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(文 村岡俊也 / 写真 藤巻翔・松田正臣 / 動画 TOTAL TIME 8:49 記事最下段

チクセントミハイという心理学者によれば、成長にもっとも適した状態とは、「自分の能力に見合った挑戦に没頭しているとき」。ヤマケンは、2008年に「長谷川恒男カップ日本山岳耐久レース」に優勝して以来、徐々に距離を伸ばし、より険しいレースを選択し続けて来た。日本を代表する選手を捕まえて成長期と称するのは気が引けるが、ヤマケンはまだまだ限界を迎えていない。このアンドラでのレースもまた、現在の「自分の能力に見合った挑戦」だと感じているのだろう。目標タイム30時間という、未知のレースに「没頭」するための合図が鳴らされる。

(写真 左・右 松田正臣)

長いレースの中で、ゴールの次に好きな瞬間と語るスタート。気持ちの昂りが心地よいのだろう。気温13℃とやや肌寒いが、トレーナーによれば「ビカビカに仕上がった状態」。機嫌もすこぶる良い。7時ちょうどのスタートは、笑顔で手を振りながら走り出した。

20km弱の第1エイドで選手が走ってくるのを迎えたときには、靴下の汚れでそのハードさが忍ばれた。湿地帯を抜けてきたのであろう。飛ばしている地元選手をよそに、まったくのマイペースでヤマケンは戻ってくる。息も乱れず、汗もほとんどかいていない。当然のことのように振る舞っているが、もうすでに2時間近く走っている。淡々としていることに驚かされる。第2エイド付近、15分ほど歩いた地点でカメラを構えていると「あれ? こんなところで嬉しいね〜」と答えつつ、「川で転んじゃったよ! テンション上がってます!」と余裕のハイタッチで通り過ぎていく。

(写真 松田正臣)

序盤の良いペースに変化が訪れたのは、40km手前。想像していたよりも早く、膝に痛みが来た。

「登りで違和感が出てきて、これはおかしいなと。膝の回りの腱が引っ張られている感覚があって。今年の富士山(UTMF)もそれでリタイアしていたから、これはちょっとヤバいなって。その区間は本当にゆっくり走りました。3分登ってはストレッチして。下りでも3分に1回は止まってました。正直に言って、どうしたもんかなって困りながら走ってましたね。いつもの純粋に楽しむっていうことが、前半はできなかった。どうやってこの局面をクリアしていこうかなと、そっちに引っ張られてしまった」

膝を気にする素振りは周囲にも伝わっていた。第3エイド付近、スキー場を利用したコースは、長い登りが続く。レース中に立ち止まってはストレッチする姿は、数年来ヤマケンを撮影してきたカメラマン藤巻翔曰く、「初めて見る姿」だった。図らずもレース序盤で未知の難敵に対峙することになる。

(写真 藤巻翔)

「僕ね、苦しんでゴールって嫌なんですよ。トレイルランニングって、景色を見て、楽しくピクニックみたいな感じで走りたい。本当はそれで完走するのが目標なんですけど、でも、今までも気持ちよく完走したことなんて、実は去年のピレネーで優勝した時くらいしかないんです。最後まで自分で満足いったレースって。やっぱり今回も痛みが出た。次の区間も痛くて、ストレッチしながら走っていたんです。テーピングが効いたのと、それからもうひとつ、昔すごく痛みが出たときに、気持ちで、行く!って決めたら、痛みが治まったことがあるんです。過去の行ける!っていう感覚を身体が覚えていて、それを引っ張り出したような気がしますね。登りの痛みはなんとか消えたけれど、下りはやっぱり痛いので、ストックを使って、急な下りはほとんど走らない。足を置く位置だけに注意しながら、ストックを使って。だから上半身も腹筋も、いつもとは比べ物にならないくらい使っている。弱いところを全力でカバーするっていう対処の仕方でレースに集中しました」

走っているときには、その場の状況に合わせながら、「次のエイドでは何をしゃべろうかな」と考えるのだという。「何か面白いこと言ってやろう」と。取材陣始め、膝を気にしてしまう周囲の目に対して、エイドでは「メロンうめえ!」と大きな声を出し、「いやー、コース半端ないよ!」と空気を変える。その声は、膝を気にする必要などないことを周囲にも、自分にも伝えている。登りで順位を上げて、痛む膝を庇うためか下りで少し順位を落とす。その繰り返しながら、本人は順位を一切気にしていない。エイドでも訊ねることはしないし、誰も口にしない。ただ、夕方にかけて少しずつ順位は上がっている。雨の夕方にエイドから離れた場所で待ち受けていると「もっと登りたい!」と明るく叫ぶ声が聞こえてきた。

