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はじめまして。堀井隼弥と申します。

自分のスポーツに対する考え方を整理するために、ブログをはじめてみました。
現在、出版社(スイッチ・パブリッシング)に勤務する神奈川県出身の35歳。
これからのスポーツ人生をどう送るかを想い、日々の暮らしの中でスポーツの魅力を再発見する。
スポーツをする、観る、読む、考える、をテーマに綴ります。

まずは自己紹介も兼ねて、自身どのようにスポーツに触れてきたかを振り返る。
とりあえず今回は、0歳~18歳まで。スタート。

■幼稚園

記憶に残っている中で、 一番最初に触れたスポーツは水泳。
おそらくスイミングスクールに通いはじめた。
3歳の頃に喘息を煩ったことも、
水泳をはじめた(通わされた)ひとつの理由だった。
気管が鍛えられるし。それとNHKの相撲の中継を見はじめたのもこの頃かも。
おじいちゃんと一緒に。

家族で毎年冬に栂池高原にスキーへ行きはじめたのも、
ひょっとしたらこの辺りかもしれない(高校生くらいまで続く)。

水泳と相撲、そしてスキー。いい滑り出しじゃないか、自分。
相撲はわんぱく相撲ではないけれども。

ひとつ忘れていた。出会ってしまったんだ、プロレスに。
記憶が正しければ、この頃はテレビで夕方に放送していたんじゃないかな、
新日本プロレス。地元のスーパーで開かれた上田馬之助のサイン会に行って、
泣きながらサインをもらった事実がある(しかもまだ持っている)。

■小学校


相変わらず、水泳は続けていた。
その頃、まわりはサッカーというよりも、
まだ少年野球が幅を利かせていた時代。
しかし自分は野球もサッカーも、のちに出会うバスケットボールにも、
まだ触れてはいない。相変わらず、相撲中継は見ていたけれど。

ただ、マラソン大会にしろ運動会のリレーにしろ
走ることは好きだったような気がする。
高学年に体育でやったポートボールは、すごく楽しかった記憶がある。

それが、その後バスケットボールという競技を
選んだことに繋がるのかなぁ。
そして、放課後はドロケイに没頭していた。無駄に鍛えられる敏捷性。
これといったスポーツの本質に触れぬまま、中学校を迎える。

水泳、相撲、スキー、そして、プロレス。
自分のスポーツのバックグラウンドにハラハラしてきた。
そうそう、小学校のころ、初めてのプロスポーツの観戦も行った
(記憶に残っているなかで)。

プロ野球の大洋ホエールズ対ヤクルトスワローズ@横浜スタジアム。
階段を登って、客席に出た時の眩しい感じや大声援は記憶に残っている。
興奮したんだろうなぁ。今でもその感覚は、すごく好き。
現場好き(観戦好き)。

■中学校


中学校は、わりと……いや、かなりのスポーツ学校だった。
入学してすぐ、どの部活にするか色々と見学した。
いわゆる仮入部。確かハンドボール部やテニス部、
そしてなぜかバスケットボール部にもいった。

ハンドボールは、試合もやらせてもらってかなり楽しかった記憶がある。
テニスは、そんなに。結局選んだのは、バスケットボールだった。
なぜ選んだのかは、不思議と本当に覚えていない。
スラムダンクブームの前だったと思う。

ようやく、スポーツの本質にふれた。
試合、練習、勝敗、戦術、基礎、チームプレー、
朝練、遠征、スタメンと控え。
今思うと、バスケ部の顧問の先生は、すごく戦術派だったのだと思う。
ディフェンスは、オールコートのゾーンプレス、マンツー、ゾーンと
時間帯や状況、相手によって常に変化させて先手を打っていたし、
オフェンスもサインプレーや速攻のフォーメーションなど色々と揃えていた。
バスケットボールの基本を覚えられたいい3年間だった。

NBAもブームで、ドリームチームがバルセロナ五輪で圧倒的、
かつ華麗なプレーを披露し、そのとき好きな選手は、
いまでは少し気恥ずかしいがデビット・ロビンソン
(サンアントニオ・スパーズ)。今思えば、なんでかさっぱり分からない。
水泳(小学校でスクールは卒業)、相撲、スキー、プロレス、
そしてバスケットボール。

コアができた感じ。そうだ、プロレスは、
新日本プロレスから全日本プロレスに興味が移ったっけ。

■高校


3年間バスケットボール部に在籍。純粋に精進しました。
スラムダンクブームも加熱、NBAもいい感じで盛り上がっていたと思う。
いっぽう、様々なスポーツに目がいった最初の時期でもある。

この頃、おそらくWOWOWで放送していたセリエAをみて、
サッカーを好きになりはじめた。
昼食後や体育の授業で、それを試すかのようにやったっけ。
サッカーW杯アメリカ大会も確か高校生のとき。
ちょうどJリーグも開幕し、地元のスタジアムにも観に行った。
ブームといえば、ブーム。
体育の授業でやったラグビーや柔道もルール含めてかなり楽しめた。

バスケットボールを続けていたので、
スポーツ的な動きや勘が働くようになったのだと思う。
忘れてはいけない、ベンチプレス(生涯の友)も高校からだ。
部活ではじめて、引退後も野球部やラグビー部の友達と放課後に集まって
ベンチプレス会を開催した。

変態だ。
相撲とプロレスにも本格的にハマりはじめた。
相撲は、大関を陥落した霧島をずっと応援していた。
場所がある日は、新聞で全力士の勝敗をチェックしていた。
プロレスも、全日、新日、FMW(大仁田全盛期)、
WING、リングス(前田日明全盛期)などなど。
全日とリングスは、2カ月や1カ月に1回のペースで
会場に足を運んだ。
もちろん、第1回のNKホールで開催したバーリ・トゥード・ジャパンも行った。
バスケットボールを中心に、
みるものやるものスポーツの環境が整い出した、そんな高校時代だった。

19歳~29歳に続く。