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3月3日午前4時起床。この日はいよいよレース当日。予想されたような明け方の寒さはなく、逆に日中の暑さが懸念されます。これまでの3日間だけでも多くの出会いと濃密な経験をして満足してしまった感もありますが、ここコッパー・キャニオンに来た一番の目的はもちろんレースを走りきることです。
このウルトラマラソン・カバーヨ・ブランコは、距離にして50マイル(80km)、制限時間14時間、正確な獲得標高は明示されていませんが、日本の一般的なトレイルレースに比べると比較的平坦な、いわゆる”走れる”コースということができます。レースの制限時間は14時間ではあるものの、66km地点で10時間の関門があります。残りの14kmは歩いても間にあう時間的余裕がありますから、事実上66km地点を10時間で通過できるかどうかが、完走を左右することになりそうです。

コースはY字のルートを隈無く巡る 折り返しが多いのでトップランナーの走りを見ることもできるのが魅力

レース直前 バラエティに富んだランナーたち

スタート時間は6時。しかし、スタートラインへ何分前に集合といった取り決めはなく緩やかに三々五々ランナーたちが集まってきます。特筆すべきはそのランナーたちのバラエティー。集まった約600名の参加者の年齢は10歳くらいから上は70歳代まで、西洋人、東洋人、メキシコ人、タラウマラ族、もちろん男性も女性も入り乱れています。日差しを避けるためか真っ白な最新のコンプレッションウェアとハイドレーションで身を固めた外国人ランナーもいれば、ロングスカートの民族衣装で走るララムリの女性もいます。もちろんその足元はワラーチ(タラウマラ族のサンダル)。これほど多様なランナーが参加するレースは世界広しといえどもこのウルトラマラソン・カバーヨ・ブランコだけではないでしょうか。

スタートの印に紙テープを手首に巻いてもらい、この3日間で顔見知りになったランナーたちと互いの健闘を祈りながら抱擁し、握手を交わしているうちに、気分が高揚して行くのがわかります。そしておもむろにレースがスタート。ウルトラトレイルレースというもうひとつの旅が始まりました。

日本から参加した仲間 主催者のマリアと一緒に

ララムリの走りを目の当たりにする

ぼくにとっては昨年のSTYに続いて2度目の50マイルレース。しかし、前回の制限時間が26時間だったのに対し、今回はほぼ半分の14時間。最後まで脚を残し、走り続けるのが課題です。従って無理をせずゆっくりスタート。登りは無理せず歩き、下りは全て走る、フラットなところは出来る限りというのが自分に課したルールです。

やがてグアダルペまでの最後の山を登っているところで、前方から歓声が聞こえてきました。トップ集団が折り返して来たようです。見えて来たのは飛ぶように走るララムリのランナー。蹴り脚が高く上がり、ほとんど踵がお尻に付くような格好です。胸を張って背筋はぴんと伸び、全く力みのない走り方。着地は自然なフォアフットでした。何人かのララムリに続いて、2006年チャンピオンであるアルヌルフォの姿も。淡々とした表情からは調子の善し悪しは読み取れませんが、上位にしっかりつけています。そして、我らが石川弘樹選手、やはりララムリと同じようにぴんと伸びた上体が美しいフォームです。余裕の表情は後半の追い上げを期待させてくれました。

トップで折り返して来たのはメキシコシティの新星サンチェス

想像どおり美しいララムリのランニングフォーム

石川弘樹選手は最初の折り返しを10位以内で通過した

充実のエイド

グアダルペでは、半分に切ったバナナを2,3個頬張りますが、持参のハイドレーションに余裕があるので水のボトルはパスしました。今回のエイドはバナナ、オレンジ、ボトルに入ったミネラルウォーター、ナチュラルなエナジーバーなどとても充実しています。メキシコの奥地で開かれる大会ということでエイドの状況を心配していたのですが、杞憂に終わりました。ボランティアも十分な人数で、こぞってランナーの世話を焼いてくれます。ただひとつ残念だったのは、トレイルに水のペットボトルが散乱していること。これまでのレースの経緯や、メキシコの事情はわかりませんが、このあたりのマナーは徹底して欲しいところでした。

水はペットボトルで衛生面は安心だがゴミの問題も

ボランティアの人数も十分で みなフレンドリー

思いがけない登り

橋の分岐にも戻ってくるところまでは、あまり脚も使わず良いペースで進んできましたが、ここからは未知のコース。緩やかな林道を登って行きますが、なかなか果てが見えてきません。折り返しまでは9km、このまま登り通しでは前半で脚に来てしまうかも。フラットな高速レースのイメージを持っていたので、事前の計画に狂いが生じ始めます。やがて林道からシングルトラックのトレイルへ。丸みを帯びた巨大な岩壁が左右に並び、ところどころ背の高いサボテンが生えています。標高が上がるにつれ、空気は澄み渡り、どこからから甲高い鳥の鳴き声も聞こえてきました。登りが計算外なら、この美しさも計算外。登り通しでキツいのですが、思いがけなく美しいトレイルと澄んだ空気が嬉しくなり、ぐいぐい押して行くことができます。

むしろキツくなったのは下りでした。約9kmを下り通し。けれど周りのランナーと比べてぼくたち日本人ランナーは下りが圧倒的に速いことに気づいていたので、ここで稼いでおきたいと欲が出てきます。結果、下りにも関わらず心拍を上げ過ぎ、ここで一旦身体が終わってしまった感じにとらわれました。

