カナダからアラスカへと流れる全長3700キロの大河、ユーコン。この川は日本列島より長いにも関わらず、全部で4本の橋しか架かっていない。言い換えれば、川沿いには、手つかずの原野が延々と広がっている訳で、そんな希有な環境を楽しもうと、私たち日本人7人は、カナダ人現地ガイド2人と犬1匹と共に、5泊6日のカヌー旅に出かけた。

毎日のスケジュールは単純明快だ。漕ぎ、釣り、上陸できそうな岸辺を見つけテントを張り、ビールで喉を潤し、焚き火をし、時に現れるブラックベアやヘラジカやハクトウワシに喜びながら、旅はスルスルと進んでいき、順調に最終日を迎えた。

最終日の朝6時。まだ夜の明けきらない早朝、現地ガイドのセインが、急ぎ足で、私のテントへやってきた。

「起きて。船が流されたみたいだ」

慌てて寝袋から飛び出し、川面に目をやると、昨晩まで確かに5艘あったカヌーは、3艘に減っていた。道も何もない原野のまっただ中、カヌーがなければ一歩も動けない。絶対にあってはならない、初歩的で致命的なミスに、胸がドキドキしてくる。

カヌーは、本来なら、夜は陸に上げておくのだが、最終日の安堵感からか、どこか気持ちが緩んでいた。この日のキャンプ地は、川から少し高い場所にあった。カヌーは意外に重い。高さ5mの崖を引き上げるのが面倒で、川面に浮かべたままだった。メンバーの誰かが、覚えたてのボウライン・ノットで木につないだものの、初心者にとっては、多少ややこしいこのノットが間違いなく結ばれているかどうか、他の誰も確認していなかった。結果、時速10キロの川の流れに負けた結び目がするりと解け、漕ぎ手不在のまま、2艘の船は、夜中にふらふらと流れ出したようだった。

ここから、迎えの車が待つゴールの橋までは30キロ。川沿いに道はない。船は残り3艘。1艘に2人乗るとすると、ここに残る3人は誰になる?それとも、衛星電話で助けを呼ぶ?
思わぬ緊急事態に対し、すぐに体が動かない私に、セインはいつもの笑顔で、思いもよらぬ提案をしてきた。

「朝ご飯にしよう。」

焚き火の横では、カリカリに焼いたベーコンと旅の途中で摘んだブルーベリーを混ぜ込んだパンケーキが、湯気を立てていた。カウボーイ・コーヒーの香りが、焦る心を和らげてくれる。メープルシロップをたっぷり垂らしたパンケーキを口にすると、不思議と落ち着きを取り戻せ、何とかなるだろう、と思えてくる。

不幸中の幸い、とはこのことを言うのだろう。最終日で食糧が空になった分、荷物は軽く、初日に比べると量も随分と減っていた。パズルのように隙間なく荷物を載せ、1艘に3人が乗りこむ。果たして、カヌーは水面からギリギリ3センチの高さで浮かび、全員で岸を離れることができた。
パンケーキで力を得た私たちは、ひっくり返らぬよう、そろそろと、しかし同時に力強く、ぐいぐいと漕ぎ続ける。1時間半後、中州の葦に引っかかり、頼りなさげに浮かんでいる2艘のカヌーを視界に捉えた瞬間、ユーコンの原野に、私たち9人の歓声が響き渡った。

あの珍事件から数年。何か予期せぬ事態が起きると、今でもあの朝を思い出す。いつも通りのリラックスした笑顔でメンバーを落ち着かせ、冷静で的確なリーダーシップを発揮してくれた彼らの背中を。

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~犬ぞりを操り原野キャンプ、夜空に煌めくオーロラを求めて~
2012年3月24日(土)~3月31日(土) 8日間
http://www.expl.co.jp/shugaku/kikaku/12win/yxy/index.html

写真・文 青崎 涼子(あおさき りょうこ)
1972年生まれ、東京出身。仕事で訪れたことがきっかけで極北の大自然と人々の生き方に魅せられ、アラスカのアウトドア・リーダーシップスクールNOLSへ入学。文明から離れ原野や氷河を旅しながら、背中に背負った30キロの荷物一つで生きる術を学ぶ。
現在は、極北の大地を自分の足で旅するとともに、ヨーロッパやカナダでのトレッキングガイドや、極北の自然を楽しめるアドベンチャーツアーのコーディネートを行う。
ブログ「青の洞窟」(http://aonodokutsu.blogspot.com/
ツイッター( @wildernessryoko )

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