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日光山について
今回は栃木県にある日光山について紹介したいと思います。日光には東照宮と二荒山神社、輪王寺がありますが、明治の廃仏毀釈以前はこれらを総称し日光山と呼ばれていました。徳川家康が祀られている事は良く知られていますが、日光という土地の現在では見えづらくなった一筋縄ではいかない奇妙とも思え、また僕たちの文化にとってとても重要な側面を覗いていってみたいと思います。

日光山と狩猟
個人的な事ですが、先日狩猟免許を取得しました。ずっと狩猟文化には関心を持っていましたが、僕が拠点とする東北の山々には、マタギや古くは山立(やまだち)とよばれた猟師が活動していました。彼らにとって日光は特別な山でした。
仏教が民衆に広まるとともに狩猟や肉食は穢れ多いものとされてしまい、山伏も殺生を禁じ僧侶のような精進料理を食べることが多くなりました。しかし「今昔物語」に狩猟をおこない獣を食べている餌取法師(えとりほうし)という山伏のような存在が登場しています。神道や仏教に影響される以前の山伏の姿に関心を持っている僕にとってはとても興味深い存在です。

日光大権現と赤城山の神
東北の猟師は自身の由来を書き記した「山立根本巻」や「山立根元記」と呼ばれる巻物を所持していました。その内容は様々でしたが主流ともいえるものが「日光派文書」と呼ばれ、万次磐三郎(ばんじばんざぶろう)という狩人の祖が、日光大権現に頼まれ長年のライバルであった赤城山の神との戦いに助太刀をして弓矢で赤城山の神の目を射抜き日光大権現を勝たせた事により日本国中の山どこで狩りをしても差し支えない、肉を食べても穢れない許可を得たという内容となっています。

農耕民族?
日本人は稲作を中心とする農耕民族と言われる事も多いですが、東北地方北部に米の自給が達成されたのは昭和三十年代以降とする研究もあります。また東北に日本国の支配が及ぶのは十二世紀頃と考えられています。関東や東北といった東日本には主に狩猟をおこなっていた縄文文化が根底に残っていると言われます。西日本は朝鮮半島から渡来してきた人々のもたらした弥生文化の色彩が濃厚です。このように考えてみると簡単には日本人は農耕民族と言うことはできず、僕たちの文化の根底には農耕以外にも狩猟文化など様々な要素が存在することがわかります。

狩猟文化と東国の王権
西国に由来を持つ貴族などは自害して果てる時に血を流す事を穢れと嫌って水中に身を投げます。対して東国の武士は腹を切りますが、それは獣を解体する知識を持つ狩猟文化が影響を与えていると考えられています。東国に王権を打ち立てようとした源頼朝は大規模な巻狩りをおこない、狩猟によって山々の神と交渉を持ちました。鎌倉公方の子供が争乱があった際に日光山へ逃げ込むなど、狩猟の神であった日光山が古くから東国の王権と結びつきを持ったのは決して偶然ではありませんでした。その結びつきを制度として明確にしたものが徳川家康を祖とする徳川幕府です。

江戸の守護としての日光
家康の死後、その遺体は遺言によって日光の東照社に移されました。日光は江戸からみて北の方角に当たります。北は宇宙の中心である北極星がある聖なる方角です。家康は東照大権現として神となり、北方から江戸を守護しました。その呪術のブレーンは天台宗の僧、南光坊天海だと言われています。東照大権現は正式には東照三所大権現と言い、東照大権現、山王權現、摩多羅神の三神をセットにして呼んだのでした。

恐るべき神・摩多羅神
山王權現は天台宗の聖地比叡山の神として知られています。この山王權現を表の神とするならば、摩多羅神は天台宗で最も重要な裏の神という事ができます。この摩多羅神は恐ろしい祟り神と言われます。人が亡くなった時に死骸の肝臓を喰う人喰いの神ともされ、また、肝臓を喰われなければその人は往生できないとされました。このことは決して口外してはならない秘事とされ天台の僧たちは密かにこの神を祀っていたのです。

尿道の快楽、肛門の快楽
この摩多羅神を描いた図が残されています。摩多羅神は狩衣を着て、笑みを浮かべながら手に持った鼓を打ち二人の童子を従えています。童子は手に煩悩をあらわす茗荷の葉と、悟りをあらわす笹の葉を持ち口々に「シシリシニシシリシト」「ソソロソニソソロソト」という小便道と大便道の快楽をうたい、その舞う姿が男女の性交をあらわしています。これは煩悩が悟りに通じているとする天台本覚論という考え方をあらわしたものですが、人肉を喰らい、鼓を打ちながら尿道と肛門の快楽をうたいあげる神が、江戸を守護する東照三所大権現の一角に加えられている事実は驚きという他ありません。

日光から見えてくる景色
この摩多羅神はいまでも日光の輪王寺にある常行堂に祀られています。薄暗い冷んやりとしたお堂の片隅にある小さな冷蔵庫くらいの大きさの摩多羅神の宮殿の扉はあまりのも恐ろしい神として考えられたために開けられる事はありません。昭和四十九年に奈良国立博物館の調査がおこなわれた時も、摩多羅神は畏れ多いとのことで手をつけることはなかったそうです。
狩猟文化との繋がり、江戸を守護した摩多羅神。異なる日光山の姿が僕たちに語りかける事は少なくありません。都心から日光山までは高速道路を使えば車で二時間強の道のりです。日本文化の中では聖地を山と表現しましたが、アルピニズムの山だけでなく文化としての山を登ってみるのも良いのではないでしょうか?そこからは普段の登山とは違う景色が見えるはずです。

【僕たちと山 アーカイヴ】
♯01 仙元山(神奈川県・葉山町)
♯02 大山(神奈川県・相模国)
♯03 肘折(山形県・月山)

(文 /イラスト 坂本大三郎)