標高が高くなるエル ナランホへのトレイルはコースで一番美しい部分

気持ちよいシングルトラックを駆け抜ける

冷たい川でクールダウン

ここからは我慢の時間が続きます。真昼に近づき気温はぐんぐん上がって行きます。おそらく日向の最高気温は40℃を超えているでしょう。再びウリケの町を通り過ぎ、日差しを遮るもののないフラットで埃っぽい林道を進みます。登り以外はなんとか走りきり、40km地点であるララーヤの橋の袂まで。ここまではどうにかやってきましたが、暑さと脚の筋肉の張りで身体は悲鳴を上げています。しかもここからアリソスの果樹園までは、起伏が激しく日差しを遮るものもない最難関のエリア。

そこで少し時間を使ってしまうものの、橋の下を流れるウリケ川に身を沈めることにしました。張ってしまった脚をどうにか復活させようという目論見です。トレッキングの時には冷たくて足先しか浸けることのできなかった川の水に腰まで一気に入りますが、全く冷たさを感じません。それだけ脚と身体が熱くオーバーヒートしているということでしょう。脚の冷却効果は期待通り。それどころか全身の疲労感がみるみる消えて行きます。川の水が脚の張りだけでなく、上がりすぎた全身の体温を下げてくれたおかげです。体温の上昇がいかに体力を奪うか、体温のマネジメントがいかにレースに影響するかを身を持って知ることができました。

ウリケ川に浸かってララーヤ橋をのぞむ この切り替えが後半の粘りに繋がった

励ましの言葉を覚える

復活した身体と気持ちで挑んだアリソスへの道でしたが、ここの苦しさは想定を超えていました。先行していた仲間のランナーが折り返してくると「ここが一番苦しいけど頑張って!アリソスまで行けばぜったいリカバリーできるから」と鼓舞してくれます。試走の時とは斜度が変わってしまっているんじゃないかというキツい登り。傾いてきた太陽もジリジリと照りつけてきます。結局ここではエイド以外で初めて腰を下ろして休んでしまいました。けれど、ここが苦しいのはどのランナーも同じです。すれ違うランナーが「Good Job!」と声かけてくれます。メキシコ人やスペイン語圏の選手は「Vamos!」。これがどれだけ励みになったか知れません。気がつけば自分も他のランナーに「Good Job!」「Vamos!」と声をかけ、それが自分自身を鼓舞することにもなっていきました。

仲間の言葉通り、カバーヨ思い出の地アリソスでしっかりリカバリーをとったら、あとはもう関門に間にあうように押していくだけでした。なんとか66km地点を10時間ぎりぎりで通過。その後は歩いても間にあう計算でしたが、今回の自分の課題であるできるだけ走る、を実践してどうにか12時間46分でゴールすることができました。

一番の難所を超えてたどり着くアリソスのエイド ここから後半戦に挑む

互いに「Good Job!」と声を掛け合いながら進む

初日に出会ったエル・セルベッサ レースでは馴染みの顔が励みになる

一緒に走るという究極のコミュニケーション

大会の結果としては、新星として登場したサンチェス選手が6時間33分33秒で初優勝。アルヌルフォは脚を痛めて残念ながらDNF、我らが石川弘樹選手は6時間56分ジャストで5位入賞を果たしました。そしてぼくら8人の日本人チームからは近藤みどりさんが女子4位になった他ぼくを含めた合計7名が完走、そのうち3名はワラーチでの完走でした。度重なるハンガーノックでリタイアしてしまった仲間はリベンジを誓っていました。

はじめての海外レースに参加して感じたこと、それは共に走るというシンプルな行為はどうしようもなく強く人々を結びつけるということ。走るという独りの行為を突き詰めていくと、ふと、その傍らにいる人とすっと意識が通じ合うような状態が訪れることはありませんか。すれ違うランナーと目配せをするだけで、「お前もキツいよな、オレもキツいけど、ここを一緒に乗り切ろう」と一瞬で伝わってくるような状態です。それは、言葉の通じない、背景となる文化も全く異なる海外のランナーと走っても同じでした。無論、旅をともにした日本人のランナー仲間とも。今回のウルトラマラソン・カバーヨ・ブランコは、そうしたランニングが生み出す化学を証明する場であった気がします。何しろここに集まったランナーは80kmも走るためにだけに、こんなメキシコの奥地に集まったのですから。

アルゼンチンのランナーは彼の地のトレーニング事情などを教えてくれた

ルナ・サンダルの生みの親ともいえるマヌエル・ルナも健在だった

行き帰りの列車でも一緒になったランナーはとてもフレンドリーだった

後半戦抜きつ抜かれつとなった女性ランナーはワラーチで完走

一緒にゴールした日本人の仲間 旅を通じて絆を深めた

各チェックポイントを通過するたびに巻かれる紙テープ 外してしまうのが少し名残惜しい

『sports travelling メキシコ コッパーキャニオン #01 無名のグリンゴが描いた夢のレース』
『sports travelling メキシコ コッパー・キャニオン #02 ララムリと出会う』

trailrunner.jpでも山田洋さんの旅の記録が掲載されています。併せてご覧下さい。
#1 ララムリの里、ウリケの町
#2 ピノーレの秘密とララムリの食事

(写真・文 松田正臣)