「本当に激しいコースなんですよ。ここ、直下りするの? ここ、直登する? っていう感じ。そうか、巻かずに行くのかと。僕はフラットなコースより困難なところの方が得意なんだけど、一瞬ウッて思いましたね。まあ、なかなかクレイジーな感じ(笑)」

アップダウンが激しいからこそ選んだアンドラのレースだったが、想像を遥かに超えている。ひとつ登り、ひとつ下る。その度に「感動する」のだとヤマケンは言っていた。レース前には大袈裟に聞こえたその言葉が、説得力を持って響くのは、この壮大なる風景のせいか。エイド付近で選手が走ってくるのを待つ間、眼下に見下ろす森林限界のラインにため息がでる。この崖を登ってくるのかと。

(写真 藤巻翔)

「やっぱり苦しい森の中を抜けて、樹がなくなって、高い山の上に出たときにはひとつひとつ達成感がある。レースは終わりじゃないけど、自分を褒めてあげて感動して、それでまた下っていく。日本に比べて山は大きかったですし、最高でしたね。夜に向かっていくときには雲が取れて、まさかの満月が出てきましたから」

エイドの前後には、身体が自然に動き出すのだという。なぜなら、そこに待っている人がいるから。「早く会いたいなとか、早く顔を見せたいなと思うんです」。100マイルという長距離レースではサポートが選手の状態に大きく左右する。身体面においても、精神面においても。今回、他の選手のサポートは入っていないエイドに、3時間のトレイルを歩き、サポートスタッフが入った。すり鉢状になった谷の下にポツンと建てられた避難小屋で、ヤマケンがやってくるのを待っていると、丘の上からチラチラとヘッドライトが近づいてくるのだという。時刻はすでに深夜0時を回っている。21時を過ぎた辺りで「もういつもなら寝る時間じゃないか」と笑っていたヤマケンは、引き続き、明るい表情のまま帰ってきた。「おおー!」と、お互いにただ声が漏れてしまうのは、レース前の「必ず行くから」という約束が果たされたからだろうか。

「僕は自分自身に力はないんですよ。ただ、人から力をもらう能力が、ほかの人よりはあるのかもしれない。今回も夜のセクションで待っていてくれて、本当に嬉しかったですよね。嬉しいし、心強いし。あそこまで行く大変な道のりを僕は知っているわけで、ここに来てくれたんだ、しかもこんな時間にって。もう堪らなかったです」

トレランは、孤独と人との関わりが交差する希有なスポーツだ。多くの人々のサポートを受けなければ完走することすら難しいが、走るのは常にひとり。夜のセクション最後のサポートを受けて、満月の世界へと踏み出していくヤマケン。そこで、進化した自分自身と出会うために、わざわざアンドラまでやってきたのだ。おそらくは、誰もいない山岳地帯で誰にも聞かれない絶叫を繰り返しながら、ヤマケンは眠らずに走り続ける。

(山本健一アンドラドキュメント#02 TOTAL TIME 8:49 |撮影 松田正臣・よつもとしゅんすけ)

 

【山本健一 アンドラ170km・未知への挑戦 #03 につづきます】

▶山本健一 アンドラ170km・未知への挑戦 #01スタートラインに立つ

  • 山本健一

    山梨県出身。高校時代は山岳部に所属しインターハイで優勝。

    大学ではフリースタイルスキーに熱中。
    現在は高校の体育の教師として山岳部の顧問を務る。
    2008年の日本山岳耐久レースで優勝し、一躍注目を集め、2009年はツールドモンブランに挑戦し、8位と健闘。2012年 グランド・レイド・デ・ピレネー優勝。

  • トレイルランナー山本健一の活躍を支えるスウェーデン発のウェアブランド『HOUDINI』は、フリース素材のアンダーウェア開発のパイオニアであり、機能美を優先するデザイン哲学により、世界中のエクストリームスポーツアスリートの高度な要求に対応したスポーツウェアを開発し続けています。その経営方針は、自然環境に不可を与える生産を行わず、持続可能なビジネスを目指すというもの。全てのプロダクトは開発チームと、スポーツのスペシャリストであるHOUDINI フレンズによりテストが繰り返されています。トレイルランナー山本健一もそのHOUDINI フレンズの一員です。
    http://houdinisportswear.jp/