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道路が極端に少ない極北では、道から離れた湖、氷河、山、村へ入るのに、小型飛行機ブッシュプレーンが、空飛ぶタクシーとして、重要な役割を果たしている。
その数は少なくはなく、耳を澄ませば、空の向こうから、ブォーンと低音をたてながらやってきて、上空を横切っていく飛行機にすぐ気付くだろう。
普段は耳障りに感じる人工的な音も、文明から離れた荒野で旅をしていると、ああ、あそこにも人がいるのだなと、何だかほっとさせてくれる不思議な音だ。

飛行機は文明の最先端の乗り物だから、簡単にどこでも行けていいよね、重い荷物も自分で運ばなくていいしさ、なんて、空を見上げながら気軽に考えていた私が、ある夏の終わり、ひょんなことからこのブッシュプレーンに同乗する機会を得た。フェアバンクスからベーリング海へ向け、北極圏の先住民の村を回りながらの、1週間の空の旅。

乗り込んだのは、遊覧用の飛行機よりもさらに一回り小さい、2人乗りのセスナ。燃料を無駄にしないようにと、持っていく荷物はぎりぎりまで減らし、空いているスペースに小分けにして押し込む。入口のドアやハシゴは当然なく、よっこらせと体を持ち上げ、狭い窓から、後部座席にやっとのことで収まる。一旦座ると、可動範囲は手足とも5センチしかないような、ミニマムな空間だ。

こんな場所に閉じこめられれば、前席で操縦桿を握るパイロットの気持ちは、否が応でも伝わってくる。この吹けば飛ぶような小さな機体が、乱気流の中、厚い雲の下を飛ぶ時の、または横風強い滑走路に着陸するときの、ヒリヒリとした緊張感。
ああ、これは、思っていたような簡単な乗り物ではない、と気付くのに、そう時間はかからなかった。

極北の空は分単位で表情を変えていく。穏やかな青空の中へ飛び立ったはずの飛行機は、数分後、分厚い雲に囲まれる。雲の中に入りこめば、窓の外は真っ白だ。乱気流で機体は大きく揺れ続け、三半規管は順調に狂ってゆく。白い世界の中で、平衡感覚も、上下感覚ですら麻痺していく私を尻目に、前席のパイロットは「俺たちは、気象予報士よりもよっぽど天気のことは分かっているんだ」と、どこまでも冷静だった。操縦席にずらっと並ぶ計器の数字、航空地図、雲の様子、風の向き強さ、無線から聞こえてくる着陸予定地の天候、翼に積んだ燃料の残量・・・状況が刻々と変化する中、複数の条件を瞬時に判断し、時に行き先を大胆に変更し、時に滑走路でない場所にさえひらりと着陸する。
空を飛ぶことすら信じられない私にとって、この一連の作業は神業で、そして、ある瞬間すとんと理解した。

ああ、そうか。どこでも飛べ、どこでも降りられる自由というのは、言い換えれば、安全を人任せにしない、命を含めたすべての責任は自分で持つという覚悟と引き替えに成り立っているのだ。自然と対話できる確かな技術と、責任を引き受けられる心の強さを持っていなければ、この仕事は務まらない。
不安定で凶暴な空を、自由自在に飛び回れるブッシュパイロットたちは、勇気と冒険心に満ちあふれた、実に極北らしいクレージーな人種なのだ。

途中、着陸した場所で、のっぺりと広がる原野を一緒に歩きながら、ブッシュパイロットの彼は私にこう諭す。「GPSに頼るな。人に頼るな。地図が読めるというのは、ひとつ自由を手にすることだから。」

時期は8月の終わりの一週間。ツンドラが色づき始め、秋の気配が濃厚に漂う極北の原野の、上空からの眺めは、実に素晴らしかった。私は、揺れ続ける後部座席で、瞬きするのも息をするのも忘れ、窓の外の景色に見入りつづけた。

今も、アラスカに行き、ブッシュプレーンを見かける度に、この旅を思い出す。だが、独特の蛇行を繰り返す川の姿や、眼下を通り過ぎるV字型の渡り鳥の一群よりも、ホワイトアウトの中、冷静に操縦桿を握っていたブッシュパイロットの背中の方が、より鮮明に脳裏に蘇ってくるのだ。

給油に立ち寄った北極圏入口の村ベテルスは、ブッシュパイロットたちにとっては北極圏の拠点となる憩いの場。86歳になるというグランパは、今も毎年、自分で操縦桿を握ってここにやってきて、ゆっくり夏を過ごすという。

写真・文 青崎 涼子(あおさき りょうこ)
1972年生まれ、東京出身。仕事で訪れたことがきっかけで極北の大自然と人々の生き方に魅せられ、アラスカのアウトドア・リーダーシップスクールNOLSへ入学。文明から離れ原野や氷河を旅しながら、背中に背負った30キロの荷物一つで生きる術を学ぶ。
現在は、極北の大地を自分の足で旅するとともに、ヨーロッパやカナダでのトレッキングガイドや、極北の自然を楽しめるアドベンチャーツアーのコーディネートを行う。
ブログ「青の洞窟」(http://aonodokutsu.blogspot.com/
ツイッター( @wildernessryoko )

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