2012.01.16 - 03:00

クライマー 平山ユージ まだまだ自分の限界に挑戦したい

(文 久保田亜矢/写真 松本昇大 動画 TOTAL TIME 00:42 記事最下段

世界で活躍するトップクライマーとして知られる平山ユージ。
2010年7月、埼玉県入間市に日本最大級のクライミング施設『Base Camp』をオープンさせ、この場所を中心に活動を行ってきた。
さらに過去の挑戦から得た以上の何かを掴みたいと模索しながら、彼の新たな挑戦が始まろうとしている。

世界中には一生登り切れないほどのルートがある

「これ、一生飽きないだろうな」
平山が初めて岩に登ったのは15歳のとき。それまで陸上部に所属し、校庭のトラックで走ることに明け暮れながら、いつか厳冬期に無酸素でエベレストに登ることが夢みていた。しかし、ある日本人登山家に先を越されてしまったのだ。

「これ以上のチャレンジっていったいなんだろう」
目標を失っていた矢先、近所の登山用品店のスタッフに誘われてクライミングしたのがきっかけだった。

「小さな岩だけど、その中に沢山のルートがあって、その一つ一つに個性というか表情がある。きっと一生かかっても登り尽くせない。クライミングに無限の可能性を感じたんです」
一瞬にしてクライミングの虜となった平山は、同時にこのスポーツを通して世界をも見据えていた。

アメリカで哲学が生まれ、ヨーロッパで進化

当時クライミングをするならアメリカ、そう考えた平山は17歳で渡米した。ところがその頃、最先端のテクニックは徐々にヨーロッパに移っていく時期でもあった。

「まずアメリカで、素手で登るっていう哲学的なものができあがっていくんです。それをヨーロッパのクライマーが学んで進化していく。だからその頃は南フランスに強いクライマー達が集まってきていましたね」と語る。

当時、クライミングの競技人口ピラミッドは、最先端が強烈に尖っていた。トップがしのぎを削り合いながら、競技の幅を広げている状態だったのだ。
それが今では、底辺の広い緩やかな三角形になっている。競技人口の増加に伴い、世界全体のレベルが上がってきているのだ。
その中でも現在、強いクライマーが集まるのはスペインだという。

「スペインは土地が肥えていたというか、岩がいっぱいあるんです。考え方というよりも、むしろ資源に恵まれているような発展の仕方に思えます」と話す。

ボルダリングとリードクライミングの魅力

一言でクライミングといっても、大きくエイドクライミングとフリークライミングに分けられる。エイドクライミングは道具に頼って登る方法、一方、フリークライミングは道具に頼らないで登ることをさす。主に、平山がメインに活動しているのはフリークライミングの世界だ。
さらにフリークライミングの中でロープを使わずに登れる高さの壁を登るボルダリングとそれ以上の高さでロープを使うリードクライミングに分けられる。

「ボルダリングは靴とチョークさえあればできます。だから手軽にスタートできるのが魅力。ただルートが短い分、突き詰めていくと瞬発的な動きが求められるんです。一方リードクライミングは最低でもハーネスとロープ、リードしてくれるパートナーが必要です。パートナーとのやりとりもリードクライミングには必要な要素で、登れなかったルートがパートナー次第で登れることもあるんですよ。ビレー(下でロープを操作して墜落の時にグラウンドフォールしないよう確保器を使って止めること)してくれている安心感もここで感じます」とそれぞれの魅力を語ってくれた。

クライミングから学ぶ自然や人々

世界のトップクライマーとなった今でも平山はクライミングから多くのことを学んでいるという。
2011年はボルネオ島北部にある標高4095メートルのキナバル山でクライミングに挑戦した。東南アジア最高峰といわれるこの山でのクライミングはピッチの単位と言うより、高所であるということが非常に難しく、平山の久しぶりの挑戦に値していた。ところが思い通りには運ばなかった。
それは気候が大きく関係していたと話す。

「一日の中で雨が降ったり、曇ったり、霧がかかったり…。地元の人に明日の天気予報を聞いても“こんな感じかな”みたいな返事が返ってくる」

四季がある日本と常夏の島、ボルネオ。つまりどういうタイミングで雨が降るのかわからず、しかも問題の壁がいつも濡れてしまっているのだ。難しいルートを設定して落としに行ったはずなのだが、計画が立てられない。長い時間、待つという試練が与えられた平山は、雨や風で削られていく岩、そしてその中で生活する人々を見ながら、その岩をどう攻めるかを考えていたという。
「その岩をはぐくんだものはいったい何だろう」と。
どんなときでも常にポジティブな笑顔を見せる彼ら。そして亡くなった人々の魂が登るから尊重して登って欲しいと彼らが話していたこの山。
漠然と「山の声を聞こうと思った」と話す。結局、当初予定していたルートではなく、380メートルの優しいルートを一本作って帰国した。

「もちろんこれで終わったわけではなくて、機会があれば再び挑戦したいと思っています。ただあの状況下で一番ベストな方法はなんだろうと考えたとき、それは易しいルートを作るということでした。世界中の多くの人たちに喜んでもらえるルート。それを作れたことは凄く良かったと思うんです」
あるレベルに達すると、どうしてもさらに遠くにある高い目標ばかりを見てしまう。それを制覇することもクライミング界を牽引する平山にとっては大切なことだが、クライミングを通してまた新たな幸せを見つけたような気がしたという。

今回、平山が挑戦したキナバル山はイギリス人が最初に登ったという記録がある。その目的は新種の植物を探すためだった。

「イギリス人もそうだけど、僕もこの山の頂上を目指したわけではなくて、岩を登りたくて行ったんです。そう考えると山を登る理由もいろいろですよね」

今年も挑戦は続く…。

これまでの挑戦の中で一番記憶に残っているのは97年、ヨセミテノサテライトウォールという1100メートルの壁をオンサイトで攻めたことだった。事前の練習をせず、初見でいきなり攻めるやり方だ。

これまで数々のコンペでの優勝を果たしている平山だが、サラテウォールでの経験は彼の人生を変えてしまうほど大きなものだ。
「あのときは自分の限界をまだ出し切っていなかったんだという発見と、(生死をかけるような)一瞬の動きの中で色んな人たちの支えがあってできたんだと改めて気づくことができた」と話す。人生をかけた挑戦だったにもかかわらず、今は当時ほど鮮明に思い出すことができないという。

時々、まだ気がついていない自分自身の限界を知りたい、あのとき以上の何かを掴みたいと話す平山。記憶が薄れていくのは、あのときの成功に縛られず次の挑戦を目指す暗示なのかもしれない。
「まだキナバル山のルートを登り切れていないので挑戦したい。そして自分自身もクライミングを楽しみながら、クライミング界の日本と世界の架け橋になれるような存在になっていきたい」 今年もまた、平山ユージの挑戦は続く。

(TOTAL TIME 00:42 |動画撮影 上原源太)

 

平山ユージ
世界の名だたるトップクライマーの一人。コンペでの数々の優勝もさることながら97年、ヨセミテ渓谷にある1100メートルのサラテウォールをオンサイトで完登、03年のエルニーニョでのオンサイトトライなどが有名。2010年、埼玉県入間市に日本最大級のクライミング施設『BaseCamp』をオープン。11年6月マレーシア・キナバル山で高所での挑戦が期待されたが、持ち越されることに。