつったのは今回が初めてでした」

ゴールタイムは3時間48分。サブ3.5に達せず、自己記録にも届かなかった。

「やっぱり甘くないですね。5ヶ月、あれだけ練習したらいけるかなって思ってました。でも、簡単じゃないなって。どうしてうまくいかなかったんだろうって、今は冷静に分析できてないんです。分からない」

スピードにのり、20キロ地点を通過する安田さん。レース中、終始冷静に自分を客観視できていたという。

どんな結果でも、レース後に自分を褒めてあげる

多くの関係者が見守る中、彼女は全力でゴールラインを踏んだ。ゴール直後、すぐにトレーナーのMIDORIさんだけが彼女に駆け寄る。数分、誰も介入できない時間だった。涙を流す彼女を抱きしめながらふたりは何かを話していた。

MIDORIさんはどんな言葉を彼女にかけたのか。はじめて自分が伴走を務めず、見守るカタチで臨んだレース。想いはむしろ、いつも以上に強かったはずだ。

「前日の夜に、私は彼女の部屋を訪ねて、マッサージをしました。そのときにも同じような話をしたんですね。これまでも、去年も、そして今回の練習もレースも、もちろん頑張ってきたし、周りの協力もたくさんあった。この与えられている環境は、すべてにおいて感謝すべきなんだと思うよって。だから、どんな結果だとしても、みなに感謝し、そして自分自身を褒めてあげなさいって。彼女って、良くも悪くも頑固なんです(笑)。目標をここって決めたら、それを達成できないと自分自身では認めない、認められない部分がある。あれだけ走ってきた。やってきたことは事実ですし、それを誰よりも分かっているのは彼女自身だから。そこを汲むことが大切。そんな話をゴールしたばかりの彼女にも同じように伝えました」

「悔しいけど、全力で走った」レース後の安田さんの言葉で、最も力強い言葉だったように思う。

安田さんはこれまでにない練習を重ね、身体を酷使してきた。そんな自分を褒めてあげれなかったら次はない。そうMIDORIさんは続ける。

「自分のことを認めてほしかった。認めるのと諦めるのとは違います。認めたうえで、じゃあ今回、何が足りなかったのか、それを冷静に考えて次がある。何がいけなかったんだろうって、今彼女は思っていると思うんです。疲れは抜けていたと思います。つりやすいのは前からです。もちろん、課題のひとつですね。でも、あのペースで走っているランナーに、無痛で走れている人は少ないと思う。No pain,No gain(痛みなくして、得るものなし)ではないですけど、ある程度のレベルのものを得ようと思ったら、それなりのリスクはともなうんです。あれだけやってサブ3.5に届かなかった。これは彼女にとって大きな前進だと思うんです。このレースで彼女は大きく成長できたと思いますね」

No Pain,No Gain(痛みなくして、得るものなし)。この言葉と似たハワイのことわざに、No Rain, No Rainbow(雨が降らなければ、虹もできない)という言葉がある。安田さんがはじめてフルマラソンを走ったホノルルの地で出会った言葉。そして今回のレースで彼女が自らは腕に刻んだ言葉でもある。この言葉を腕に書いた理由とは「原点に返りたい」という気持ちの表れからだったのかもしれない。

レース後、数時間後の控え室。手に書いたメッセージは消えかかっていた。

「次の目標は正直まだ分かりません。でも来月にハーフマラソンがあります。5月にもハーフにエントリーしていて。私はこれから、もっとコンスタントに走っていきたいなって思うんです。前にMIDORIさんに言われました。“ランナーってずっと走っているんだよ”って。これまでの私はメインレースに合わせて数ヶ月前から本格的に走りを再開して、それ以外の期間は走るペースはまばらで、空いてしまうこともあった。でもこれからはライフスタイルの中に走ることをもっと取り入れていきたい」

レースを終える毎にランナーたちの“走ること”は変化し、成長するのだと思う。レース翌日、安田さんは自身のブログに“42.195キロ”という距離についてこんなことを書いている。

「(40キロを過ぎてからの)2.195キロは、人間の限界まで丸裸にしてくれる」

42.195キロとは奇妙な数字であり、また魅力的な数字なのだと思う。とくに40キロ+2.195キロ、なのだろう。

彼女のサブ3.5は叶わなかった。簡単でなかった。でも簡単ではないからこそ、多くの人がマラソンに魅了される。そして、彼女もそのひとりなのだと思う。

安田美沙子(やすだ・みさこ)

タレント、女優。「名古屋ウィメンズマラソン2012」では自己最速タイムの3時間44分56秒(ネットタイム)を記録。3月9日に開催された「名古屋ウィメンズマラソン2014」では、前年同様、大会を応援するオフィシャルサポートランナーに就任。

MIDORI(みどり)

ナイキランニングアドバイザー。国際大会等での豊富な実績を背景に、的確で親しみやすいランニングスタイルを指導。フルマラソンのベストタイムは2時間59分。また、100キロウルトラマラソンでの優勝経験をもつ。 管理栄養士の資格を活かし、栄養面におけるサポートも行っている。ナイキランニングアドバイザーとして全国でランナーをサポート。タレント・女優の安田美沙子をはじめ、著名人のランニングトレーナーも務め、的確な指導で完走・記録更新へ導いている。

【Road to Nagoya2013アーカイヴ】
♯01 脳と体に長距離を覚えさせる
♯02 ハートを強くするために
♯03 一歩先へ ランニングとどうつき合っていくか
♯04 かならず笑顔でゴールする
♯05 マラソンに終わりはない