生きるために走ってます——

そう言い切れるほど、走ることで人生を謳歌している人は数多くいます。ランニングの価値観を広げていく連載オフビートランナーズ#02は、まさにそんな生きるために走っている人を紹介します。

オーストラリアの先住民アボリジニーに伝わる世界最古の木管楽器、ディジュリドゥ。その奏者である“GOMA”と言えば、日本のみならず、世界的にも認められたミュージシャンのひとりです。

そんな彼は、2009年11月26日、首都高速での交通事故によって、過去の記憶の一部を失い、現在も記憶が定着しにくいという障害に陥ります。はじめは歩くことも、楽器を演奏することも、そして、一部の仲間たちのこと忘れてしまったというGOMAさん。それが、事故後まもなく、突然、絵を描き始めるのです。

自分が何者であるかわからず、ディジュリドゥを手にすることはおろか、それが楽器であることも理解できず、さらにこれまで絵なんて一度も描いたことのなかった彼が描きはじめた絵とは、まるで、アボリジニーアートとも見て取れる精密な点描画でした。

「娘の絵の具と筆で、突然うわー!って書き出したらしい。描かないともの凄く脳が騒がしくなる。絵を描いてると、心が落ち着いてくるんです。でも、なぜ描き続けているのか、正直理由は分からへん(笑)」

交通事故から約1年がたった2010年夏、GOMAさんの初の個展『記憶展』が開催されました。絵を目にした多くの人々は、人間の脳が導く神秘みたいなものを目の当たりしたのです。

”走ること”をモチーフにして描かれた作品と、GOMAさん。

そもそも、GOMAさんが走り始めたのは、リハビリの一環からでした。事故後、昨日のことはおろか、5分前、10分前のことも覚えていられず、毎日メモを取り、必要な場合はビデオカメラをまわしていた彼は、同時にワークアウトをはじめました。

それは身体の疲れや筋肉の痛みは、身体を動かしたという確かな証として翌日に残すことができるからです。 


GOMA(ゴマ)1973年1月21日生まれ、大阪府出身。ディジュリドゥ奏者・画家。09年交通事故にあい、高次脳機能障害の症状が後遺しMTBI(軽度外傷性脳損傷)と診断されミュージシャン活動を休止。事故後まもなく突然緻密な点描画を描き始め、2010年夏に行われた初の個展『記憶展』を開催。その後も懸命にリハビリを続け、2011年初夏、野外フェスティバル「頂」にてシークレットゲスト出演として出演し、FUJIROCK FESTIVAL’11にも出演。奇跡の復活を成し遂げた。公式HP

スポーツが人生を支えている
運動が脳と身体を活性化させた

今の僕の生活には、スポーツは欠かせないものになっています。モットーは1DAY 1SPORTS。1日やらないだけで、身体も脳も、うまく機能してくれない。事故から3年弱たった今、だいぶましになってきましたけど、しゃべることすらも、運動するとしないとでは違うんです。そして何より、記憶の定着力。走った後は自分がやったこと、食べたもの、書いた絵、どんなことでも記憶が定着しやすくなるんです。

最近聞いた話なんですけど、僕らみたいに脳損傷をしてしまった人間には、あまり速く走りすぎるのも、脳には少し負担がかかるみたいです。早過ぎず遅過ぎず。だから普段走るときは、10キロ程度をキロ7〜8分のペースを維持するようにしています。そもそも、脳の細胞っていうのは、一度潰れてしまった所は、もう元には戻せない。だけど、“生きてる細胞と生きてる細胞をつなぐ”システムはある。その細胞同士を繋ぐ神経繊維をシナップスと言うんですが、そのシナップスを増幅させることはできるみたいで。

その原動力として、今、一番効果的だと言われてるのが運動なんだそうです。

僕は、日常的にランニングやヨガをやっていますが、確実に、やる前とやった後とでは身体の動きも脳の働きも違います。人間の脳っていうのは、スポーツをして身体を動かしてあげるとかならず答えてくれます。それが最近になってようやくダイレクトに分かってきました。むしろ、走らないと普通に生活ができない。僕の場合はもう、生きるために走ってるんですね。障害を抱えているからこそ、運動が脳や身体に与える効力を普通の人以上に実感できるんです。

身体の記憶
ヨガのポーズも楽器も身体が覚えてくれた

お医者さんからずっと、身体の記憶っていうのがある、と言われてきました。脳が傷ついても身体の記憶を引っぱり出す訓練をすると、もっと楽に生きられるようになると。それが5年後なのか10年後なのか分からないけど、絶対にできるようになる。はじめは「良く分からへんな・・・」そう思ってました。

でも、楽器を演奏することができたのも、もともとやっていたヨガのポーズがまたできるようになったのも、その訓練のおかげだった。それは頭で考えてやったというより、徹底的に何百回も繰り返し身体で覚えさせて、ふと感覚的な動きに任せたときに突然できるようになった、みたいなんですね、僕は覚えていなくて、家族の話でしか知らないんですけど(笑)。

僕はずっと、脳が身体を動かしているのかなと思ってたんですけど、今の感覚的には、脳も含めて身体の一部。壊れているからもうダメなんじゃなくて、このまま続けていけば、新しい自分の脳ができあがって、もっと面白いカタチになっていくんじゃないかなって、最近はそう思えるようになってきました。

「この身体で生きていかなあかん」
ようやく受けいれられるようになった

事故を笑って話せるようになったのは、実はごくごく最近のことです。ずっと「この身体で生きていかなあかん!」って、思い込ませようしてきましたけど、やっぱり、あの日に戻れたらじゃないけど、今でもどこかで、そういう思いがあって、それが全くなくなったっと言ったら嘘になるけど、そうした自分への問いかけがひとつの山を越えた、そう感じれるようになったんです。

それでやっと次に意識が向かえるようになってきた。やっぱり、ヨガとかランニングとかの効能を僕はすごく体感してるから、運動の大切さを自分が身をもって体感できている。そうすると、単純に良いことっていうのを、人に教えたくなるんですよ(笑)。

そのためには自分が資格を持つとか、人に教えられる人間にならないといけないんですけど、何せヨガのポーズの名前も全然覚えられない・・・(笑)。その辺ちょっと壁ですけど、ひとつの成果として、音楽の活動も少しずつ継続してできるようなって、突然書き出した絵も活動が広がっている。事故前の自分がどういう生き方をしてたのかは、よく分からないけど、今の自分の、この身体でできるライフスタイルみたいなのが見えてきたんです。

後はもう、そこをもっと高めていきたい。この3年弱で、自分の進歩が記憶として蓄積できるようになってきた。これが自信になっているんだと思いますね。昨日の自分、何日か前の自分と、今の自分を比べることができる。この当たり前のことが、まずできなかったから。

事故後から、記憶の代わりにずっと絵と日記を書いていて、それを読んでいると、最初の方はもうかなり苦しんでる、もがいている文章ばかりで。それが少しずつ、光が見えてくるような文章になってきた。事故によって偶発的にも、必然的にも、やりはじめたことがつながって、応援してくれる仲間や家族がいて、今、みんなに支えられて生きている、これってすごいことだなと思っていて。感謝の気持ちでいっぱいなんですね。

【オフビートランナーズ アーカイヴ】
#01 小松俊之(OnEdrop Cafe代表)競うだけがランニングじゃない

(スチール撮影 松本昇大/ムービー撮影 津本栄憲/ 文 村松亮)